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世界の終りまで君と  作者: 佑
第二部 第二章 気持ちの向かう場所
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78. 祖母のレシピ帳とシュヘル領

 祖父とエリザベスの仲が急速に良くなったのには、他にも理由がある。


 エリザベスが祖母の『レシピ帳』を譲り受けたせいだ。


 どうやらそこにはエリザベスの『記憶』に出て来るような、東洋の食に関するレシピがたくさん載っていたらしい。


 まあ、祖母はそっち側の国の出身だったらしいから当然なのだが、エリザベスも過去の『記憶』でそっちの方の住人だったらしい。ただし『過去』の、としてしまうには微妙で、エリザベスにあるのは祖母の『未来』の世界に生きた記憶ではないか――そんな印象を受けた。

 そこは今さらなので突っ込まなかったけれど。


 祖父が持ってきたその本をエリザベスが初めて読んだ時はちょっとした騒ぎだった。


「きゃ~!! お祖母様ってお味噌自作してたの!? お醤油も!? 塩麹!? 鰹節っ! え、昆布ってダンジョンで取れるの!? そっか、海があるから……え? ダンジョン内に食材のお店がある階層が作れるの? うそ、片栗粉も……って片栗粉の詰まった実が採れるの!? お砂糖も? 小麦の平原!? ダンジョンってものすごい食材の宝庫じゃないっ!!」


 いろいろなメモが書き加えられているそれを一人でものすごく騒がしく読んでから「お祖父様っ! これ、写させていただいても構いませんか!?」と、頬を真っ赤にした涙目で祖父に詰め寄った。

 膝に登らんばかりの勢いで。


「自分は料理は苦手なのでな、そっくりそのまま譲る。そこに書いてある食材は自分にもわかるし、言ってもらえれば必要な物は獲って来るから、たまに食わせてくれ」


 祖父がそう言った時は、レシピ帳を胸に抱いたまま床に這いつくばって祖父を拝もうとして、ぎょっとした祖父にすごい勢いで止められていた。


 ――祖父をぎょっとさせることができるのはおそらくこの一帯でエリザベスだけだと思う。


 そんなことがあって、エリザベスは祖父とすごく仲良くなって、祖母には親近感を抱いた。


 トリスタンの髪の毛を見ながら「だから黒髪なのかしら?」って首を傾げて、「あ、でもリュカもディミトリも黒髪だから違うのかしら。どちらにせよ瞳の色が違うわよね……結局は設定かなあ?」と首を傾げていたこともあるし、「和食が好きなのも遺伝かしら? これは天国のお祖母様にも感謝しないと!」とも呟いていたし、それが一体何の呪文なのかは不明だけれど、テーブルの上に置いた祖母のレシピ帳に向かって両手を合わせて頭を下げ、「ナムアミダブツ……」と呟いていたことも……それは何度もある。


