65. 話の続き
目覚めはすっきり爽快だった。
さわやかな朝の光に包まれ、今までずっと心に閊えていた疚しさも半減して、ググっと伸びをする。
エリザベスは――眠れただろうか。
少なくとも『チビ』で『デブ』で『ハゲ』で『性格最悪』の魔王の嫁にされる心配は無くなったということで、少しでも安心できたことを祈ろう。
それから、黒豹の正体がトリスタンだという事実を受け入れて快く許してくれることも祈ろう。
そして今日は、トリスタンの妻になることを受け入れ――受け入れられなくてもどうしようもないという事実を悲観しないことを……祈ろう。
いや、昨日は『かっこいい』って言ってたし。
きっと大丈夫――でありますように。
寝具を適当に整えて顔を洗い、食堂に降りると、そこには既にエリザベスがいて。
「……」
無言で朝食をとっていた。
目の下にうっすらとクマができているところから、ちゃんと眠れていないのがわかる。
「……おはよ」
声をかけたトリスタンに頷きはしたものの返事はない。ないが、とにかく向かいの椅子に座った。
そのままお互い無言で食事を続け、一言の会話もないまま、エリザベスは二階に戻って行った。
あれは、ものすごく怒っているということか――それともまだ考えているのだろうか。
道中のことがちょっと心配になった。
まあ、今日も明日も馬車に揺られるだけで他にやることもないのだから、まずはエリザベスの気が済むまで謝ろう。全てはそれからだ。
昨日に引き続き腹をくくることにして、最後にカップに残っていたコーヒーを飲み干す。
部屋に戻って荷物をまとめ、エリザベスの部屋のドアをノックする。返事がないので軽くドアを押してみると、中は空でエリザベスは既に部屋を出た後だった。追って外に出ると、ここでも既に馬車の準備はできていて、エリザベスも乗り込んでいる。
これはかなり怒っているってことだろうか――最悪道中は土下座で通すことになるのかも――そんなことを考えながら乗り込んで、ドンドン、と天井を叩くと、心得た御者兼従者はすぐに馬車を走らせた。
そのまま、待つ。
が、何も言われなかった。
どういうことだろう。
罵倒されるか質問攻めにされるか。とにかくただでは済まないだろうと思っていたのに。
……沈黙が気まずい。
そのまましばらく馬車に揺られていたけれど、ついに耐えきれなくなって、「あの、エリザベス? 聞きたいこととか、ないの?」ってこっちから聞くことになった。
エリザベスは、少し考えてから、「昨日言ったこと、本当?」とだけ聞いた。
「うん」
簡潔に答えたら、「そう」って返事が返って来た。
それで終わり。
なんだろう、もしかして見限られた、とか。
今から話すことを受け入れてもらえるようには思えない。
会話のないまま時間だけが過ぎ、また不安が募ってきた。
口をききたくないくらい怒ってるとか、こっちが謝るのを待ってるとか、だろうか。
「あの、他には何かないの?」
もう一度聞いてみたら、エリザベスはまた少し考えた感じで、目を合わせないまま聞いた。
「『ずっと』って、いつから?」
ちょっとだけ、頬が赤いような気がした。
昨日自分が言ったことを思い返す。『ずっと』って……『今までずっと黙ってて本当にごめん』か。
肩を落として目を伏せた。これ以上怒らせたくはない。
『反省は態度で示せ』『嵐が過ぎるまでは静かに耐えろ』これもリュカに言われたことだ。
「ええと、自分が黒豹だって黙ってたのは――僕と母を襲った犯人とその理由がわからなかったこともあって、パートリッジ家に帰るのが安全とはいえないって祖父ちゃんに言われて――それにどうしても君の側にいたくて――人だってバレたら家に帰されるし、学院に入ってからの君は『攻略対象者』には近づきたくないって言ってたし――それから黒豹でいるのをやめたのは――本当は離れたりしたくなかったんだけど、もう、あのままじゃいられないって思って――魔王のことは、僕が継ぐ領地にはダンジョンがあるって話を小さい頃に聞いたことがあって――ウィリアムに君を取られたくなくて利用したんだ。トリスタンに戻ってからも黙ってたのは――魔王がいるって怖がらせておけばとりあえず君は安全かなって――あれ以上ウィリアムをベタベタさせたくなかったってのもあって――あとは祖父ちゃんが、二人で男爵領に行けば安全だからって――それについてはシュヘルの祖父に聞けって言われて、説明してもらえなかったんだ」
つかえながらもどうにか説明してそーっと目を上げる――。
あれ? さっきよりもエリザベスの頬が赤いような?
