66. 再会
向かいの座席に座って一生懸命説明するトリスタンを呆然と見つめた。
「――僕は昨日付けで学院を卒業したんだ。飛び級で。年齢はともかく男子は学院を出たら成人扱い――それと同時に僕の籍はパートリッジ公爵家から抜かれて、男爵家に移され、僕はトリスタン・エルク・シュヘルになったんだ――ミドルネームも変わるのがあそこの領地のしきたりらしくて――もともと僕はあの男爵家の跡継ぎに決まっていたんだ。それは知ってただろう?」
そこまではなんとか頭に入った。
婚約期間は取ってあげられない、とか、事前に相談できなくてすまない、とか、『なって欲しい』なんて言っておきながら王都では今日付けで婚姻手続きが終了して受理される予定だ、とか、こんなふうに絶対に断れない状況に追い込むつもりはなかった、とか。
いろいろ話し続けているトリスタンを、ぼんやり見つめる。
「君は『僕の』妻になるんだ」からほとんど頭が回っていない。
いや、それよりも前から――昨日の夜の、「君を狙っていたのは『ずっと』僕だ」からかもしれない。
もしかしたら、そんなことが起こってくれないかな、って昨夜から――ううん。もっと前から、何度も思った。
でも期待はしないようにしようって自制した。
昨日の話を聞いた後だって、ダンジョンに行く前のプレゼントイベントみたいなものかもしれない、後でがっかりすることになるのかも、って。
『悪役令嬢』の夫になるような人には見えなかったし、ゲームではただの一度も攻略できなかった人だし。
いつも遠くを見ているトリスタン。ウィリアムルートでは大抵の場合魔王になってしまうトリスタンの心がどこにあるのかは、ちっともわからなかった。
それでもちゃんとミニゲームはできたし、本編には大筋で関わってこないミニゲーム自体にあまり興味もなかったし、それでよかった――前世では。
「――だから、祖父の手紙によれば、ダンジョンで魔王と暮らすっていうのもあながち間違いじゃなくて、でも、その辺の説明は着いてからだって言われたから僕もわからないんだけど――」
「トリスタン」
まだ話し続けているトリスタンをとりあえず止めてみた。頭に入らないし。
「うん?」
「私、『あなたの』妻になるの?」
そう聞いてみれば、少しだけ首をすくめた上目遣い――それはさっき、『ずっと』についていろいろ説明してくれた時と同じ――ナイトがよくやっていた、軽く伏せて耳を倒し、下から見上げる仕草――これは『ごめんなさい』だ。
その仕草がかわい過ぎて、尻尾でティーカップを落として割った時も、爪をひっかけてカーテンを破いた時もちっとも怒れなかったのだ。
やっぱり、本当に、この人が。
「……うん。ダメかな?」
そう言葉で聞かれてはっ我と我に返らなかったら、手を伸ばして抱きしめていたかもしれない。
トリスタン自身は嫌がっているようには見えないけど、本当にいいのだろうか。さっきは答えてくれなかったけど、確かに昨夜は「『ずっと』狙ってた」って言ったと思う。
さっきも、『どうしても君の側にいたくて』『本当は離れたりしたくなかった』『ウィリアムに君を取られたくなくて』『ウィリアムをベタベタさせたくなかった』って言った。
それって、トリスタンは望んでるってこと――。
でもでも、待って。
「私、『悪役令嬢』で『追放』されたのよ? 男爵家の妻にはふさわしくないわ――」
「君は『悪役令嬢』で『追放』されたわけじゃない。今はそういうことになっていても、王太子と妹のために自分を犠牲にしたんだ。サリーだって時期を見て事情を知らされるはずだよ。
それに、うちの領地は国の最果てで、祖父によればいくら口で男爵家って言ったってその辺の農家と変わりないらしい。僕は正妻以外を置くつもりはないし、その余裕もない。君の居場所にはまったくふさわしくないんだ。だけど――君を手放すつもりはないし」
最後の一言に心臓がドキリと跳ねた――それは、やっぱりトリスタンは望んでるってこと、だと思う。
けれどトリスタンは自分の言ったことに気づきもしない様子で、そこでいったん言葉を切って大きく息を吸った。
「エリザベス、今の状況では君が断れないのはわかってる。だけどちゃんと、君が僕を選んでくれるまで待つ気持ちはあるんだ。無理にどうこうしようなんて思ってないから、心配しなくていい。最初は夫婦のフリでいい。だから、あんまり現状を悲観しないで、まずは楽しんでみてくれないかな。いつもみたいに」
