82. ダンジョン攻略のお弁当
「ではのう、とりあえず様子見を兼ねて行って来るでな、夕飯までには帰って来るし、怪我人の酷いやつが出た時も戻るが、そう深くには潜らん。遅くなるのが元気な証拠。心配せんで待っとれ」
「じゃあ、行って来るね~」
「エリー、お弁当ありがと~」
「お土産リスト、できるだけ達成できるようにがんばるよ」
「美味しい魔獣が出ますように」
「俺は魔石が欲しい。なんか珍しいやつ出ないかな」
おどろおどろしい屋敷の前で、装備だけは立派だが遠足に行く子どもたちのようにのんびりとした面々と、楽しそうな顔の引率役は――祖父ホルストだ。
エリザベスだけが心配そうに眉を寄せて、くれぐれも気をつけるようにと繰り返す。
みんなを見ながらトリスタンが感じるのは、自分も行ければいいのに、という羨ましさ。そうできない歯がゆさ。皆に危険な仕事を任せる不甲斐なさもあるし、もちろん友人たちを心配する気持ちもある。
一夜明け、友人たちはギルドでそれぞれ冒険者登録をした。
ダンジョンに向かうためだ。
なのに自分は登録さえさせてもらえないまま留守番。
エリザベスも留守番だけれど、登録だけはさせてもらえた。
それは万一友人たちが負傷して動けなくなった場合にそこまで行って治癒魔法を使えるようにという理由からだ。そしてトリスタン自身は何があっても入るな、と登録自体させてもらえなかった。
「そんな顔をせんでも、もう少し浅くなるか、ひ孫が三人できた後でなら登録させてやるわい」
ふぉっふぉっふぉっ、と変わらぬ高笑いの後で、皆を連れた祖父の姿は板が打ち付けられているはずの扉の向こうに吸い込まれるように消えた。
そのあとに手を振って友人たちが続く。
エリザベスも手を振り返す。
その姿が見えなくなっても、扉を見つめ、寄ったままの眉。
祈るように胸の前で握られた手。
その不安を消し去ってやりたいと思う。
「大丈夫だよ。あの妖怪ジジイが一緒だし」
安心させてやりたい。そんな気持ちで言えば、小さく苦笑してくれた。
「もう、トリスタンったらあなたのお祖父様なのに」軽く睨む。「でも、そうよね。私ったら、すぐ心配になっちゃって」感情を切り換えるように少し強めの息を吐く。
そんなエリザベスに手を差し出して「行こうか」と促せば、嬉しそうに笑ってくれた。
今朝、目を覚ました時のエリザベスはちょっと困った顔をしているように見えたから少し心配だったんだけど、大丈夫みたいだ。
マリーもにっこりして、三人でシュヘル邸に戻った。
「用事があるので後でまた来ます」
そう言ったマリーとは館の前で別れて、二人で腕まくり。
自分たちの仕事はみんなが出発した後のシュヘル邸での片付けと掃除と洗濯――友人たちが自分たちが使った後のキッチンや洗面所をどの程度片付けて行ったかなんて――まあ、みんな高位貴族の子息子女だ。期待はしない。
別れて男女別に室内を確認する。ドアの前に名前が書かれた小さな木の板が下げられているから、誰が使っているのかはわかる。
中の散らかり具合に苦笑いをしながら部屋の窓を開け放ち、シーツ類を引っぺがして洗濯する分は廊下に出し、洗濯済みのものと交換した。
トリスタンがリネンの洗濯をする間にエリザベスはキッチンだ。出しっぱなしの食器を洗って乾かして戸棚に戻し、テーブルを拭いて床を清める――どう考えても領主夫妻の仕事とは思えない。部屋付きのメイドだってこんなことはしない、下の下の仕事――だけど、やっぱりエリザベスからは文句の一つも出てこない。
井戸の前に大きな盥を出して作業しながら、各部屋を往復する度に毎回確認したけれど、文句を言うどころかとても楽しそうに見える。
「卵……ミルク……ハム……くらいしか減ってないわ。野菜……はトマト以外ほぼ手付かずね。オレンジと苺と……あとレモネードは減ってる、か。リンゴは手付かず――明日の朝のぶんのパンは……竈の大きさ的にこっちで焼いた方がいいわね。夜ご飯はピザにしようかな♪」
そんな声が聞こえる。
洗濯物が半分ほど片付いた時点で台所には小麦粉が舞っていた。
洗濯物を終わらせてから洗面所も確認して戻ると、日向に並べられた大きなボールには発酵中のパン生地が入れられていて、シナモンとリンゴの甘い匂いもしていた。
「あ、トリスタン、ちょうどよかった。ちょっと休憩にしましょ?」
香りに釣られて戸口からキッチンをのぞいたトリスタンに声をかけて誘ってくれる。
いつの間に茹でておいたのか、一度丸めてから潰した形のお団子を保冷庫から出して、とろりとした茶色いタレをかけてみたらし団子にしてくれた。
グラスに注いでくれた冷やした薄い緑色のお茶は昨晩から水につけて抽出したやつで、こうするとお湯で淹れるやつよりも苦みが少なくて飲みやすいのだ。
エリザベスに言わせると、味に丸みがある、ってことらしい。
「洗濯は終わったし、洗面所も終わったよ。けっこうきれいに使ってあったけど――ナイジェルはシーツを団子に丸める癖があるってわかった。ディミトリは寝相が悪そう。で、こっちはどんな感じ?」