 レシピ帳に向かって呟いているのだから、美味しい料理が作れるようになる呪文なのかもしれない。

 けれど、呪文を唱えても魔力の流れはほとんど感じられない。

 その呪文は無効だよ、と指摘しようかどうしようかしばらく考えたけれど、その呪文を唱えた後はエリザベス本人が少し穏やかな表情になるので黙っていることにした。


 味覚はともかく、祖母の見た目が自分に遺伝した可能性はあると思う。

 この国には真っ黒い髪の人間は少ない。

 祖母本人は髪も瞳もものすごく黒に近い茶色だったそうだけれど、それは異国人だからだ。


 パートリッジの五人兄弟の中には三人黒髪がいるけれど、ディミトリの髪は日の光を受けると赤く光るから自分やリュカとは違う。

 ウィルベリー公爵とアリアンも黒髪だけれど――よく考えてみれば他の公爵家にはひとりもいない。


 今のエリザベスは綺麗な銀髪と薄いブルーの瞳だけれど、『記憶』のエリザベスは祖母のように黒髪黒目で、顔つきも今とは全然違ったらしい。

 エリザベスの過去での見た目に関してはまったく想像できない。けれど今の性格の方は、もしかしたらそこに影響されているのかな、と思うことが度々あった。


 エリザベスの記憶にしかないその国の民は他国の文化や考えを自国に取り込むことにあまり抵抗がない人たちだったようだ。


 公爵家の令嬢として生まれたはずのエリザベスは、地位はものすごく高いのに気位は全然高くない。だからこそパートリッジ家の使用人たちに交じって料理や家事を学ぼうなんて考えることができたんだと思う。それにみんなが恐れる『魔王』が『いい人かもしれない』だなんて柔軟な考えも浮かぶし、傍若無人なジジイのことだって腹を立てたりしないし怖がりもしない。


 そんな生き方ができるのは悪役令嬢にならないように本人が努力したから、ということがもちろんあるけれど、それにしたって家事労働を嫌がらず、まったく抵抗なくこの領地の暮らしにも馴染んでいけるのは、そういった過去の国民性の『記憶』があるせいだと思う。


 大抵の生き物に怖がられる祖父をあんなふうに驚かせ、優しく笑わせることができるのも、そういうところから来ていると思う。やっぱりどこか、常識が違う。

 なんにせよそれは喜ばしいことで、自分とエリザベスの間に祖母を通した不思議な共通点があるのは嬉しかった。


 邸の整備に関してはあまり急ぐ必要はなかったので掃除や整頓はゆっくりとみんなが来るのに間に合うようにやったけれど、そこでもエリザベスの順応性は高かった。


 シュヘル邸には公爵家にあるような金の装飾付きの揃いの白磁などはなく、銀器もほとんどなかった。部屋の装飾もばらばらでカーテンや絨毯にも統一性がない――エリザベスは「部屋ごとに個性があるのね」と楽しそうに言ったけれど、これでどうやって王妃や他の公爵夫人たちをもてなしたのかとトリスタンは不思議に思った。


 パートリッジ家の食卓では揃いの白磁に曇りのない銀器が常だったし、季節ごとに屋敷全体の調和を考えた装飾品を使っていた。ウィルベリー家だってそのばすだ。


 ……身分の高い貴族は食器も持参するのかもしれない。ここまでやって来る道のりは重い荷物を運ぶには長すぎるとはいえ、彼らは権力者だ。金と地位にものを言わせていろいろ――いずれもてなすこともあるのだろうし、その辺りも祖父にちゃんと聞いておくべきかも。


 そう思ってエリザベスに話したら「案外今の私たちみたいに簡素な暮らしを楽しんでいたのかもしれないわよ」と、気の張らない答えを返された。

 言われてみればそうかもしれない。王妃や公爵夫人がこんな辺鄙なところに来るなんて、それだけでも準備が大事になるはずなのに、そんな出来事があったなんてことは記憶にない。

 王妃だって、せいぜい『悪阻つわりが重く伏せっているため公務はお休みになっている』という理由付きで顔を見せない時期があった程度だ。

 つまり、その期間でこっそりとここに滞在していたのだろう。


 そう考えて力を抜いて見てみれば、いろんな模様が描いてある色とりどりの皿や器は大きさも様々で、それらからはここに住んでいた人たちの温かさが感じられるようだった。伯父や母が小さかった時はここに住んでいたのだろうか、もしかしたらそのころは曾祖父母やいとこなんかが訪ねてきたりしたのかもしれないな――なんて考えが浮かんだ。


 昔のことをいろいろ聞いてみたかったけれど、祖父は邸の中には入ろうとしなかった。

 質素だけれど温かい趣のある部屋たちを二人で整えていく。


 ここは祖父にとっては大切な妻と子どもたちの思い出がたくさん残る邸で――だけど今はその誰もいない、という事実を思えば仕方ないことなのだろう。


 今はがらんとした静かな屋敷だけど、いつか自分たちが子どもたちと住むようになって、友人たちやパートリッジやウィリベリーのいとこたちが訪ねてくる――そんな家になったらいいのにな。