低姿勢は崩していないはずだけど、ますます怒らせてしまったのだろうか。
そう思って「あの、ごめん」と、一言追加すると。
エリザベスはなぜか困った顔になって目を泳がせた。
「そっちじゃないけど、まあいいわ」
はっきりしない言葉だけど、いいのだろうか。
それにますます頬が赤くなったように見えるのは、どういうことだろう。
また車内に沈黙が落ちた。
どうやらエリザベスは自分が危惧していたほどには怒っていない……らしい。
頬は赤いままだし目が合うとちょっと不機嫌そうに逸らしてしまうが、それは仕方ないだろう。
第一関門はクリアした、と思っていいだろうか。
それに、昨日はトリスタンのことを確かに『かっこいい』って言ったし、何しろあれだけ会いたがっていた黒豹は自分だ。
第二関門に向かわなくては。
「……あの、エリザベス?」
「何?」
「そんなわけで、もし質問がもうないなら、昨日の続きを話してもいいかな」
そう切り出すと、エリザベスははっきりと警戒する顔になった。
だけど、この話題も避けては通れない。
『王都を出たら、領地に入ったら、大体の説明をすること』
祖父たちにはそれぞれそう言われたけど、
『ジジイどものことは忘れてできるだけ早く全部話せ』
リュカにはそう言われた。
「領地についてから、の君のことなんだけど……」
そう切り出したら、エリザベスは即座にさっきまでの不機嫌な表情を消して頷き、姿勢を正した。もう一度ゆっくり頷く。
本当に、素直で、前向きで。
こんなにいい子、そうそういないよな――うん。
「君は言ってたよね。魔王でもいい、って」
表情の変化を見逃さないように、ゆっくり進める。
「で、僕の領地には『ダンジョン』があって、その最奥には『魔王』がいることになっているし、実際いるらしい。
君は隣国の王子から結婚相手にと狙われていて、今まで無事だったのはウィリアムの婚約者として国が君を守っていたからだ。
君を庇護していたウィリアムに新しい婚約者が決まったことは今日にも国中に伝わるだろうし、君は守りを失うことになる。
国王がそんな状況の君を追放することに賛成したのは、パートリッジの祖父たちの計略と――その辺は政治が関わってくるみたいで詳しくは聞いてない――追放先が『ダンジョン』で君の立場が『魔王』の妻だからだ。君の戸籍は予定通りウィルベリー公爵家から外される」
一つずつ頷きながら話を聞いているエリザベスに困惑はないようだ。
よし。
「で、僕は昨日、今回のことには『魔王』は関わっていない、って言ったよね? それでも君の戸籍は抜かれる――つまり君は――やっぱり嫁ぐことになってるんだ。で、その嫁ぎ先なんだけど」
エリザベスの瞳が微かに揺らいだ。
「君は戸籍上、『シュヘル家』に嫁いだことになるんだ」
今度はよくわからない、といった感じで眉が寄った。
「シュヘル男爵家――今向かっている、僕の母の実家だよ」
わかってもらえただろうか。
「シュヘル男爵家の家族は――今の住人は僕の祖父だけだ。祖母はもう亡くなっているし、前は伯父がいたけれど、僕がまだ小さい頃にダンジョンに潜ったきり行方不明で、生死不明とされている」
エリザベスの表情が曇った。
やっぱり嫌なの、かな。
結婚自体が嫌なのか。
男爵家という身分か。
田舎だってことか。
それともトリスタン自身が嫌なのか――そうではありませんように。
祈るような気持ちで反応が変わるのを待った。
曇った表情が晴れますように――。
だけどひどく慎重に口を開く様子に、言葉を聞く前に落ち込みそうになる。
やっぱり、嫌なの、かも。
「――じゃあ、私、トリスタンのお祖父さんの後妻扱いになるの?」
え?
「……あの、トリスタンのお祖父様って御歳はおいくつ……?」
「いや、エリザベス、そうじゃないよ。祖父は、もう結婚を考えるような歳じゃないし、亡くなった祖母一筋で」
「だって成人している男性がお祖父様だけなら――だから『戸籍上』なのよね? それで、私はやっぱり『魔王』に嫁いで『ダンジョン』に住むの?」
え。
「いや、そうじゃなくて」
「……それなら行方不明の伯父様の妻なの? それでどうやって――」
「違うよ! エリザベス、君は『僕の』妻になるんだ――っていうか、なって欲しい、んだけど」




