81. それぞれの、望み
パートリッジ家の長男の妻と次男の妻になるこの二人はけっこう仲良しらしい。
「なんで!? もう十分でしょ? 美人で、特別な魔法が使えて、こんな辺境に嫁に来て、家事もバッチリで――トリスタンは何が不満なの?」
声は押さえても目を丸くしてリディアが聞く。その目には友人としての怒りまであるような。
なんで、と聞かれると……あまり考えたくないけど、思い当たることが一つある。
それはここに来てすぐのホルスト祖父の言葉だ。
『トリスタンには適当な妻を四、五人程あてがってお前さんのことは自由にしてやりたい』
小さなため息を一つ吐く。
あの言葉はつまり、トリスタンの妻はエリザベスでなくてもいい、ということで。
『適当な』――つまりふさわしい女性が妻として『四、五人』っていう選択は十分ありなのだ。
すぐにでも跡継ぎが欲しい、って来た頃は繰り返し言っていたし。
もしかしたらトリスタンは、その方がいいと思ったのかもしれない。
それに、あの言葉はその『四、五人』の中にエリザベスを入れてはいけないという意味ではない。
それにそれに、パートリッジのローランド伯父様、つまりトリスタンの父親には四人の妻がいた。だからトリスタンにとってはそれが普通ってことだ。
『記憶』の現実でも、結婚は一夫一婦制だけど男性は複数の女性とつき合いたがる人の方が多いみたいだったし。
それにそれにそれに、ホルスト祖父は『人材不足で』とは言ったけれど、トリスタンと一緒に街に出れば、トリスタンに注がれる女性たちの目はいつだって一様に憧れを孕んでいる。エリザベスがそれに気づかないなんてことはあり得ないくらいに。
それはそうだ、仮にも乙女ゲームの攻略対象者なのだから。
こんな田舎にはありえない美男子。
とても『人材不足』とは思えない。
しかも領主で、生活は安泰。
そんなトリスタンが複数の妻を持ちたいと考えたのなら、立候補する娘がいないわけがない。
街に出るとトリスタンがちょっと不機嫌になるのは、きっと自分が隣にいなければ、もっといろんな子をちゃんと見れるし、探せるから。
そしてそれならエリザベスに手を出さないのも当然だ。
エリザベスは一夫多妻制に賛同するつもりはない――少なくとも自分に関しては。
せっかく転生したのに自分をそんな状態に追い込みたくはない。
それはトリスタンも知っている。だって、そういう話はアリアンヌと何度もしたことがあるから。使い魔としてエリザベスの傍にいたトリスタンが聞いていないはずがない。
それを知っているから、エリザベスには手を出さずにタイミングを見計らって離婚を切り出そうとしている――のかもしれない。
もしくはどうにか説得しようと機会をうかがっている、とか。
エリザベスが説得されて一夫多妻制に賛成すると思うなら、そこは大間違いだけど。
それにトリスタンはシュヘル家の血を引く男子と魔王の関係をまだ知らない。
自分が有利に立てる方法――そんな確実な優位性があることにエリザベスは頭を悩ませていた。
ホルストに『自分が潜ってきちんとルークの状態を確認するまでは知らせたくない。頼むからもうしばらくは黙っていてくれ』と、頭を下げられたのは二度目の『治癒という建前の解呪』を行う前だった。
自分がいずれ魔王になる運命だなんて、すぐに知る必要はないと思ったから、即座に頷いた。
だけど。
もしトリスタンが自分の将来が魔王だと知って、解呪のためにエリザベスを手元に置くしかなくて、だから仕方なく我慢して五人の妻を『泣く泣くあきらめて』自分を選ぶとしたら――?
そんなの、酷すぎる。
だったら手つかずのまま離婚した方がいい。たぶん。
それとも五人のうちの一人に入れてもらう――?