 少し微笑んでいるような顔で作業をしているエリザベスもそんなことを考えているといいな、と思った。



 片付けと並行で、こちらは少しがんばったのが、街周辺を見て回ることだ。

 『たとえ魔法の力量が人より優れていようとも、当面はトリスタンもエリザベスも独り歩きさせるつもりはない』――その点で祖父の考えは徹底していた。いつでも祖父かマリーが一緒で、特にエリザベスとマリーには襲われた時に備えて強力な魔術具も渡された。


「本当は一度襲われた方が後々楽なんじゃが……あれが発動するとどうなるかがわかれば、他のやつらは二度と手を出そうなどとは思うまい」


 その言葉の後で祖父がいつもの笑いに加えて「ひっひっひ」という妖怪笑いを追加していたところを見ると、かなり悪辣な魔術具に違いない。

 まあ、エリザベスに手を出そうとするやつのことなどどうなっても構わない。エリザベス自身はちょっと顔を顰めたけれど、トリスタンは肩をすくめるだけにしておいた。


 街では住人の暮らしについてなどを聞きながら改良点を探した。


 目下一番の問題はダンジョンの深さ――短期的解決方法としてはこの夏の友人たちの働きに期待する。


 それだけではなくて、長期的解決方法として冒険者用の宿泊施設のリニューアルや、定住希望冒険者への優待ができないかなど、冒険者本人たちの意見も聞きつつ各ギルドとも連携しながら話し合うようにした。こっちはけっこう大変そうだ。


 だけど施設関連は領主権限で開始することもできるからまだいい。

 もっとよく話を聞いてみたらすぐにはどうにもできそうにない難問がひとつ……それはパートナー探しだった。


 ダンジョンに潜る際の、ではなく『人生の』方で、やはり嫁問題が大きい。そこは各自がんばってもらうしかないと思うんだけど……冒険者たちのみならず、各ギルド職員たちからまで、すがるような目で見られてしまった。


 祖父がやれやれ、と首を振って見つめた先はエリザベスだ。


「たとえ低層でもダンジョンに潜るのは危険な仕事じゃ。魔獣と闘うことも。じゃから、冒険者や護衛任務を行う男を夫にするには覚悟がいるんじゃよ。ただでさえ白魔法使いは少ないしのう。もちろんもう少し慣れたらお前さんにも手伝ってもらうつもりでおるが、今はまだじゃ」


 大抵の怪我なら即座に治してしまうことができるエリザベスの存在が嫁不足の解消に一役買えるということだ。エリザベスならおそらく住民の病気にも対応するだろう。

 けれど祖父の体調を整えていることで、エリザベスは既にかなりの治癒活動をしている。祖父の治癒は週に二度、ごくまれには三度のこともある。


 相変わらずごっそり魔力を持っていかれる日が多くて、そこに加えて冒険者たちや住民の治癒を行えるかと聞かれれば――魔力を分け与えるトリスタンの方はともかく、エリザベスは確かに過剰労働になると思う。


 それに、その祖父のこともある。それだけの頻度での治癒が必要だということは、身体にそれだけの不調を抱えているということだ。本当なら死にかけるほどの病なのにどうにかして命を繋いでいるのではないかとトリスタンは心配しているのだが、祖父は聞いても何も答えない。


 エリザベス自身も魔力は減るが自分が相手の何を治癒しているのかはわからないそうだし。


 『今はまだ』というのが、祖父の体調が落ち着くまでは白魔法使いとしての活動は控えさせたい、という意味ならいつかは落ち着くのだろう。それがあまり遠くない未来だといい。

 他の人間には向けない穏やかな笑顔でエリザベスを見つめる祖父を見ながら、トリスタンはそう祈った。

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