そんなの、フリでなくたって、悲観したりしない。ない、けど。
一日前とは大違いの展開に頭が追い付いていない。
それでもゆっくり頷いたら、トリスタンは嬉しそうに笑ってくれた。
「それに、僕との結婚には特典がついて来るよ? 黒豹、触り放題」
そう言うなり目の前で黒豹に変身した。
途端に意識が切り替わる。
記憶にあるナイトよりも大きい。だけど懐かしい。
そして優しい金色の目はさっきまでと――そして記憶にあるものと変わらない。
「……ナイ、ト?」
おもわず揺れる馬車の座席から立ち上がって、床に膝立ちになって目の前の黒豹に飛びついた。
「会いたかった――ナイト!」
きつく抱きしめて首の毛に頬を擦り付ける。
グリグリと額も押し付けて、何度も頭を撫でた。
安堵で涙も出てきた。
「会いたかったよ。元気だった? 酷い目に遭ってなかった? ちゃんとご飯はもらえた? 繋がれたり、叩かれたりしなかった? ちゃんと、大事にしてもらえ――」
そこでまたしてもはっと我に返った。
「もらえたよね、うん。そうよね? ごめんなさい――本当に、トリスタンなのね? 元気だったわよね、もちろん」
腕を緩めて、それでも離れがたくて耳の下のやわらかい毛を何度も撫でながらそう言ったら。
「……僕、もうずっとこのままでいようかな」
声だけはトリスタンの黒豹が言った。
「喋るの!?」
「本物は僕だし。みゃ~、ってやった方がいい?」
聞かれてかぶりを振る。
「さすがにこの大きさだともう猫の真似は似合わないわ……でも、もうちょっとこのままでいてくれる? 久しぶりだし。すごく会いたかったの」
待ちに待った、ちゃんとした本物の、ナイトだし。
「……それはいいけど、念のために言っとくけど、中身は一緒だよ?」
「……そうよね。でも、私の頭の中では一致しないみたい。やっと会えたって思っちゃうの」
「……まあ、いいけど」
「ありがとう。……もうちょっと触っててもいい?」
頷いたのを確認して、もう一度しっかり抱きしめて存在を確かめながら頭を撫でた。
頬も摺りつけて、ここにいることを――足跡なんかじゃない、本物のナイトがいる幸せを感じる。
大きく安堵の息を吐いて、少しだけ腕を緩めたら、ナイトが身じろぎをした。
「……やっぱり、人に戻っていい?」
「もちろん、いいわよ? でもまた今度変身してくれる?」
「……うん」
そう返事をするなり、腕の中の黒豹は突然トリスタンの姿になった。
「ひゃっ!?」
慌てて飛びのく――勢いがつきすぎて天井にゴンッと頭をぶつけて、そのまま座席に尻もちをついた。
「痛……!」
両手で頭を押さえたら、トリスタンが笑った。
笑うなんてひどい。
「中身は一緒だって言ったよ?」
そうだけど。
「私は一致しないって言ったわよ?」
でっかい黒豹に抱きつくのと、同い年の異性に抱きつくのが同じわけがない。しかも黒豹の方は、昼夜を分かたず長年一緒に過ごしてきた大事な――いや、それじゃダメなのか。
「……わかった。ごめんなさい。これからはナイトの時も抱きつかないわ」
残念だけれど。
「え!?」
「あなたにできないことはナイトにもするな、ってことでしょ? 気をつける」
「そうじゃなくて、黒豹にできることは僕にもできるようになって、ってことだよ」
「それは……無理ね」
自分がこれまでナイトにしてきたことを思い返して即断したら、トリスタンはかぶりを振って息を吐いた。
ちょっと遠くを見る目になっているような気がする。
「アリアンヌの言った通りか……」
「え?」
どういうことだろうと思って聞き返すと、トリスタンは苦笑した。
「アリアンヌがさ、『強敵は黒豹』だ、まずはあいつに勝て。って言ってた」
「アリーが……だけどその設定はかなりハードルが高いわよ?」
「え? さっきも言ったけど中身は一緒だよ?」
「外側が違い過ぎるもの」
同い年の異性は黒豹とは違う。しかも、相手はかっこよくて、これから自分の旦那様になるらしい人――そこはもう少し確認しておきたいけど。遠慮なしに抱きつくとか、とても無理だ。
「ええと、それでも中身は一緒だよ?」
「そうよね……なら、少しずつ……すり合わせるってことで?」
返ってきたのは嬉しそうな笑み――たぶん自分の顔にも同じような笑みが浮かんでいるのだろう。




