75. おだやかな
翌日も、ほわほわと宙に浮かびそうな気持ちをどうにか落ち着けながら朝食を終えた。
公爵令嬢なのに、エプロン姿が超似合うとか反則――。
そんなことを考えながらちらりちらりと様子を窺いつつ、食後の家事も一緒にやった。
この小さな家を嫌がっている様子は、今日もやっぱりない。
表情も穏やか――というかむしろ嬉しそうだ。
公爵家でよく見た親に遠慮した顔や、学院での周りを意識した顔ではないし、『悪役令嬢』をやっていたときみたいに口の端だけで笑うこともない、素のままの笑顔。
つまりトリスタンといることもまったく嫌がっていない。
昨夜も同じベッドで寝るのはかなり恥ずかしそうだったし、寝つけないみたいでしばらくもぞもぞしていたみたいだったけど、拒否はされなかった。
それに朝のうちに庭と畑を見回っていくつかの野菜を収獲して戻るったら朝食にはふわふわとやわらかい卵のオムライスが出た。トリスタンの好物で、周りの固まった半熟の卵をスプーンで割るととろとろの中身が広がるやつ。
……ホントにいい奥さんだと思う。
そして今、エリザベスはお昼ご飯用にサンドイッチを作っている。
どうやら料理に関しては『記憶』を活用してやってみたいことがいろいろあるらしかった。
昨日のうちに焼いておいた丸パンをスライスして、バター(これも昨日街で買ってきて、他の生ものと一緒に、祖父がとりあえずと言って置いていった小さな保冷庫に入れてあった)を薄く塗り、挟むのはトリスタンが庭の畑から取ってきたレタス、トマト、キュウリ、同じく畑から抜いて来たニンジンを薄くスライスして酢と砂糖とオリーブオイルとマスタードで和えたものをたっぷり、そして塩味のスモークしたチキンの胸肉をかるくほぐしたもの――なんだかサンドイッチと一口で言うにはあまりにも豪勢なそれは、どう見ても一口で口には入らないんじゃないかってボリュームだ。
それを薄紙で包んで軽く押し、それからもう一度しっかり包み直した。
「よし! これでお昼にはちゃんと馴染むはず……!」
次にとりかかったのはレモネードだ。
はちみつと搾ったレモンとシロップ。それから一つまみの塩。
夏の空気にレモンの香りが気持ちいい。水で薄めたそれを大きな水筒に入れて、さっきのサンドイッチも一緒にバスケットに入れる。
今日の予定は畑仕事と魚釣りだからだ。
朝食の後、「畑仕事の進み具合でお昼ご飯を食べる場所が変わるかもしれないならお弁当を持って行こう」と楽しそうに言われ、一も二もなく頷いた。
野菜は基本自給自足で、肉、魚は自給自足できないなら買う。
自給自足するなら肉は動物を狩るか飼うかしないと難しいけれど、魚ならすぐ近くの小川でも釣れる、と祖父が教えてくれた。
一度着替えてから出てきた、楽しそうで軽い足取りのエリザベスは大きめの麦わら帽子がよく似合う――公爵令嬢なのに、麦わら帽子まで超似合うとか、反則だと思う――って、いうか、今日の格好が全部反則だと思う。
少し先を歩くエリザベスから視線を逸らし、息を吐いた。
「そりゃ、スカートで農作業は大変だってわかるけどさ……」
エリザベスには聞こえないように呟く。
柔らかい綿のシャツに茶色のズボン。少しウエストが緩いらしく、肩ベルトで釣るタイプのそれを身につけたエリザベスは、ちょっと恥ずかしそうに「男の子みたいで嫌かもしれないけど……」って言ったけど、どこからどう見ても男の子には見えなかった。
もちろん両脇で編んで後ろで一つにまとめた長い三つ編みのせいで、女性だって一目でわかるんだけど、シャツの下の胸のふくらみと、華奢なウエストから腰にむかうカーブが男性ではありえない。普段ならたっぷりしたスカートに隠れて見えないヒップから太ももにむかう優しい曲線だって……どうしても気になるわけで。
そんなトリスタンの頭の中には無頓着らしいエリザベスが、畑の隅の作業小屋から持ち出してきた鍬と鋤を手にしているところには――ハッキリ言うとすごく違和感があった。
昼食が入ったバスケットを地面に下ろして、声をかける。
「エリザベス? 草むしりなら僕がやるから、ちょっと待ってて――」
「ううん。やるわ! パートリッジ家の庭師のサムが気づいたんだけど、私ができるだけ手をかけた方が野菜の育ちがいいの。もちろん魔法も使うけど、秋野菜にはぎりぎりの時期だし、元気に育って欲しいから」
そう言うなり雑草だらけの草地に入ろうとする。
「待って、待って! 僕がまず範囲指定で地面の上だけ焼くから、それから風魔法でひっくり返して根っこを取り除こう。とりあえずここからあの辺まででいいかな。虫とか蛇とかも逃がしておきたいし――じゃないと君は回復させちゃうだろう? 夜にはあの妖怪ジジイが来るんだから、今日のところは魔力を大事にしておいて欲しいし」
やる気にあふれているのはいいことだけど、実はサムからは、エリザベスは雑草まで『回復』させちゃうことがある、と聞いている。さすがにそれは無駄だ。
