67. シュヘル領、到着
そこからは、穏やかな旅になった。
道中トラブルもなく、国の外れ、辺境と言われる位置にある男爵領まで――言われたとおり、どんどん山深くなり、人家も少なくなって町の規模も小さくなっていく。
これはかなりの田舎だなあ……前世の記憶でもテレビでしか見たことがないような……熊とか、猪とかが出そう。なんて思っていたら鹿が出た。狐も。
山道なので馬車も進みにくいらしく、できるだけ荷物を少なくさせられた理由がわかった。重さによっては下りがかなり怖いことになりそうだし、登りはひたすら馬が気の毒だ。
宿に着くとまず次の宿までの行程や道の状態を聞いて、翌日にどこまで進めるかを確認する。
その宿に泊まっている人達の様相もなんだか荒々しくなってきた。
「冒険者」や「ハンター」などと言われる人たちらしい。
男爵領まであと二日、というところにある宿屋で、パートリッジ公爵家の紋章の入った馬車と従者を帰らせた。目立ちすぎるからだ。最低限の荷物以外は木箱に詰めて釘で打ち付けてシュヘル家に送り、そこからはプロの護衛付きの乗合馬車で進んだ。
強盗に襲われる可能性なら、公爵家の馬車よりはるかに少ない。乗合馬車でならず者に絡まれる方がまだ安全、という判断だ。
エリザベスもトリスタンも魔法を使えるので、襲われたり攫われそうになったら強盗だろうがならず者だろうが(相手が)大変なことになるだけなのだが、従者と馬車には帰り道のこともあるし、大変なことなどないに越したことはない。
お互い目立たない旅装ではあったけれど、さらに瞳の色をごまかす眼鏡をかけ、エリザベスは髪色も変えて帽子を深くかぶった。
トリスタンは常にエリザベスのそばを離れずに警戒してくれていたけれど、馬車でも宿でも一度も事件は起きなかった。強盗どころか、魔獣も出なかった。
ダンジョンが近くなると魔獣も増えると聞いていたので拍子抜けした――のは、エリザベスとトリスタンだけではなかったようで、馬車の護衛に雇われているという腕っぷしの強そうな男性たちまでが首を傾げ、「シュヘル領に行くのにこんなに穏やかな道中は初めてだ」と首を振った。
結局二日間一度も魔獣を見ないままシュヘル領に入り、さらに進むこと二日、穏やかなままの行程で、終点だというシュヘルの街に着いた。二日かかる、ということは、それなりに広い領地らしい。
宿屋兼食堂&飲み屋の前で馬車を降り、中に入った。
田舎だと聞いていたけれど、ちゃんと時計塔のある教会のような建物もあるし、宿屋らしき建物も数件ある。食料品店もあるし、雑貨屋らしい店もあるし、さすがダンジョンのある土地だけあって武器や防具を扱う店や薬屋らしき看板もある。
けっこう開けていると思う。
「いつもの旅はどうなんですか?」
つい気になって、すっかり仲良くなった護衛のお兄さんたちの一人に聞いてみたら、「血熊が五、六匹は出るよ。大蛇も活動時期だし。千手蜘蛛も出るね。怪我人も出る方が多い。どの宿にもだいたい夕方ギリギリに宿に着く感じなんだ」と、言われた。
今回の旅では宿に着いたのは大抵がまだ明るい時間で、昼過ぎなんてこともあり、その宿の主人たちも確かに驚き顔だった。
「鹿や猪はいたから、餌になる動物たちがいないってわけじゃないし、本当にラッキーだったんだろうな。護衛任務は何が出ようと日数給料だから今回は楽をさせてもらった」
赤毛のお兄さんはそう言って嬉しそうにエールを注文した。
今日も到着は昼過ぎだ。
おそらくエリザベスが乗っているせいで、魔獣に嫌がられたのだと思うけれど、それは言わない。
エリザベスとトリスタンも飲み物を注文した。ずいぶん早く着いたので、迎えに来ることになっていたトリスタンの祖父待ちである。
朝出た宿屋で渡された、途中で食べるはずだったお弁当代わりのパンとチーズも出して、昼食にする。
「仕事に出たのにまだ明るいうちから飲めるなんて嘘みたいだよな」
護衛のお兄さんの飲みながら仲間と話す顔があっという間に上気した。
「魔物素材が手に入らなかったのは残念だけど、やっぱり怪我がないのが一番だよ。今は白魔法使いが少ないし、シュヘル領のダンジョンは年々深くなってるって話だから、油断はできないけど」
「そうなんですか? ダンジョンって深くなったりするの?」
ダンジョンのことは聞いたことがなかったけれど、深さが変わるなんて面白い。
そう思って質問したら、仲間の一人、濃茶の髪をしたお兄さんも口を挟んだ。
「深くなるのは最奥にいるって言われてるラスボスが強くなってる証拠だって話だよ。そうなると出現する魔物も強くなるし、数を削らないとどんどん深くなるって話だ。まあ、俺らは街道の護衛で冒険者じゃないからダンジョンに入ったことはないけど」
