76. 美味しい攻略方法
「ふぉっふぉっふぉ~! トリスタン、つくづく思うぞ、よくやった! 美人なだけでなく料理上手とは、いい嫁をもろうたもんじゃ! エリザベス、その芋の皿をこっちに――いや、後はもうええ、十分楽しませてもらったわい」
上機嫌もこれに極まれり、といった様子で目じりを下げた祖父を見て、こちらも自信満々といった様子で胸を張ったマリーが微笑む。
もちろんエリザベスも嬉しそうだ。
四人で囲む夕食は賑やかだった。
午後に釣った鱒をメインディッシュに――皮の香ばしいムニエルは、塩コショウの味付けとニンニクと醤油を使った味付けの二種。潰したポテトにバターと塩コショウとひとつまみの砂糖を加えて丸めたものを油で揚げたものを付け合わせにし、畑のレタスをたっぷり使ったサラダにはカラフルなミニトマトの輪切りと、同じく午後に釣った生の鱒のスライス――カルパッチョ、というらしい――これは氷魔法で一度冷凍にしてからスライスしていた。お手製ドレッシングは酸味の効いたやつと、鱒に合わせた醤油ベースの二種類。それぞれ好きな方を好きなだけかける。
祖父が来るのだからとわざわざパンも二種類(柔らかくて白いやつと、トリスタンが好きなバキバキ音がしそうなほど堅いヤツが)準備してあって――美人で料理上手なだけでなくて、本当に優しい――いい子だよな~って、また思う。
「義親孝行で嫁ポイントが稼げないんだし、ここは是非ともお祖父様に気に入ってもらわないと……!」
本人は料理をしつつそんなことを言いながら何度か拳を作っていたけど、そんなもの稼がなくてもあのジジイはエリザベスのことを十分気に入っていると思うんだけど。っていうか、こっちの方がますます落とされるばかりで全然エリザベスを落とせてないのが――うむむ。
テーブルの上のカップに入った野草の花――エリザベスが料理をしている間にトリスタンが鳥小屋の掃除をし、野菜を収獲しながら摘んで帰ってきた時に渡したやつ――は、やわらかい笑顔と「ありがとう」の言葉と一緒に受け取ってもらえたけど。
なんていうか、もっといろいろ――喜んでもらいたいなって思うけど、ウィリアムみたいなやつはわざとらしいし、恥ずかしい。
そういうところは自分はまだまだで、しかも美味しい食事とかわいいエリザベスに見とれてついついぽやんとしてしまう。
食後にはお茶と一緒にブルーベリーとミントの葉が乗ったヨーグルトムースまで出された……このお嬢さんは妖怪ジジイも落とす気満々……だけど僕ならとっくに落ちてるし、ついでに妖怪ジジイもすごい勢いで落とされ済みじゃないかと思うんだけど。
「ダンジョンにはの、キングサーモンがおるんじゃが、そいつは外にいるやつとはちょいと違っておってな、身のしまりが格別! なのにしっとりしておって、臭みもなく、生でももちろんうまいが、タレに漬け込んで二日熟成させたやつなんぞ、焼くとたまらんのじゃ……妻の料理レシピ本にタレの作り方が書いてあるんじゃが……今度キングサーモンが取れたらどっちも持って来るでな、よく冷やした東洋の酒と一緒にの、く~っとやりたいんじゃが」
ほら、やっぱり。
「それからのう、ちょっと深いところにおるマッドブラッド、と呼ばれておる蟹なんじゃが、身もなかなかコクがあって美味いんじゃが、ミソがたっぷり詰まっておっての、これもまた軽くあぶった身をその蟹ミソにつけて酒と一緒に……でな、残ったところを雑炊にして味噌をひと混ぜ……塩でも十分旨いんじゃが、小葱を入れてのう……ああ、じゃがここには米が入って来ないか。うむ。そっちは今度アーノルドに送らせようかの」
ほらほら、エスカレートして……って、それを聞いているエリザベスの方も随分真剣な顔をしている。
「お祖父様、それ、ぜひ獲ってきてくださいませ! 鮭は冬のために塩を強めにして保存もしたいですし、王都では見たことがありませんでしたから、絶対イクラの醤油漬けにして、親子丼でトリスタンに……きっと嫁ポイントがどーんとアップするはず! 蟹も、たくさん獲れたらトマトクリームパスタもいいし、蟹クリームコロッケも……コロッケは鮭もいけるし。トリスタンはコーンクリームのコロッケも喜んでいたからきっと好きなはず……たとえ妻としてはイマイチって思われても、胃袋さえがっちり捕まえておけば普通の男は逃げない、ってパートリッジの料理長が言っていましたの!」
