47. 足跡の手紙
『トリスタン・トルクアルタ・パートリッジ』
じゃあ、この目の前の少年が。
「トリスタン……? あなたが?」
そう言われてよく見てみれば、リュカに似ているような。黒髪のくせ毛とすっと通った鼻筋。月明りの下でもわかる、意志の強そうな眉と顎。きゅっと結んだ唇。
最後に現れた攻略者候補は、ゲーム内でダンジョン攻略仲間として冒険をしていた時とは全く違う硬い表情をしていた。
「行こう」
それだけ言って背を向けようとする。
立ち上がろうとして、つま先に硬いものが触れた。さっき落としてしまった本だ。
「あ、あの、ちょっと待って、私、本を戻さないと――」
「カウンターに置いておけば、明日職員が戻してくれる」
俯きがちに歩きだす少年の背中を追いかけ、言われたとおりに本を置いて外に出る。図書館の中も外も、迷いなく進んで行く。
この学院に来てまだ一か月だというのに、随分慣れたらしい。
しばらく無言のまま歩いた――話題も、ないし。
魔王やダンジョンのことを聞いてみたかったけれど、初対面でそんなことが聞けるはずもない。
それにさっきはすごく驚かせてしまった。
それでも、迎えに来てくれたことにお礼は言いたい。
「……あの、来てくれてありがとう。迷惑をかけてごめんなさい。驚かせたことも」
トリスタンの歩く速度がちょっとだけ遅くなった。
振りかえってエリザベスを見て、軽く首を傾げる。
「……何で、あんなところにいたの?」
聞かれて申し訳ない気持ちがまた襲ってきた。でも、そこは迷惑をかけたのだから正直に言った。
「あの、この頃よく眠れなくて。日向のソファにいたらつい、うとうとしちゃって、気がついたらこんな時間に……ごめんなさい」
「眠れない? 悩み事?」
その言葉に気軽な質問以上の気持ちはなさそうだった。
けれど初対面の男の子に悩みを打ち明けるようなエリザベスではない――それがよく知っているゲームの攻略対象者でも。
何しろトリスタンは将来の『魔王』関係者だし。
そう思って黙ったままでいたエリザベスに、トリスタンがもう一度聞いた。
「『ナイト』って言ってたよね? さっき」
う。
しぶしぶ、少しだけ説明する。
「……私、その……『ナイト』っていう使い魔が、いたんだけど……いなくなっちゃって。……元気でいるか、心配で、その……この頃嫌な夢を見るの。ちゃんとご飯がもらえていなかったり、鎖につながれて逃げられなくなっていたりして……そういうわけで、よく眠れなくて。でも、ごめんなさい。次からはちゃんと寮に帰って寝るようにするわ。みんなを心配させたり、こんなふうに迷惑をかけるつもりはなかったの」
返事はなかった。
呆れられたのかもしれない。
そう思ってそーっと様子を窺うと、トリスタンはなぜか変な顔をしていた。
怒っているような、呆れているような、喜んでいるような、それでいて申し訳なさそうでもある、といった感じの、なんともわけのわからない顔。
黙ってまた歩きだした背中を、静かに追いかけた。
来客用の応接室では、その場にいた大人たちにひたすら謝った。
今後気をつけるようにと言われ、エリザベスに気づかず図書館を施錠した職員にも厳重注意を行うと言われたけれど、悪いのは寝不足で図書館に行って奥まった場所で寝てしまい、閉館のアナウンスもチャイムも聞き逃してしまった自分だ。どうか職員を責めないで欲しい、と嘆願した。
とりあえず無事でよかったとあっさり許され、その場は解散となり――祖父にもお礼を言って謝罪した。
「なに、チュンタロウが窓の外で見ておったし、このくらいのこと、騒ぎでもなんでもないわい。先週はディミトリとナイジェルが夜中に寮長の部屋から酒瓶を盗みだして宴会をやりおったし、その前の週にはステファンがアントニーの恋文を複製して女子寮にばらまこうとして一騒動やりおった――図書館で寝過ごすなど、かわいいものよ」
ふぉっふぉっ、と笑う祖父の笑顔にはけっこう迫力があった。
……先週、ディミトリとナイジェルが寮のベランダに明け方まで吊るされた、という噂が流れていた。そして先々週、ステファンは三日ほど学院を休んで女子たちに心配されていた……。
なるほど。寝過ごすなんて確かにかわいいものだ。
その様子を見たかった――そんなバックグラウンド、ゲームには出てこない。
そんなことを考えながら寝たので安心したせいか、その夜は嫌な夢は見なかった。
かわりに、満月のような金色の瞳のちょっと困った顔をした男の子が出てきて、やっぱり困った顔で肯定するように小さく頷いてくれた。
そして翌朝。
エリザベスに手紙が届いた。
白紙の便せんに、見慣れた足跡が一つ。
それだけだったけれど、嬉しくて涙が出た――。
がんばろう、と思った。
それだけで一気に元気を取り戻したエリザベスは、その日から気合を入れて『悪役令嬢』を実行することに決め、断罪追放をバッドエンドと考えるのをやめた。