「君たちはこの街に移住するつもりで来たんだろう? 冒険者には見えないけど、ダンジョンに入る気かい? それなら十分気をつけなよ。ソロはお勧めしない。ギルドに寄って仲間を募って潜るといい――時計塔のある建物だよ。住まいに当てはある? そういうのもギルドで教えてくれるよ。職業についても――随分若いけど、新婚さんでいいんだよな? それとも駆け落ち? いや、話したくないなら話さなくていいよ、みんないろいろ事情はあるし、ここはそういう土地だから」
赤毛のお兄さんは、お酒には強くないらしい。無事目的地に到着した安心感も手伝ってどんどん饒舌になる。
トリスタンとエリザベスはおとなしく耳を傾けた。
「俺もさ、もうちょっと金が貯まったら、所帯を持って宿をやりたいなって思ってるんだ。食堂とかもいいなって――」
ホワン、と夢みる顔つきになったお兄さんに仲間のヤジが飛ぶ。
「まず彼女を作れよな」
「貧乏男に嫁の来てはないだろ――」
「酒代を減らせよ」
「金が欲しいなら一攫千金を目指してダンジョンに潜れよ」
「無駄無駄――十階層までも行けないだろ」
赤毛のお兄さんの奥に座っていた黒髪のお兄さんがちょっとだけ眉を寄せた。
「今のラスボスになってどのくらいって言ってたっけ?」
「十年――いや、十五年くらいか? その前が三十年くらいだったって聞いた――そろそろ削って欲しいよな」
「深く潜れるやつがいないとな――いずれ王都から騎士でも呼ぶんじゃないか?」
「浅くなりすぎて消えちまっても困るしな――完全には討伐出来ないってのが難しいとこだよな」
「魔素に触れる機会が減って、他の国みたいに魔法を使える人間が生まれなくなるのも不便だしなあ」
「今って何階層まであるんだ?」
「たぶん五十階層くらいだろ。人が入ってるのが三十ちょっとだ」
「それって、けっこうまずいよな……」
「シュヘルの領主が山狩りを推奨してるしな」
「雑魚でもいいからできるだけ減らしたいってことだろ。このままラスボスに到達できなくなっちまったら……」
「だから、減らせるところを減らして埋めたいんだろ」
「え、ダンジョンって埋めることもできるんですか?」
それも初耳で、エリザベスは身を乗り出した。
「ああ、ラスボスが強くなると魔獣――眷属も増えて深くなるんだけど、眷属をガンガン減らすとラスボスも上の階に出てきて浅くなるんだ。そのあたりを調節するのがここの領主の役割なんだよ」
トリスタンと顔を見合わせた。
どうやらトリスタンも知らなかったらしい。
「領主がダンジョンに潜って減らしてくるのが本当なんだよな」
「だけど、それが結構大変らしくてさ。今の領主はもうけっこうな歳だし、跡継ぎはまだ若くて、しかも一人しかいないとかで、簡単にはダンジョンには行かせられない――せめて男の子が五人くらいできてから潜らせたいって話で。なんか血が繋がってないとまずいんだろ?」
「ああ、本来の跡継ぎだったやつが結婚して子どもを残す前にダンジョンに取り込まれちまった、ってやつだっけ。あの時はかなりがんばってたらしいけど――ずいぶん浅くなったんだよな」
「二十階層分くらい埋まったって聞いた。だけど今五十階層まであるとしたら、もうすぐ埋めた分は追い越すだろ」
「人が入ってるのが三十階層で、ダンジョンの深部が六十階層になったら、ラスボスなんて引きずり出せなくなるんじゃないのか? それにちょっとやそっとじゃ倒せないような魔獣が出て来るようになるんじゃないのか――」
「だから、俺らみたいなのも山狩りをやって魔獣を減らせって言ってるんだろ」
がやがやと話し続ける内容が、けっこう深刻だ。
「そのまだ若い跡継ぎって今いくつだよ。五歳とかじゃないだろうな」
「いや、学院にいるって話だった」
「じゃあ少なくとも十二歳か――だけど子どもの五人とかって歳じゃないよなあ」
「っていうか、こんなとこに嫁に来る娘を探す方が大変だろ、前の跡取りってやつも結婚予定の女に逃げられて自暴自棄になって潜ったって聞いた」
「ああ~、ここ、田舎だしな」
「それに魔物を倒すとさ……たまに……」
「ああ……あれはな~」
「ニ十階層分か……さすがに……」
「役に立つこともあるけど、何もらうかわかんないし」
「男爵位があっても逃げられるんだな」
「ここの暮らしに爵位が役に立つかよ」
「むしろ見た目で引かれたって方が」
「だけど今の領主は別に……」
「本物、見たことないだろ、見えてるのが本物だと思うなって」
「「「……」」」
黙り込んだ一同の視線が、なんだかいろいろ恐ろしい情報満載の会話に身体を硬くしていたトリスタンに向かった。
無言の忠告は祖父が手紙で繰り返した言葉と同じ――『とにかく逃がすなよ』だとわかる。
目の前にいるのが話題の領主の若い跡継ぎだなどとは思ってもいないはずなのに、忠告する言葉は同じ――ちらりと隣のエリザベスに視線を送ると――そっちもかなり狼狽えた顔で、目が合うと俯いた。何やら小声で呟いてもいる。
『ダンジョン』に潜ることや、祖父の見た目のことに関する妙な話のせいで怯えさせたのかもしれない。
けれど、聞こえてきた小さなつぶやきは「……男の子五人、は、無理……かもしれない」で、トリスタンは一応胸をなでおろした。