それも、酷すぎる。
なんにせよ、ダンジョンに入った人間が受けた呪いを浄化できるのがエリザベスだけなら、たとえトリスタンに離婚したいと言われてもエリザベスの居場所はこのシュヘル領で、出て行くことなどできないわけで。
そしてそんな状態で自分がトリスタンの妻でなくなった場合――自分の立場は、一体どうなるのだろう。
特異な白魔法が使える治療師として、ここで一人歳を重ねるのだろうか。
「いや、せっかく転生したのに、そんな寂しい人生はないはず」
自分の考えに自ら小声で突っ込んで、友人たちを見た。
「……トリスタンに妻を五人持つより私一人の方がいいって思ってもらうには、どうしたらいいと思う?」
「「「は?」」」
眉を下げた困り顔のエリザベスと、驚愕の顔になった友人たちが顔を見合わせた。
二時間後、片付けも終えて旧シュヘル邸に帰って行くみんなを送り出し、寝るばかりになったエリザベスは、またしても寝室で途方に暮れていた。
トリスタンは確実に火が消えていることを外に確認しに行っていて、今はいない。
「なんでまたこうなるのかしら……」
呟いたその手にあるのは、レースの美しい薄手のナイトウェア――しかも色は赤だ。
……ハードルが高くなってる。
ジュリアと妹のロクサーヌが選んだ『結婚祝い』。
帰宅前にジュリアがこっそり渡してくれたそれは、レースだけではなく裾にかわいらしいフリルがついていた。
公爵家の令嬢たちは一体どこからこれを手に入れたのだろう、と真剣に悩める。
『とりあえず、関係を深めたいならこれを着て迫ってみたら?』って、軽く言われたけれど、エリザベスが求めているのはそういうやつではない。
ちなみに、いつかマリーが用意してくれたアレだって旅行用トランクに入りっぱなしだし。
「いきなりそこ、じゃなくて、もうちょっと……用もないのに手をつなぐ、とか、さ。一歩ずつ進むためのアイテムってないのかな」
おでこに短いキスを一回、とかでもいい。
それがダメなら、たまに軽く抱きしめてもらう、とか――なにか好意が、気持ちが伝わるようなことを――それってそんなに難しいことなのかな。
ソファだって、『一緒に座れるように』って言ったのを聞いていたはずなのに――それにエリザベスがそう言った時は照れたように赤くなっていたのに、夕ご飯の後やちょっとした休憩の時にエリザベスがソファに座っていても(注文した一週間後には届いた。たぶん祖父がかなり急かしたのだと思う)トリスタンが隣に来て座ることはまずない。
それに、トリスタンが座っているときにエリザベスが隣に座るとそのうち立ち上がってどこかに行ってしまう。
「攻略難易度、高過ぎだよ? ……『ずっと狙ってた』って言ってたのに」
とにかくひらひらのナイトウェアは前のもの同様にトランクに放り込んで、髪の毛を梳かしながら今日の友人たちの反応を思い返した。
彼女たちから見た『妻』としてのエリザベスは、悪くない、って感じだった――というか、かなりいい感じだと思ってもらえたみたい。
五人の妻と天秤にかけたら負けるかもしれないけど、みんなは『トリスタンはそんなことは望んでないと思う』って口を揃えた。
だとしたら、何がダメなのか。
「やりすぎ、とか?」
がんばりが重い、とか。やる気が溢れていて怖い、とか。獲物扱いされてるみたいで嫌だ、とか――ああ、それなら確かに女性らしくはないかも。
いろいろ控え目なトリスタンだし、押されると嫌なタイプなのかも。
つまりもうちょっと、控えめに――、だけど、どこをどう控えたらいいのか。
「本人に、聞くしかない、かな。でも、控え目にってことなら聞くのもダメそうだよね……」
とりあえずベッドに入って、静かに天井を見つめれば、久しぶりに会えた皆の顔が浮かんで、心地よい疲労。
「まあ、いいよね、ゆっくりでも――」
~~~~~~
虫の声を聞きながら星空を見上げる。
久し振りに会った友人たちとの会話を思い返す。
「やりたいようにやればいいだろ。もう夫婦なんだし」
「のんびりしてると横から攫われるぞ~?」
「嫌だったらとっくに逃げ出してると思うぞ?」
「つーか、嫌がられたって他に道はないだろ――他のやつに渡せるのか?」
最後のやつを聞かれたときはぎょっとした。
それは――ない。自分の気持ちだけで答えていいなら、百パーセントない。
エリザベスと街に行けば、自分たちに注がれる興味津々の眼差しがかなり気になる――特に、エリザベスに見惚れる男どもの視線には腹が立つ。それが顔じゃなくて、胸もとや腰だったりするとその場で殴りたくなるし。
だから、他のやつなんて選択肢は欠片もない。
ない、けど。
「……もっとふさわしくありたいんだよ」
『やりたいようにやればいい』発言で浮ついた心をしっかり落ち着けて、家に戻る。
これだけ時間をとればエリザべスはもう眠っているはずで、その予想が裏切られることはなかった。
「ホント、かわいいよな……」
音を立てないように着替えて隣にもぐり込む。そーっと髪の毛を撫でると、その手にエリザベスが擦り寄るように頭を動かした。今日もかなり魔力が減っているのがわかる。
「準備、がんばってたもんな」
つい苦笑が漏れる。
黒豹に変わるのを待っていたかのように伸びる、優しい腕、額を撫でる手と、安心したような吐息。
じゅうぶん、幸せだ。これ以上なんて、望んじゃダメだと思う。