わざわざ転生したんだし、きっと自分の幸せはその先にある。
「よし、負けるな、エリザベス! 目指せ、エヴァー・アフター!! 待ってろ、『魔王』様!」
久し振りに拳を突き出して、いつもそこに乗せられていた前足がないことを少しだけ悲しく思う。
だけど、ぼやぼやしている時間がもったいない。
それまでの一か月はいつものようにウィリアムに優しく声をかけられても、かわいい花をもらっても、ナイトがどこでどうしているかばかりが気になってそれどころではなかった。けれど、前向きになってみたとたんにもうそんなことをする必要はないのにいまだにウィリアムが贈り物を続けている不思議にも気がついた。
それで「何をしているのか」とウィリアムに問い質し、「君を正妃に迎えたい」とあらためてプロポーズされて、唖然となった。
何の冗談かと思い、「そんなことはできない、無理に決まっている」と即事却下したものの、冗談ではないらしいことがわかっただけだった――そして心を落ち着けるために寮の自分の部屋に駆け込んだものの――いつも愚痴を聞いてくれていたナイトはいない。
けれど壁に向かうのはやめ、かわりに届いた手紙を壁に貼ってみた。
相変わらず、ナイトは足跡だけでも額と壁の救世主で、紙一枚でも効き目は十分だった。
~~~~~~
あれだけ抗ってもストーリーは覆せなかった。
エリザベスがどれだけ頑張ったかは黒豹の姿でずっと傍らにいた自分がよく知っている。
つまりエリザベスはどうあっても追放されるのだろう。そう思った。
その時が来たらちゃんと自分の姿で一緒に行けるように、誰にも文句を言わせない、それだけの力を備える。
そのために今できることはパートリッジ家に帰ることだ。それがストーリーをそのまま進めることだというのはおおいに気に入らないが、そこは今さらだ。
そして、その時が来るまでエリザベスからあいつを遠ざけておくこと。
そこは心の平穏のためには避けられない。エリザベスだって困っていたし。
そのためにちょっとだけ黒魔法を使って小細工をした。
祖父の手を借りて二人の夢に恐ろしげな声を送り、ウィリアムの部屋の扉に前足の爪で傷をつけた。昼間の婚約式でできなかった鬱憤も込めたら……思いのほか深い傷跡になったのは……まあ、いいことにした。
自分に四学年に編入するだけの学力と技術力が余裕であるのはわかっていた。ずっとエリザベスと一緒に学んでいたし、実技だけならもっと上の学年の授業も見学していたし、それを難しいと思ったこともなかったから。
さらに上を目指したい、と父に相談し、祖父の協力も得た。
学院の寮には入らず、王都にあるパートリッジ公爵家の別邸から必要な授業がある時だけ通い、それ以外の時間は祖父の助手として魔法の手ほどきを受けることにしてもらった。
どうせエリザベスと同じ部屋には帰れないのだから、集中できる環境にいる方がマシだし、自分が欲しいのはいざという時は誰をも納得させられるだけの力だ。
かつて母親と住んでいた離れには戻らず、部屋も祖父の隣を使うことになった。
父も祖父もなにやら複雑な表情をしながらも、できるだけの便宜を図ってくれた。
兄たちはみんなトリスタンが戻ったことを喜んでくれた。特にリュカは。
――それに少なくともどの兄の表情もその母親の表情も明るかったから、自分の母は跡目争いでの取り違えによって犠牲になったわけではなかったのかもしれない。そう感じて少しほっとした。
もちろん父と祖父の目の前で狼狽えるわけにはいかないのだから確実ではないとわかるけれど、家族を疑いたくなかったし安心して過ごせそうなのはありがたかった。
そんな感じでドタバタと方向性が決められて、あっという間に新学期――登校してみて気になったのは学院で見かけるエリザベスの虚ろな表情だった。
前向きな笑顔が――いつだって落ち込まずに次を見据えていた瞳の輝きが見られない。
ウィリアムがほぼ無視されているのはよかったけれど、あんな表情はさせたくない。
そう思っていたところに、図書館での寝過ごし騒ぎがあった。
祖父に言われたとおり図書館の奥まった場所に迎えに行って、いきなり抱きつかれた時は口から心臓が出るかと思うほど驚いたけれど、どうにか気を取り直してなんとか話を聞いて――いなくなった使い魔が心配でよく眠れないのだと聞かされた時は、申し訳なくなった。
あんな黒豹一匹、しかも無事だと祖父が断言したはずだ。
半ば呆れ、それでも隠し切れない喜びで頬が緩みそうになったのを無理やり我慢して歩いた。
家に戻ってから祖父と相談し、手紙とも言えないような手紙を送ることにした。
二日後にはなにやら元気にウィリアムを問い詰めていたから、ちゃんと元気になってくれたみたいで、ホッとした。
そしてたったあれだけの紙きれでも喜んでもらえたことで、ますますやる気がアップし、さらに勉学に励むことにした――ちゃんとしたナイトになるために。