「野菜の減りが悪いから、最初からサラダにしておいた方がいいみたい。明日の朝のぶんのパンを焼いて、減った分の食糧を追加すれば終わりね。そうそう、使った食器を自分で片づけたんじゃないなら、朝ごはんを食べてない人がいるかも。食器の数が合わないもの――誰だと思う?」
悪戯っ子を探すような口調に笑みが漏れる。きっといい母親になる――じゃなくて。
「あとね、明日の朝のぶんのパン、ロールパンや丸パンだけじゃなくて、リンゴ入りのアイシングのかかったやつを作ってみようかなって思ったの。それなら食べたくなるかもしれないし」
それでリンゴの香りがしていたらしい。
「俺もそれ、食べたいな」
「もちろん私たちのぶんも作るわ――でも、ここで焼くし、温かいうちに食べて欲しいから、お昼ご飯に間に合うようにがんばる。持ってきたお弁当のおかずには合わないかもしれないけど……」
そこでエリザベスはちょっと心配そうな顔になった。
「それでね、アイシングにする粉砂糖がなくて……マリーがいないんだけど、家から持ってきてもらえないかな、って」
祖父が『独り歩きするな』って言うから気にしているのだとわかった。だけど、エリザベスはともかく、自分は大丈夫だろう――。
「いいよ。ついでに追加の食料品も持ってくるよ。早めに戻れたらロールパンを丸めるのも手伝うから。午後はどうする?」
「できればこっちにいたいわ――ここの方がダンジョンに近いから、何かあってもすぐ行けるし」
「了解」
トリスタンが頼まれた品物を抱えて戻るころには、館には既にほんのりと甘い、いい匂いが広まっていた。
「おかえりなさ~い」
キッチンから聞こえてくる声が、それだけで嬉しい。
道中であったちょっと不快で思いがけない出来事は首を振って頭から追い払い、持ってきた物をテーブルの上に並べた。
一緒に食品を棚に詰めてから、先に焼かれていたリンゴのパンを窯から出し、丸めて再度発酵させてあった残りのパン生地を窯に入れる。リンゴのパンは表面がきれいに茶色く焼けて艶々と光っていた。
トリスタンがさっき取ってきた粉糖に水を加えてよく練り混ぜてアイシングを用意していたエリザベスが「本当はしっかり冷めてからかけるんだけど、温かいのも美味しいし、困っちゃう」と言いながら、くんくん、と鼻を動かす。
今日もいい天気なので、道からは見えない庭先の木陰にキルトを敷いて、昼ご飯はそこで食べることにした。
自分たちのぶんのリンゴパンに、アイシングをとろとろとかける。
見ただけで美味しそうだ。
その日、朝早くからエリザベスが作った弁当は、生姜と胡椒をしっかり効かせた大量の唐揚げ、黄色がきれいな卵焼きは甘いやつと甘くないやつの二種類。茹でた細切りの人参といんげんをそれぞれ薄切りの豚肉で巻いてから焼いて、昨日と同じ焼き肉用のタレを絡めたやつ。キュウリとコーンの入ったポテトサラダは畑のレタスとトマトで見た目の色どりを調整してあって、エリザベスに言わせると、『お弁当の王道』らしい。
みんなのぶんはそれだけじゃなくて、特別に追加で炭火で香ばしく焼いた『大蛇のかば焼き重』が追加されている。自分たちは朝ごはんに食べたけれど、この時期特有だというクセはさっぱりと山椒で打ち消され、とろみのある甘い醤油だれがパートリッジの祖父が送ってくれたご飯によく合って――声も出せずにかき込んだ。
目をつむって胃に沁みる味と豊かな香りを楽しんで、目を開けたらエリザベスが嬉しそうな顔で「お代わりあるよ」って。
朝から天国だった。はあ。
自分たちのぶんもしっかり作ってそれぞれに詰め込んだお弁当は、なんか、自分もこういうやつを作ってもらって仕事とかに出かけてみたいなって――いつも一緒にいるんだし、それぞれの料理は食卓に出たことがあるんだけど――ついみんなを羨ましく思うくらい、幸せもいっぱい詰まっていた。
ダンジョンの中でがんばっているみんなも今頃すごく喜んでると思う。
エリザベスは「ここの食糧事情が『記憶』とほぼまるかぶりなのは本当に助かる~。作者様に感謝!」ってよく言ってるけど、本当に助かってるのは絶対にトリスタンだと思う。
ちなみに「パートリッジ家の料理長、超優秀」ってのと「家政婦長、神だわ」ってのもよく言ってる。
だけど。
「ちょっといい?」
今も嬉しそうな笑顔はともかく、そう言って手を取るとすっと引かれる感覚があった――。まだお昼なのに。これは頑張り過ぎて魔力が減ってるってことだ。
本当に――どれだけいい子なんだろう。
絶対に休憩が必要だ。
お弁当の後、艶々した黒豹に変わってその場に伏せたトリスタンを見てちょっと驚いた顔をしたエリザベスは少し困った顔になった――。
「……ありがとう」
ちょっとためらってからそう言って、ゆっくりと首のあたりを撫でる。
キルトの上に並んで横になると、やがて静かな寝息が聞こえてきた。
穏やかで規則的なそれを聞きながら考える。
さっきの驚いた顔は自分では気づいていなかった魔力値の減少状態のせいだったとして、困った顔と一瞬止まった手は――なんだろう?
昼間なんだし、ナイトじゃなくてトリスタン自身でもいいのにな――って、そんなエリザベスの内面には気づかずに、ゆらりと疑問のままに尻尾を揺らしたトリスタンだった。




