74. 必要な物
「……トリスタンは果報者じゃな。ところで今のうちにわしに聞いておきたいことはあるか?」
そう聞かれれば、いろいろある――だけどトリスタンが戻って来るまでしか話せないなら――そう思って一番気になる質問をした。
「トリスタンは本当に魔王になるんですか?」
「まあ、なろうと思えば可能じゃ。あやつもシュヘルの血を引く男子じゃし指輪が嵌っとる以上素地はある――お前にはもう予想はついておるのじゃろう? 領主がダンジョンに入り、魔物を倒し続けてその呪いを受けた身体が『魔王』じゃ。わしが先代の魔王じゃった。妻も亡くなっておるし、本当はそのまま死ぬギリギリまで入っとるつもりでおったんじゃが、息子が――ルークが呪いを受けてのう。その呪いがおもいのほか酷いもので――あいつが外に出ることを諦めた時点で代替わりして、わしがダンジョンを出たんじゃ。
こっちにも気づいておるのじゃろうが、わしの身体もいろいろ呪いを受けておってな。それが『見た目が本物だと思うな』という噂のもとじゃ。昨日お前が治したのは腰痛なんぞではなく――触覚異常の呪いじゃった。久しぶりに人の肌に触れた感触を思い出したわい。いや、実に懐かしい感触じゃった」
そう言って今度は豪快に笑った。
「いくつか解呪してもらえればわしはまたダンジョンに入れるようになるじゃろう――これ以上呪いをくらうのは危険すぎてのう。人を装うのが難しくなるもんで、入れんかったんじゃ。
死ぬ前にトリスタンにはここでの暮らしについてをいろいろ伝えておかねばならんし、出て来られなくなるのはまずい。それに魔物として討伐されたくはないしのう……だが、昨日のように呪いを減らしてもらえれば別じゃ。戦い、魔物を減らし、ダンジョンを浅くすることができれば、今の魔王にも――行方不明の息子にもまた会えるようになるかもしれん。
なんにせよ、わしが潜ることはトリスタンが魔王になるまでの『時間稼ぎ』になる。
お前も『シュヘルの血を引く男子が五人』という言葉をいずれ聞くと思うが、五人いれば時に交代しつつ人間として暮らせる――その最低ラインが五人兄弟。そういう意味なんじゃ。だがこの血は増やし過ぎるにも危険があってのう。普段はこの指輪が――」
そこでぴたりと口を閉じ、盗聴防止の呪文を解除した。
マリーが静かに立ちあがって椅子を壁際に寄せる。
「――では明日の夜でもいいかのう? また眠ってしまうようならわしはそのまま帰るでのう」
何事もなかったかのように落ちついた声で話す。
トリスタンの通信魔法が終わったのだろう。
「ええ――トリスタンがそれでいいと言ってくれたら、そのようにいたしましょう。せっかくですからお祖父様も夕ご飯をご一緒に――ご飯は大勢で食べた方が美味しいですし。お祖父様はお肉とお魚でしたらどちらがお好きですか?」
「そうじゃのう、わしは魚の方が好きじゃが。どうせなら今日これから街に行って、いろいろ見て回りながら考えてはどうかの。この土地で暮らすなら挨拶は早い方がいいし、買える品物なら買えばいい。注文するものはさっさと注文すればいいし――」
そんな会話の途中でやっぱりトリスタンが下りてきた――ちょっと警戒する表情になっている。
「パートリッジのお祖父様はなんて?」
そう聞いてみれば「エリザベスとそこの妖怪ジジイを二人にするなって――」と眉を寄せた。
「マリーがずっといたわよ?」
「そうだけど、危険だって」
トリスタンはそう言って祖父を軽く睨んだ。
「アーノルドが思うほど危険ではないつもりじゃったが、まあええわい。合宿の話はしたんじゃな? 今エリザベスに話しとったんじゃが――街の様子を見せたいんじゃ。家の中は見たか? 足りないものや追加したいものがあれば、店にある品物は買えるし、注文もできる――贅沢品は控えて欲しいが。
この領地が赤字経営になることは基本ないが、黒地だと知らせて他領や他国からちょっかいを出されるのは面倒じゃ。だからいつもカツカツだということにして余剰財産の管理は王家にやらせておるんじゃよ。贅沢品が買えるような状態ではない。
収益は、ダンジョンの素材販売の税金が主だ。ギルドで買い上げて王都に運んで売ったり、加工業者に卸しとる。自分で加工して使う者もおるぞ――ダンジョン内には動物だけでなく植物も珍しいものが生えるからな。
出没する動植物が中に入る冒険者の希望を反映するような階層もあるから、腕に自信のあるやつは買い物に行かんで素材をダンジョンで探してくることもできるぞ。ただし、宝石や金を望むと一緒に出て来る魔獣も強くなる」