二十平米くらいの広さを指定すると、エリザベスは素直に頷いていったんトリスタンの背後に回った。
軽く威圧をかけて、一度生き物を追い出す。土の中の生き物に関しては、熱が届かないように少し深く潜らせる程度でいい。
火を使う魔法は、飛び火などが起きないように燃え広がる速度にも気をつけながらゆっくりだ。
綺麗に焼けたら一度空気中の酸素を地表から排除して完全に消火し、その後で土の中に空気を送り込む――耕す代わりになるし、雑草の根っこも抜きやすくなる。トリスタンの魔法はここまでだ。
エリザベスが感心した顔になってパチパチと拍手をしてくれた。
そんな小さなことが嬉しい。
すぐに畑予定地の中に入り、手袋をした手で大きな雑草の根っこを拾い集めるエリザベスは――小さく歌を歌っている――ずいぶん楽しそうだ。
トリスタンも一緒に拾っていく。草原になっていただけあって量はけっこうあったけれど、もともと畑だった場所なので石や木の根はなくて比較的やりやすい。
拾った根っこは隅に山にしておいてその後で熊手を使って小さい根っこも集めたら、それだけで既に時刻は昼前だった。
「肥料を混ぜ込むところまでやっちゃおうか。明日はどうなるかわからないし」
「そうね、お祖父様の治療にどのくらい魔力を持っていかれるかもわからないし」
集めた根っこを風魔法で乾燥させてから焼く。灰も肥料になるので昨日街で購入した肥料と一緒にそのまま畑の土に混ぜ込んで、また土の中に空気を入れた。
エリザベスが気持ちよさそうに笑って、「これ、ミミズだったら何百匹分の働きかしら」なんて言う。「土が真っ黒で柔らかい。豊かで、いい土地ね」
そう言うってことはつまり、やっぱり、畑仕事も嫌がっていないし、喜んでいるってことだ。
「どこに何を植えるかもまだ決めてないし、苗を植えるか種を蒔くか――明日明後日は土を落ち着けることにして、その間に決めよう」
農具を片付けて自分たち自身も清浄魔法で身ぎれいにしてから、木陰に移動して昼ご飯にすることにした。
「はい」
そう言って渡してくれた風魔法の応用で冷却したレモネードは、甘すぎなくて喉の通りがいい。
っていうか、そうやって渡してくれるだけで、なんか美味しさも倍増する気がする……。
「ありがとう」
って、それだけ言っただけなのに、嬉しそうに笑ってくれるのも――。
しかも、そのあとで渡してくれた具だくさんのサンドイッチは絶品だった。
別に普段野菜好きってわけじゃないけど、甘酸っぱい人参のマスタード和えにスモークチキンってこんなに合うの!? って、ほおばったまま目をぱちくりさせたら、エリザベスはものすごく嬉しそうに笑った。
「前の記憶のね、学校の近くにあったパン屋さんのサンドイッチレシピなの。大好きだったから真似してみたんだけど。時間を置いた分ちゃんと馴染んでいい感じでしょ? 一回食べてもらいたかったの」
って、また嬉しそうに――なんだろ、これ。
エリザベスを落とさないと、って話だったと思うんだけど、昨日に引き続き、なんで僕の方が更に落ちてる感じになってるのかな。
「パンもね、香りがしっかりしてるでしょ? 料理長のお勧めで、粉もパートリッジの領地の小麦だからトリスタンには馴染み深い味でしょう? 酵母もちゃんと教えてもらって――でもね、食べ物はその土地の物をその土地の水で調理するのが一番美味しいんですって。だから、これからはここで取れる食材でも試してみようと思ってるの」
なんていうか、自分も食べながら楽しそうに話してるのはかわいいし、その口もとについたマスタードの粒に、ものすごく誘われてるような気が、する。
いいかな。
いや、だめかな。
あ~、なんか。やっぱ僕の方がだめかも。
堪えきれずにサンドイッチを一度バスケットに戻した――。
ん? って顔になったエリザベスが、瞬きの間に黒豹に変わったトリスタンを見て驚いた顔になった。
え? って疑問の顔にそっと顔を寄せて、口もとのマスタードの粒を舐めとる。ナイトなら、たぶんありだから。
「え? え? ええ!?」
エリザベスの眼がまんまるになった。
やば、さっきもかわいかったけど、今もますますかわいい。
「……マスタード、ついてた」
ちょっと耳を伏せる――相手に顔色がバレない黒豹でホントによかったと思う。
エリザベスもサンドイッチを下ろして、赤くなったほっぺを両手で押さえてる。
それも、かなりかわいい。
だけどこれはちょっと、すぐには戻れない感じだよな……。
ちょっと困って視線を外したら。
「ありがと」って声がして、手が伸びてきて首に抱きつかれて額をグリグリとこすりつけられた。
頭も撫でられてる。
あれ、以外と平気だったのかな――じゃあ、いいか。
元の自分に戻る。
「ひゃっ!?」
また悲鳴と一緒に飛び退かれた。
……うん。まあ、がんばろう。




