60. 旅立ち
涙は、とても我慢なんてできなかった。
婚約者であるウィリアム王太子を軽視し、やりたい放題のエリザベスの態度の悪さに我慢できなくなって非難の声をあげたキャサリンを、「いつまでも平民臭さの抜けない子。公爵家の恥よ」と罵って、さらに諫めようとしたその頬を打った。
一字一句違えずに、エリザベスを非難する言葉を言い渡し、自分は愛する人を選ぶ、と宣言してくれたウィリアムに心からの尊敬と感謝を込めて、国外に追放なんてダメだと訴えてくれたサリーに姉としての愛を込めて、これからの彼らを支えて行ってくれるみんなに祈りと感謝を込めて、虚勢ではなく、本心からの完璧なカーテシーを披露する。
顔を上げれば、ウィリアムの隣には片手で頬を押さえ、涙ぐんだキャサリン。
その横にリュカとナタリア。反対側にはステファンとジュリア。斜め後ろにアントニーとリリアナ。ジョナサンの横には、なんとニコラスの姉のクレアが立っていた――『記憶』では見たことのない展開だ。
そのジョナサンが『演技の下手くそ具合が内心の動揺を表しているように見えるからちょうどいいよ』、と評した『悪役令嬢』を演じきり、みんなに抱きついてキスをしたい気持ちをぐっと堪える。
盛大な茶番だけど、それがエリザベスの学園生活の幕引きなんだから。
この半年間は本当に楽しかった。
『悪役令嬢』の仮面を脱いだ後、アリアンヌとリディアにダメ出しされながらの夜のお茶会も、パートリッジ公爵家に生徒会のみんなで集まって文句を言い合うひと時も。
少しずつ心を通わせていく恋人たちの様子を見るのも。
王都の街を妹と歩いていたらごろつきに絡まれて、ナイジェルに助けてもらった、とリディアが信じられない顔で報告した時はアリアンヌと大笑いして、男の子たちがやるみたいに肩を叩きあった。
リリアナの指に光る石のついた指輪を見た時は女子組で大泣きした。
ジュリアに『壁ドン』をしたステファンがアッパーカットを返されたときは頭を抱え、サマセット公爵家に婿入りの話が来た時のディミトリが『一生食いっぱぐれないから』と速攻で承諾した時はエリザベス以外の女子が憤慨し――実はディミトリは、食用の豚を潰したくなくて隠れて泣いていたミモレットを以前からかわいいと思って狙っていたのだ――と裏事情をバラし、ディミトリに拳骨でこめかみをグリグリされた。
あとは、何と言っても、ウィリアム。
何をしてもろくに反応を返さなかったエリザベス(それはそうだ。何度も見てきたのだから)とは全く違う、初々しい反応を返すキャサリンに、驚き、戸惑い、少しずつ惹かれていく様子を、内心でものすごくにまにましながら観察させてもらって、ついに「サリーを愛している」と自覚した時の様子ったらなかった――。
ゲームなら、それこそデートだけでも、カフェとか、おうちとか、朝までコースとかいろいろあって、決め顔も満載で台詞も山盛りで毎回ドキドキさせてくれたけど、攻略対象の裏側なんていう美味しい部分は初めてだったし、ものすごく楽しめた。
ウィリアムが自覚したことに気がついたその晩はベッドでごろごろと転がって、一人でキャーキャーやらせてもらい、次のお茶会でひとしきりからかい、さらに優しくなったウィリアムに腕によりをかけて落とされるキャサリンを第三者として観察――実に羨ましい体験だった。
ウィリアムの観察に関してはアリアンヌとリディアとも朝まで盛り上がって、それをナタリアとリリアナに羨ましがられ、お泊り女子会を決行したこともあったし、そこでは当然みんなの恋愛事情に花が咲いた。
能力や身分じゃなくて、ただそのままの自分であんなふうに慕ってもらえたら――。何度もそう思って、自分はまだこれからなのだ、とまだ見ぬ将来を思う。
期待と不安。
学年が上がって、前日に壁に十二枚目のナイトの足跡が重なった春の日のお茶会で、翌々月の決行を持ちかけた。
『記憶』にある最短コースの一年二カ月。
