57. ウィルとの話し合い(策略)
「あ~。……行きたくない。……会いたくない。……気が重い」
翌週の放課後、エリザベスはリュカに頼んでウィリアムをいつかの面談室に呼び出してもらった。
『サリーと仲良くしても自分の気持ちが揺らがない』ことを証明するために行動で示せ、と促すために。
ごねられるのは必至。
逆に口説かれるかも。
それを考えただけで気が重い。
丸一日悪役令嬢モードで過ごしたことによる疲れもある。
「がんばれエリザベス! 未来のため、ナイトのため! 追放の未来を勝ち取りなさい!」
口の中で呟いてスカートの襞を上から押さえた。
ポケットに忍ばせたのは、壁から外してきたナイトの足跡の手紙。
せめてものお守りだ。
面談室のドアをノックをして開けると、既にそこにはウィリアムがいて、奥の窓際に立ってこちらを見ていた。
部屋の照明がついていなかったので逆光になっている。その影までかっこいいのだから、さすがだと思う。
半ば呆れ、半ば諦めて息を吐く。中に入って明かりをつけると、ウィリアムの表情がわかった。
眩しいものを見るように少しだけ目を細めて、口元には微笑み。
久し振りにまともに見たウィリアムは、やっぱりこの世界断トツのハンサムだった。
影の方が無害だったかも。
そのまま隣まで歩いていくと、ウィリアムは少しだけ驚いた顔をした。
エリザベスが自分からウィリアムに近づくのは三カ月ぶりだから当然だと思う。自分がやっていることに小さく胸が痛んだ――けれどその顔と痛みには気づかなかったことにする。
ゆっくりとその顔を見上げながら、この人の目に自分はどんなふうに映っているのだろう、と思った。
本物のエリザベスを見ていない。虹色フィルタがかかっていると思う。
そのままウィリアムが動こうとしないし声も発しないので、エリザベスは自分から口を開いた。
「座っても?」
ウィリアムがハッとして瞬きをする。
小さく首を振るところも、やっぱりフィルタがかかっていたとしか思えない――少しは取れたといいけれど。
「それは『座るな』ってこと?」
違うのはわかっていたけれど、聞いた。
「いや、そうじゃないよ――ごめん。久しぶりだったから、ちょっと君に見とれてたんだ。どうぞ、座って」
今のは、口説き文句じゃなくて、正直に言っただけだろうか。
とりあえず標準仕様の甘い言葉はそのまま流して、窓に背を向ける位置にある椅子に座ると、低めのテーブルを挟んだ反対側――廊下に近い方にウィリアムも座った。
上座下座は逆だけれど、随分前から二人の間にそういった気遣いはない。特に今は二人だけだし、思うところもある――出入り口のドアに嵌めてある小さな擦りガラスに、人影が映るところは見せたくなかった。
暫し黙る。
そしてしっかり息を吸ってゆっくりと切り出した。
「ウィル、今日は聞きたいことがあって――それに、これからのことを話したくて、呼んだの」
優しい顔。ゆっくり頷く動き、額にかかる前髪。
一七歳の誕生日を迎えたばかりの王子様は、どれひとつとっても文句のつけようがない容姿をしている。やっぱりというかさすがというか――だけど、見とれている場合ではない。
今は、進まないと。
「あなたが私達の婚約を破棄する方向に動こうとしないのは、なぜ?」
答えを予想しながら静かに聞いたら、小さな笑み。
「破棄したくないからだよ。エリーにはこのまま僕の妃になって欲しいんだ。何度もそう言っただろう?」
「ええ聞いたわ。でも、それはなぜ?」
お茶会の後半でリュカが話してくれたように、①魔王の下に行くエリザベスを友人として心配しているのか、それとも②エリザベスのことを愛していると思っているせいなのか、はたまた③将来の国王としてエリザベスの能力の有用性を考えているのか。
ウィリアムは即答しなかった。
じっとエリザベスを見つめてから、長めの息を吐く。
「君を手放したくないからだ」
それは、③か、もしくは②か。
「私を所有物だと思ってるの? 私は人間よ?」
「妻にしたいとは思っているけど、所有物だとかそんなふうに思ってるわけじゃない。君が好きなんだ。一緒にいたいって思うんだよ」
それは②か、①か。
「その気持ちはどういうことなの? 友情? 愛情?」
「どっちもだよ。僕たちはいい夫婦になれると思う。仲良しで、穏やかな」
ということは①と②のミックスか。
「知ってると思うけど、私は嫌がってるのよ? ちなみにウィルへの感情に友情はあっても恋愛感情はないわ」
ウィリアムが傷ついた顔をする――でも、それがエリザベスの正直な気持ちだ。
「……認めたくないな。それに感情はこれからゆっくり育てればいいだろう?」
「ウィル、私達が出会ってから何年経ったと思うの? 手の内はバレてるんだし、いまさら恋愛感情なんて育たないわ」
「友情で繋がった夫婦だっているよ」
「私は結婚相手とは愛情で繋がりたいわ」
「僕もそう願ってるよ」
ウィリアムが浮かべた笑みは揺らがない。
「だから相手を変えましょうよ」
「エリー、僕が君をむざむざとあれ(・・)のところに送り出すと思うのか?」
今度は①か。一応『魔王』という言葉は出さないでくれている――学院内だし。
「私は望んでるわ」
「それは国のため? それとも僕のため? エリー、君が犠牲になる必要なんて――」
「私のため、よ」
ウィリアムの言葉をきっぱりと遮った。
「思いあがらないで、ウィル。私が国のために自分を捧げようとしているとか、自分が私に慕われているとか、そんなのは全部あなたのいい加減な思い込みなのよ。私には自己犠牲の精神なんていう高尚なものはないし、あなたの妻にはなりたくないの。だから早く自由にして欲しいのよ」
「エリー、王子とあれ(・・)を比べてあれ(・・)を取るやつなんていない。誰にだってわかる。君の行動は素晴らしいと思うよ。実に君らしい行いだと思う。だからこそ、そんな君を追い出すことなんてできない」
だからそれは思い込み――だけど、これ以上この方向で進めても、おそらくまたいつもの平行線だ。
今日はその先に進むための話し合い。
一つずつ、崩そう。
いったん心を落ち着けて、しっかり息をした。




