61. 自分のストーリー
さて、ここから……。
トリスタンは正面の座席に座ったエリザベスを見つめた。
『できるだけ早いうちに全部話せ』と言われた――リュカに。
『王都を出るまでは黙っていろ』と言われた――パートリッジの祖父に。
『領地に入るまでは話すな。むしろ一年くらいは黙ってろ』と言われた――シュヘルの祖父に。これはどういう意味なのかよくわからないけれど。
ここはやっぱり、リュカの忠告に従うべきだと思う。
何より、できるだけ早く話しておきたいのは黒豹のナイトのこと。
それだけはどうしたって話さないわけにはいかない。
領地に行けばダンジョンはあるけれど、そこに黒豹がいないのはごまかせないし、あれが自分だということはできるだけ早く話さないと。
そしてそれを話すからには他のことも話さないわけにはいかないし、一番重要なのはその後――。
魔王は関係ないんだから結婚する必要はないのにやっぱり結婚しなければならなくて、その相手が自分だってことを、どう伝えたら――やっぱり、プロポーズするべきかな。でも、断られたら――というか、断られてもどうしようもない……んだけど。
今現在行われているだろう手続き、それを覆すことはできない。少なくとも、書類上は。
だけど、やっぱりそれだけじゃダメだ。
また息を吐いて、開いた口を閉じた。
リュカの助言を思い出す。
「ジジイに言われたことは忘れて、馬車が出たら、その日のうちに正直に全部話せ。できるだけ早い方がいい」
その通り……なのだろう。
正しかった前回の助言を思い出す。
『殴られるくらいは覚悟して全部話せ。大丈夫だから』
そう助言されて、言われた通り全てを話したときにウィリアムに殴られた左の頬を撫でた。
あれはかなり……痛かった。
「次に俺に隠し事をしたらお前は『一人』で国外追放だ」
そう言われたけれど、確かに大丈夫だった。殴られたのも一回だけだった。
だから自分は、長兄の助言は聞き入れる価値があると思っている。
だけどとりあえず、両公爵家に寄って着替えてちゃんと出発するまでは黙っていよう。
~~~~~~
エリザベスとトリスタンを乗せた馬車はウィルベリー公爵家に直行し、その後でパートリッジ公爵家に寄る。
ウィルベリー家の馬車はそこで帰し、二人は男爵家の領地までの旅の間に必要な物を詰めたカバンとトランクを積んであるパートリッジ公爵家の馬車に乗り替え、改めてトリスタンの祖父が管理する領地へ向かう計画になっている。
どことなく落ちつかない様子のトリスタンを見つめ、エリザベスはほっと息を吐いた。
さっきはびっくりしたけれど、トリスタンでよかった――そう胸をなでおろす。
トリスタンは視察を兼ねて領地まで送ってくれることになっていて――「わざわざそんなに遠くまで行かせるのは申し訳ない」と断ろうとしたら、「昨年リュカとウィリアムと行くはずだった視察がなんだかんだあって中止されたせいで、まだ行ったことがないからちょうどいいんだ」と言われ、ウィリアムも頷いたので結局言葉に甘えることにした。
ウィルベリー公爵家での滞在はできるだけ短かく済ませた。
不機嫌な父親と義母親しかいない家にはゆっくり思い返したいような思い出もない。長々といたい場所ではないし、必要なものはすでに送ってある。それにトリスタンを長々と待たせたくもない。
手早く旅装に着替えて戻り、両親に短い別れの挨拶を済ませる。下げた頭を上げて振りかえったら、後ろのトリスタンの方が深く頭を下げていて――ちょっとびっくりした。
次はパートリッジ公爵家による。
出発した馬車の中で「さっきまで着ていた水色のドレスは置いて来たの?」とトリスタンに聞かれて頷いた。
今日着ていた、瞳の色と同じ薄い水色のドレスは、父親が今日のためにあつらえさせた最後の贅沢品で、高価なクリスタルがふんだんに使われていた。けれど正直重かったし、そんなドレスは田舎では邪魔になるだけだし、今後使うこともないと思ったから部屋に置いて来た。
今までのおわびのつもりなのかなんなのか知らないが、だったらもっと使い勝手のいいものがよかったのに――そんなことを考える。
「最後までお父様とは感覚が合わなかったわ……エプロンとか革靴の方が役に立つのに。調味料とか香辛料なら使い道もあるし……つくづく残念」
ため息を吐くと、なぜかトリスタンもため息を吐いた。
どういうことかと眉を上げる。
「すごく似合ってたから。綺麗だった」
そんな飾らない誉め言葉に嬉しくなった。
きっとこれからの自分には正装する機会なんてこないんだろうな――それが少しも悲しくないことに気づいて心が軽くなる。
「ありがとう。でも、あれってかなりコルセットを締めるから一人じゃ着られないし、ものすごく苦しいのよ?」
必要ないし、むしろない方がいい。
そういうつもりで言ったら、「僕もウイングカラーのシャツに蝶ネクタイは苦手。今日は我慢したけど。この服は父のを借りたんだ――祖父ちゃんの魔法で成長させてもらったら身長と――なぜか髪の毛まで伸びた」まくったズボンの裾を示しながら、苦笑する。
「私ならコルセットをつけなくていいなら蝶ネクタイくらい余裕で我慢するわ。ちなみにハイヒールも、踏みたい相手がいるとき以外は履きたくないわ」