初夏を祝う六月のダンスパーティーがあり、当日は幸いにもよく晴れて、いつまでも湿った気持ちではいられないような、追放されるにはぴったり? の天気だった。
くるりと背を向けて、出入り口の近くに待機していたナイジェルとリディアが開けてくれた扉の方に向きを変え、顎を上げて退場する――はずの脚が止まった。
「え!?」
予定ではこのままアリアンヌとその婚約者のユージーン(国際政策部のセカンドだ)が用意しておいてくれた馬車に乗り込むことになっていた。
なのに、そこには――漆黒のマントを纏い、仮面をつけた、長身で黒髪を長く伸ばした男性が立っていた。しかもその傍らには一匹の黒豹。
男性の背後では、綺麗に晴れていたはずの初夏の空がいつのまにか分厚い黒雲に覆われて、あたりは薄暗くなっている。
男性から吹き出す威圧感と冷気に周囲の女生徒たちが悲鳴をあげ、何人かが気絶したらしいのがわかった。
「まさか……本当に?」
背の高い男性は仮面の奥の目であたりを見回して、一歩ずつ確かな足取りでこっちに近づいてくる。
あれって……。
『魔王』が迎えに来た、ってこと――!?。
恐怖が身体を走り抜け、思わず自分の身体を両腕で抱いた。後退りしそうになった脚を必死で止める。この展開も、『記憶』にはない――。
行くつもりではいたけれど、迎えに来られるとは思っていなかった。
だけど迎えに来たということはつまり、自分はたった今からこの人と生きることになる――。
「約束通り、妻を迎えに来た」
地の底から響くような声で男性が言う。
やっぱりこの人が。
背は高いけれどそういえば顎のあたりがトリスタンによく似てるし、瞳も――と、仮面の奥の瞳が金色に光った。
「え? トリ……っ」
「しっ」
思わず呼びそうになった名前が口から出ることはなかった。
腕が伸び、腰を抱かれ、後頭部を捕らえられ、そのまま唇を塞がれそうになったからだ。
直前で止まった唇が、笑みの形に歪む。
また女生徒たちの悲鳴が響いた。
けれど、恐怖はない。
力強い腕とは対照的な、優しい瞳。
「確かに、返してもらった」
得意気な声と笑みの浮かんだ口もと。
そのまま踵を返して進む相手の腕に引きずられるようにして、それでもどうにかついて行き、今度こそアリアンヌとユージーンの用意してくれていた馬車に乗り込む――エリザベスと『魔王』に続いて『黒豹』も乗り込んだ。
あっという間にドアが閉まって馬車が走り出すと、後ろから乗り込んだはずの黒豹がポンッとかわいらしい音を立てて小さな雀に変わった。
「チュンタロウっ!?」
「お疲れさん、もう帰っていいぞ。祖父ちゃんに「うまくいった」って伝えてくれ」
馬車の窓を開けると、小さな雀が飛び去る。
「トリスタン! やっぱり! どういうこと――!?」
男性が仮面を取り払うと、しゅん、と身体が縮んだ。さっきまでの威圧感はきれいさっぱり消え失せて、出てきたのはいつもの短いくせっ毛とそこだけは変わらない優しい瞳。
安堵でおもわずしがみつきそうになった。
「エリザベスは演技が下手くそだから、黙っていようって話になってたんだ。まさかバレると思ってなかったから焦ったけど――。大丈夫。後は、全部みんなが上手くやってくれるよ」
楽しそうな声で言う。
「みんな、って――みんなもトリスタンが来るって知ってたの!?」
「君が魔王に連れ去られるところまでが今日の計画だったんだよ。単に追放されるだけじゃなくて予定通り魔王の手に渡ったってこと――これならリナリア王国の王太子もちょっとやそっとじゃ取り返そうとはしないはずだ。
それに『悪役令嬢』は『報い』を受けることになったって周りも考えてくれるだろ? 納得のエンディングを用意しておかないと、君の言ってるシナリオとやらに覆されそうだから――これでばっちり」
ちょっと窓の外をのぞいて、誰も追いかけてこないことを確認する。
「さあ、ここからは僕たちのストーリーだ」
やっと第一部、終了です。
のんびりストーリーにお付き合いありがとうございます。
第二部に続きます。