って、それ、口に出すのどうよ? って思うけど僕、逃げる気なんか最初からゼロ――っていうか既にかなりマイナスなんだけど。
そう思いながら、本当に嬉しそうに話すエリザベスのことを不思議に思う。
昨日の午後、祖父とマリーと四人で街を歩く間のエリザベスはほぼずっとにこやかだった。
商業地区にある魔道具を取り扱う店や、王都ではあまり立ち寄ることのない、それらを加工する職人たちの住む工業地区、ダンジョンに潜る冒険者たちの仮住まいの集中する地区などを歩きながら、皆に学院を飛び級で卒業して戻って来た『次期』領主(既に書類上の登録は済んでいるのだが、周りに領主として紹介できるのは全ての仕事の引継ぎが済んでからだ、と言われた)とその妻だと紹介され、いろんな人たちからの視線を受けても嫌な表情一つせず、興味深そうに相手やその人物の仕事に注視して、時には質問もしていた。
不安そうな表情が浮かんだのは一度だけ――中にダンジョンの入り口があるという廃屋の前に来た時だった。
「う……ここまでお化け屋敷だとは思ってなかったわ」
それは確かに、薄気味の悪い建物だった。わりと住宅街の近くにあるのだが、他の建物からはぽつんと離れているし、後ろには切り立った断崖がそびえている。両脇にはごつごつと節くれだった歪な形の樹が立ち並び、厚く茂った葉までがなんだか威圧的――黒っぽい壁の迫力のある建物で、正面入り口の扉には何人も立ち入り禁止だとばかりに木の板が打ち付けられ、門扉にも太い金属の鎖が巻かれていた。その側に立ち並ぶ注意書きには『命の危険有』『全ては自己責任』『助けは期待するな』『一攫千金は命が代償』『引き返すなら今』などの言葉。
エリザベスは、「自殺の名所……?」と、物騒な言葉を呟いて門扉を凝視した。
「まあ、己を知らん者が入るのは危険なのでな、こうさせてもらっとる」祖父は例の笑いと一緒に「いずれ好きなように改修してもよいぞ」と言葉を追加した。
「こんなになってたらどうやって入るんだ?」
鎖の絡んだ門扉を見ながらトリスタンが聞いた。
「ちゃんとギルドに寄って手続きをすれば普通に入れる。ちなみにわしはフリーパスじゃ」
そう言うなり門扉の方に歩きだした祖父は、何の抵抗も感じさせないままで鎖の巻かれた門をそのまま(・・・・)通り抜けた。
「な? 入れないのは力のないやつと登録のないやつだけじゃ」
正面扉には向かわずに、そのまま戻って来る。
「『全ては自己責任』とは書いてあるが、一応誰が入っているかはちゃんとわかるようになっとる。死んだ者もわかるぞ。この門はギルドの帳簿に連動しとる。通り抜けたものの名前が記録されるからな。じゃがトラブルがあった時に助けに行くかどうかは別の話じゃ。己の力量を過信するような馬鹿者に『期待』されても困る」
ふん、と鼻を鳴らす祖父と廃屋を見比べて、エリザベスは心配そうに眉を寄せた。
本当に優しい。
そのあとですぐ隣の(といっても五十メートルくらいは離れているのだが)治療施設を覗いた。幸い利用中の人はいなかったけれど、入ってすぐの小部屋には人がいて、「白魔法を使う人間が少ないので交代制でやってます」と教えてくれた。さらに隣は薬屋で、「ダンジョン内でケガをした場合、脱出できた時にどこまで治療するかは入る前に設定しておくことになっているんです」と、こちらも教えてくれた。
当然怪我が酷いほど治療費も嵩むし、払えない金額の薬は使えないし治療もできない。慣れた冒険者たちは自分が潜れる階層を把握しているし、基本無理はしないので出てくればそれなりに治療されて帰ることになるけれど、『欲』に目がくらんだ者や初心者がひどい目に遭うこともたまにあるそうだ。
そんなことを聞いたエリザベスは「手伝いに――」と言いかけ、祖父に止められて眉を寄せた。