「じゃあ、踵の高い靴を履いているときはかなり怒ってるってことだね。気をつけるよ」
トリスタンがちょっとだけ身を引いて言う。
「ふふ。持って来なかったわ。やっと社交界から離れられる――やっほう」
得意気に笑うと今度はトリスタンもちゃんと笑ってくれた。
パートリッジ公爵家には祖父とローランド伯父――トリスタンの父がいた。
この二人はどちらも全て承知済みと聞いている。
トリスタンには時間を取らせてしまって申し訳ないが、ついて来てくれるのはとてもありがたい。着替えに行ったトリスタンを待つ間に心を込めてお礼を言ったら、なぜかローランド伯父はエリザベスの手を取って――「こちらこそくれぐれもよろしく頼む」と訴えられた。
行先はダンジョンがあるという土地だし、道中、あのシルヴァヌスの子のような、聖魔法が必要になるようなやつが出るのかもしれない。
とすると、行きはいいとして、トリスタンの帰りの護衛はどうするのだろう――聞いてみようかと思った時、祖父に手紙を渡された。
「ホルストに会ったらの、できるだけすぐに直接渡すんじゃ。開封して読んだことを確認するんじゃぞ。さ、もう行け、遅くなる。トリスタン、くれぐれもしくじるなよ」
そう言って歩きだす――ローランド伯父の背中も押している。
「ローランド、お前は仕事をしろ。さっさと手続きを終わらせんとな」
着替えて降りて来たところだったトリスタンが、祖父の一言だけの別れに眉を寄せ――「じゃ、元気で」と、取って付けたように言って、玄関に向かう。
随分あっさりした別れの言葉にそれでいいのかと思った後で、それもそうかトリスタンは視察が終わればここに戻って来るんだから、と思い直した。
パートリッジ公爵家の四人乗りの馬車に二人で向き合って座り、進む。
今日は王都の外れまでだ。
殆どの荷物は既に送ってある。マリーまでが「先に行っています」と先週出立していた。
それを聞いて驚いたエリザベスに、「ホルストが向こうには女手がないと言っておったのでな。いろいろ準備もあるようだったので先に行かせたんじゃ」と、説明してくれたのはパートリッジの祖父だった。マリーの雇い主であるはずのウィルベリー公爵――つまり父ではなくて。
どうやらマリーの雇い主は完全に祖父に変わったらしかった。
「落ちつくまでそっちにいるようにと言ってあるから、心配事は相談するんじゃぞ」
そう言ってくれた心遣いに感謝した。
女手がないのであれば、いろいろマリーに確認したいことは出て来るはずだ。いくらなんでも着いたその日にダンジョンに連れ込まれたりしないはずだし――たぶん。
向かいの座席に座っているトリスタンを見ながらの穏やかな旅程が始まってみれば、がっかりしている自分に気づかないわけにはいかなかった。
予定通り無事に馬車が出てしまえば気になるのはやっぱり今後のことで、パーティーでの茶番がお芝居なんかじゃなくて、自分を妻にと望んだ『魔王』が、本当にトリスタンだったらよかったのにと思ってしまう自分を情けなく思う。
広間の出入り口に立っていた見知らぬ男性。その人が『魔王』なのだと思った時、エリザベスが最初に感じたのは恐怖だった。
あの時相手がトリスタンだと気づかなかったら、逃げずに踏みとどまっていられただろうか。
顎のラインが似ている、と思ったとき、ちょっと安心した。
トリスタンと似ているならいい人じゃないだろうか、って思ったから。
その後で瞳の色が同じだと気がついたときは嬉しいとさえ思った。
すぐに見覚えがあることに気づいて――それが『記憶』の『魔王』、つまりトリスタン本人に似ているせい――しかも本人だとわかって驚愕に変わったけれど。
言葉を封じるために引き寄せられた時は、やっぱり驚いたけれど嫌じゃなかった――あのままキスをされても嫌がったりしなかったと思う。
だけど、あれが本当に見ず知らずの男性だったら自分はどうしていただろうか。
自分は『魔王』の『妻』にと望まれている。
ウィリアムの妻になるくらいなら魔王の方がマシ――そう言い続けてきたけれど、はたして、本当にそうだろうか。
もちろんウィリアムの妻になりたいわけじゃない。
そこは違う。
ウィリアムはキャサリンの相手だし、それはこの半年観察したのだから絶対に確かだ。毎度のことだけど、自分がやったことに後悔はない。後悔はないのだ。
だけど。
だったら自分の相手は。
まだ見ぬ魔王様は、本当に自分を大切にしてくれるだろうか。
ウィリアムがキャサリンを、リュカがナタリアを思うように、愛してくれる? 大事にしている使い魔を攫って、脅すような人が――?
首をもたげた不安につい小さなため息が漏れたら、トリスタンが眉を片方上げてこっちを見た。
何か言いたそうにしているけれど、何も言わない。
さっきは『魔王』に見えたトリスタンは今はちゃんと本人で、つまり『魔王』になってしまったわけではない。だから自分の相手ではない――。
あのゲーム――トリスタンはどうして『魔王』になったのだろう。
本人は何も知らない様子だし、誰に聞けばいいのかもわからない。
だけど。
――今は風景を楽しもう。この街道だってきっともう見ることはないんだから。
そんなことを考えながら、エリザベスは窓の外に視線をうつした。