またあの笑いをして、人の欲とは恐ろしいもんだ、と追加する。
「エリザベスも欲しいものがあるなら前もって言っておいてもらえれば、潜った時に探してやるぞ。素材や食材でもいい」
それを聞いた途端に嬉しくなった。
「そうなんですか!? それでしたら是非! 治癒魔法の方はがんばりますので、冷蔵収納と冷凍収納と時間保持収納が可能になる収納庫が欲しいんです。あと、食材なら東洋の調味料や香辛料、それにミルクが手に入るといいなって――バターとチーズとクリームも――牛を飼うところからなら、納屋も手入れをしたいし、冬場のことを考えたら羊とかもいた方がいいのかなって――毛糸が取れるでしょう? でもヤギなら種類によってはカシミアとかモヘアができるかもしれないし、ウサギならアンゴラ――そういうやわらかい毛が取れるやつ、ダンジョンにいますか? それにお肉やお魚は街で買ってくるとしても、悪くなってしまってはもったいないですし、そのあたりは本当にどうしたらいいのかなって――収納庫の素材って手に入りますか? お料理はおいしく食べてもらいたいんです。あと、この部屋にソファが一つあったらいいなって思ったんです。暖色系の光が出るランプも――」
旦那様に大切にしてもらうには、美味しい料理と居心地のいい空間が重要――パートリッジ家の料理長と家政婦長の教えだ。
つい勢い込んで随分いろいろ言ってしまったと思ってそこで口を閉じたけれど、その注文に祖父は上機嫌になって笑った。
「ふむふむ、実に前向きでいい心構えじゃ。収納庫は食糧庫と台所の間に追加するか――備え付けでいいか? ああそうだ、時間保持収納はともかく、冷蔵冷凍に関しては防水にしておかんと水が出るだろうから本職に頼んだ方がええ――なに、冷凍自体は簡単じゃ。外枠ができたら中にスノータイガーかノーザンウルフの魔石でも放り込めばそれで済む。どっちもダンジョンにおるが、冬なら外にもおる。時折魔石に魔力を追加注入してやればかなり長々と使えるぞ。冷蔵の方は温度管理がいるが――中でアイスフィッシュを飼うといいじゃろう。外枠ができ次第ダンジョンの上層にある池に行って網で掬って来てやる。あいつらはおとなしいし、餌もえり好みせんから、器に入れて泳がせておけば、収納庫ごと五度前後――適温に保ってくれるはずじゃ。使う素材は買ってもいいが、いずれ潜った時に同じような素材を取って来て素材で返す、そういう支払いもできる。治癒魔法が効いて元気になったらのことじゃが、取って来てやろう。
時間保持収納はちょっと相談せんとな――何をどのくらい入れるかで大きさも使う魔石も変わって来る。トリスタン、お前がエリザベスに聞いて容量とサイズを図面に起こせ。
動物の毛もな、いくつか持ち帰るのでその時に選んでくれればそいつを狩ってくるでのう。
ソファは家具職人じゃな。街におるから手が空いとればすぐに取り掛かれる――大きさはどのくらいのやつがいいんじゃ?」
楽しそうな祖父の様子になんとなく丸め込まれているような気がする――いや、エリザベスがここでの暮らしに前向きなのは確かに嬉しいんだけど。
そのエリザベスは、ソファの大きさを聞かれてちょっと返事をためらった。
さっきまでの勢いが消えて、もじもじと左手の指先を右手の指先でつまんで、ちら、とトリスタンを見て、その視線を床に下げる――。
なんだ? ソファの大きさに意見が欲しいのかな。
僕にかまわず好きなように頼めばいいよ――そう言おうとして。
「……あの……ええっと、トリスタンと一緒に座れるような大きさの、を」
小さな声で希望を伝えたエリザベスの赤らんだ頬に、言おうとした言葉が一瞬で霧散した。
自分の頬も同じように赤くなったと思う――。
祖父が楽しそうに笑って「引き受けた」と即答し、マリーがにこにこ顔になって「お茶を淹れ直しますね」と立ちあがる。
トリスタンの胸に刺さっていたさっきの祖父の言葉――『美人で、能力もあって身分も高く、本来なら誰でも好きな相手を選べる立場なのに、自分たちと国のために無理矢理こんなところに来させた』が、夏の日差しの下の氷みたいに融けていく。
『収納庫』が欲しいのは『料理をおいしく食べてもらいたいから』で、『ソファ』が欲しいのは『一緒に座れるように』なんだ。
で、そんなふうに赤くなって。
なんだか、もう。
なんか、もうさ、いますぐ抱きあげて二階に連れて行って押し倒してしまいたいんだけど……いや、だめだと思うけど、でもそれって本当に、だめかな。




