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世界の終りまで君と  作者: 佑
第一部 第三章 悪役令嬢の理由
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43. 婚約式と小さな別れ

 その日は綺麗に晴れていた。

 トリスタンは会場の隅で――ただおとなしく見ていた。


 船上での騒ぎから二週間も待たずに執り行われた、ウィリアムとエリザベスの婚約式。

 それは城の中庭にある小さな聖堂の前で、伯爵位以上の貴族だけを呼び、簡素に行われた。


「仕方ない。今日は転生特典だと思ってウィルの観察でもするわ――ゲームでは見られない部分だし、きっとカッコいい格好をしてくるはずだから。つくづく、第三者として外側から見られないのが残念。いっそここでサリーと入れ替わってしまえば全て解決――ってわけにはいかないか。リナリア王国のロクデナシ王太子のせいで、ホント散々だわ」


 そうぼやきながらもいつもより丁寧に髪の毛を結われ、瞳と同じ淡い水色のドレスを身に纏い、うっすらと化粧までさせられたエリザベスはとても美しかった。


 礼服を着たウィルベリー公爵に手を引かれて進み出る様子はさすがに少し緊張しているようだったけれど、王と王妃、そして銀の正装に身を包んだウィリアムの前まで行くと足を止め、軸のぶれない完璧なカーテシーをしてみせた。


 立ち上がる時、ウィリアムの斜め奥にある植木の茂みの影にいるトリスタンに気づいて、にこりと笑う。

 それを見たウィリアムが笑顔になった――お前への笑顔じゃない――噛みついてやりたくなったけど、堪えた。


 婚約の言葉は男性側から贈り、女性側が受けるのが通常だ。

 エリザベスを未来の妻に望むという内容の言葉たちを一言一言大切に述べるウィリアム王太子。

 それが心からの言葉であることを知らないのは、おそらくエリザベスだけだろう。

 そしていつものようにエリザベスの瞳にあるのは友情だけ。

 そこに慰めを得たトリスタンは、いつの間にか出していた爪を引っ込めて一歩退いた。


 控えめな笑顔でウィリアムを見上げるエリザベス。

 にこやかな大人たちの顔。


 これまで二人はけして仲のいい友達以上の関係にはなかったし、今もエリザベスの気持ちは変わっていない。

 無駄な努力を、ご苦労様――そんなふうに思ったことは何度もあった。


 なのに。今日は違った。


 今もエリザベスの瞳にあるのは、他のみんなに向けられるのと同じ、たんなる友情。


 なのに。


 誓いの言葉を述べたウィリアムは、エリザベスの簡素過ぎる返事――「お受けいたします」という声を待って、静かにエリザベスを抱き寄せた。


 その手が。

 トリスタンの喉の奥から微かに唸り声が漏れた。


 心から大切に思う人の額にキスをして、嬉しそうに抱き寄せるその手は、今までのような仲の良い友人同士のものではなかった。


 普段エリザベスをエスコートするときのウィリアムは左手でいつもエリザベスの右手をとっている。いわゆる手をつないでいる状態に近い。けれど、今日のウィリアムは、左手でエリザベスの左手をとり、背後から回した右手で腰を引き寄せた。