「まずはこの土地に慣れることからじゃ。この前も言ったがお前は美人じゃし人目を惹くでのう。次期領主の妻だという認識が街全体に浸透するまではうろつかんほうがいい。街に出る時は必ずトリスタンかわしと一緒に行動してくれんか。本心を言えばひ孫の三、四人できてからの方が――」
「いい加減その話はやめろよ。自分はそんなふうにせっつかれたのか? 任せるって言っただろ。それに僕だって、もっとちゃんと領主として認められるようにならないとダメなんだろ? ――年齢は未成年だし、そんな、簡単に子どもなんて考えられない――」
「じゃが跡継ぎを作るのは領主の一番の義務じゃ。子どもがおらんうちは領主としては半人前――決して認められん。あとな、『僕』はやめろ。ただでさえ若いんじゃ。なめてかかられるぞ」
「『僕』を変えるのはいいけど、子どもとかはもっと後でいいんだよ」
「わしが代わるか?」
「ふざけんなよ妖怪ジジイ」
真っ赤になっていたエリザベスが今度は青くなって――マリーがトリスタンに「できるだけ早めにお願いします」と重々しく頷くと、今度は泣きそうな顔になった。
「エリザベス? 大丈夫だから気にしないで――」
そう言いはしたものの、どう取り成したものかわからなくて言葉が出ない。
上機嫌の祖父を睨みつけ、あとは普通に商業地区を見て回って食材などを購入して帰った――。
ここに着いた翌日の祖父の言葉も含め、そんな感じだった昨日の話をエリザベスはどう受け取ったんだろう。
『申し訳ないとは思っとる。美人なだけでのうて、能力もある娘じゃ。しかも公爵家の長女。本来ならエリザベスは自分の好きな相手を選ぶべきじゃと思う。誰でも選べる立場でありながら、問答無用でこんなところに来させたのは、わしらと国のため。トリスタンには適当な妻を四、五人程あてがってお前さんのことは自由にしてやりたいところじゃ』
祖父がそう言ったとき、その言葉はトリスタンの心に刺さった。
それはつまり自分は――自分『が』彼女をここに縛り付ける鎖だという意味だから。
エリザベスは書類上は既にトリスタンの妻だ。
それにここにいることでお互いにいいとこどりできるのは確かだ。
けれど――エリザベスは必ずしも自分を夫にする必要はない。対外的に魔王の嫁に行ったということにさえなっていれば、エリザベス自身は他の人を選んでもいいのだ。
パートリッジの祖父の言葉もそういうことだ。どうしてもダメなら帰ってこい、けれど『黒豹は置いて来い』。
それはつまり、トリスタン自身はここから出て行くことはできない、ということで。
この領地には、自分の血を引く跡継ぎが不可欠だ。だけどそれは必ずしもエリザベスとの間の子どもでなくてもいい――もっと簡単にいえば、父親が自分でありさえすればいい。
ただし、あれだけ『逃がすな』って言われたからには、自分が新しく相手を探すことについては恐らく絶望的で、たぶん誰でもいいというほどには自由ではないのだろう――他の相手なんて考えたこともないけれど。
自分は他の誰かなんて欠片も望んでいないのだから一生懸命になるべきなのは自分の方で、こんなふうに美味しいものに釣られてぽやんとしている場合ではないのに。
自分を、選んでもらわないと。
嬉しそうに笑いながらお茶を飲むエリザベスは――そのことにちゃんと気づいているのだろうか。
もちろん魔王と結婚しなくてよくなったことは喜んでいる。
トリスタンが相手だってことも嫌がってはない。どちらかといえば好かれている自覚もある。
だけど、誰でも好きな人を選んでいいって言ったら、君は誰を。
それは口説き文句の一つも口にできないような、こんな自分じゃないんじゃないか――。
それに、もし自分がずっと一緒にいて欲しいって口にしたら、優しいエリザベスはきっと断らない。たとえ本心ではここを出て行きたいと思っていたとしても、既に受理された婚姻の契約とここから出て行くことのできない自分のためだけに、ここにいようとするんじゃないか――。
食後に祖父に治癒を行ったせいでまた深い眠りに落ちたエリザベスの隣でゆっくり息をしながら、本当の自分のままでは受け入れてもらえない距離をいとも容易く超えてしまえる黒豹を心から妬ましく思っている自分に気づいた。