 自分のものだと主張するような行動。

 その近さと大胆さにエリザベスが驚いて目を見張り、笑顔を作りなおす。その表情は、硬い。


 大人たちに囲まれて祝いの言葉を受けながら笑顔で礼を述べるエリザベスは、あの状態を喜んでいない。それはトリスタンにもわかっているけれど。


 もっと喜んでいないのは、自分だ。

 はっきりと唸り声が漏れている。ふと目をやれば、ひっこめたはずの爪も全部、出ている。


 あそこにいるべきなのは――自分だ。あれは僕の姫で、僕が守るべき人だ。


 エリザベスを他国に取られないために、どうしようもなかったのはわかっている。この婚約なしにエリザベスを守れるだけの権力は、エリザベスの実家である公爵家にもない。


 頭ではわかっても、心は納得していなかった。


 誇らしげな王太子からすぐにでも奪い返したくて、飛びかからずにいるだけで精一杯だ。

 足下の石に、じわじわと爪の跡が彫り込まれる。

 これを、あいつに突き立てたい。


「君の隣にいたい。本当の僕で。君は僕の――」


 口に出して呟いて、ハッとした。

 『かわいい』と毎日思って見つめてきたエリザベスを、その朝『美しい』と思ったこと。

 まだ――まだ大丈夫だと思っていたけれど、もう、これ以上は――無理だ。

 ニコラスが馬車の中でエリザベスに聞いた通り、もう『子猫』を装う時期じゃない。


 ストーリー通りになるのは嫌だった。決められた通りに進むことを認めるのは、嫌だ。

 けれど、誰かの婚約者として過ごすエリザベスの隣で、エリザベスがあんなふうに手を触れられている横で、何でもないふりなんてできない。


 トリスタンは身体を引き剥がすようにその場を離れた。

 婚約式のあとは軽い食事会だ。

 これ以上笑顔で仲良く振舞う二人を見ていたら、たとえエリザベスのそれが作り笑顔だと知っていても、きっとあの王太子の顔に爪を立てるだけでは済まなくなる。その喉に牙を立て、血が吹き出す様を見たくなる――。


 背を向けてどうにか遠ざかりながら、きっと快感だろうな、と思って、その激しさに自分で驚いた。


 それからエリザベスのことを考えて強く頭を振った。

 そんなことをしてもエリザベスは絶対に喜ばない。そのくらいのことはわかる。


 そのまま会場を離れようとして――礼服の人々の中に白髪頭の祖父を見つけた。そっと近づいて行くと、最初からトリスタンに気づいていたのだろう、ゆっくりと歩いてきて足を止めずに一言だけ静かに聞いた。


「戻って来るか」


 頷こうとして躊躇う。


「……今夜、帰るよ」


 祖父以外の誰にも聞こえないように抑えた声で返事をすると、祖父は頷いて、そのまま歩調を変えずに歩き去った。


 それからはエリザベスが戻って来るまで、心を落ちつけながら、ウィルベリー家の馬車の中で丸くなっていた。

 幸いエリザベスはそれほど長くいることはなく、一人で戻ってきて、小さく息を吐いて柔らかい座席に腰掛けた。


「緊張して疲れたからって言い訳をして後はお父様に任せたわ。どうせ解消するんだし、茶番につき合うのもバカバカしいし。まったく、お父様ったらこういう時だけ父親の顔をして――まあ、後で裏切ることになるんだから、やらせておくけど。でもお義母様が地位にふさわしい感じになっていてよかった。あれならいつサリーと交換になってもどうにかなるわね」


 トントン、と天井を叩いて馬車を出すように合図する。


「アリーとサリーが来ていないのが本当に残念だわ。せめてサリーだけでも連れて来てって言ったのに。自慢したがっていると思われたのは心外……でもないか。むしろこれを機会にウィルと踊らせてそのまま押し付けようと思ってたのにな~。ま、サリーとは特別仲良くしているわけじゃないから仕方ないか」


 ドレスの襞の間に隠されたポケットからハンカチを取り出して、口紅を拭い去る。頬も眉も――すっきり素顔に戻りはしたものの、やはりエリザベスは美しかった。


「ふ~」


 今度こそ安堵の息を吐いて、黒豹のトリスタンに手を伸ばすと、ぎゅっと抱きしめて頬をすり寄せた。

 その力がいつもより強い。

 このために化粧を落としていたのだと思い至った。


「今日のウィル、なんか、変だった」


 ボソッと呟いてもう一度息を吐き、また頬をすり寄せる。

 王太子が本気でエリザベスを望んでいることに少しは気づいたのかもしれない。

 ちゃんと警戒して――できるだけ遠ざけておいて欲しい。


「最初なんだし仲良く見せたいのかもしれないけど……まあ、出だしから仲が悪いっていうのは外聞が悪いもんね? だけど、さあ……」


 エリザベスは珍しくそのまま口を噤んで外を見やった。


 その夜。

 トリスタンは少し悩んでから、これまで使ったことのない魔法を使った。

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