44. 新学期
「お姉様? 今日はどうするの?」
早めに登校の準備を終え、エリザベスの部屋にやって来たアリアンヌが聞いた。
婚約式から三カ月。
「昨日は『悪役令嬢モード』で一日過ごしたから、今日はアーノルドお祖父様のところよ。午前中はお掃除で、午後はお料理。とにかく学院にはいないわ。ウィルに会うと気まずいし……ウィルってば、私があれをやると必ず不機嫌になるんだから。
アリーにお願いするのは午後の二時間――白魔法の講義だけよ。代わりに出席しているフリで、がんばってね。誰かに聞かれたらうまくごまかして。食い下がられたら、私は腹痛のヤギを治療しに行ったとかなんとか適当に――とにかくうまくごまかして。
リリアナはうまくサリーを生徒会に誘ってくれたみたい?」
「……そんなわけのわからない言い訳を実際に使おうとは思わないけど、覚えておくわ」アリアンヌが呆れたように言って、続けた。「それとサリーなら、ええ、今日の放課後には生徒会室に来るって言ってた。いきなり帰るって言われないように、男子たちが上手くちやほやしてくれるといいんだけど――ウィリアム殿下は?」
「サリーが来るなら、今日は行かないはず――確か初回はいなかったはずだから」
ため息を吐いて首を振るエリザベス。
アリアンヌのほうはといえば、「あの役立たず」と、憎々し気に言い捨てた。
「アリー? 不敬罪で捕まるわよ。ウィルだって――。……まあ、いろいろ考えてのことだと思うわ。まだ自分を納得させられないのよ」
「ここは学院内よ。『学び舎にて学を志す者に身分の差なし』、流石に陛下の目の前で言ったらどうかわからないけど、ここで文句を言ったって捕まらないわ。それに役立たずなのは本当だもの」
「まあ、いつまでも逃げてはいられないんだし、ウィルもそのうち捕まるわ。あきらめてさっさと幸せになろうとしないのが腹立たしいけど、どっちにしろ私を選べるわけがないんだし。後は、時期よね」
エリザベスがささっと着替えた服は、制服は制服でも学生用ではない。
この寮で働く使用人たちの服で、学院を抜け出すための変装用だ。
「そんなこと言って……どうしてお姉様が悲観的になっていないのかわからないわ」
「そんな暇ないもの。ナイトが心配だし。あとはサリーがウィルを選んでさえくれれば一番いい――」
「……それ、お姉様の『記憶』だと、サリーは誰でも選べたんでしょ? 殿下が有力ってだけで」
「誰でもってわけじゃないわ。攻略対象者の中なら一応ってだけ――リュカなんか、分岐を一つ間違えたらもうそれだけでアウトなのよ――じゃなくて、サリーから何か聞いてない? 好みのタイプとか」
「聞いてないわ。だって私は悪役令嬢側だもの。いじめてはいないけど、仲良しじゃないの」
ふふん、と偉そうに顎を上げてみせるアリアンヌ。
「本当に、アリーがいてくれてよかったわ。味方なしに裏工作は難しいもの。リリアナからは? サリーの好みは聞いてないの?」
「『生徒会には素敵な人がいっぱいで、気後れがする』って言ってた、って。特定の人に惹かれてはいないみたい」
「ステファンに『緊張してるから優しくしてやって』って頼んでみて――確かそういう役割だったはず。サリーだって公爵家の娘なんだから、王家に繋ぎをつけるっていう意味でも入っておいて損はないんだし、『女の子の方が少ないから嬉しい』っていう方向で、可能ならあの子がどこまで知っているか――ゲーム世界のことを知っているかどうかを含めて探って欲しいのよね……。でもそっちはジョナサンに頼んだ方がいいと思うわ。アリーも生徒会に関してはサリーを否定するようなことは言わないでね。あと、絶対に余計な虫をつけさせないで。あの子にだけは逃げられるわけにはいかないんだから。そしておすすめは絶対ウィルよ!」
「……は~い」
ぐっと拳を握って、さっきまで着ていた学院の制服を片付けるエリザベスに、納得がいかない、と首を振るアリアンヌ。
この三か月、似たようなことは何度も繰り返されている。
「お姉様が元気になってくれて嬉しいけど、本っ当に悪役令嬢になるの? だってそんな、『魔王』なんて、本当にいるのかどうかもわからないのに。誰かの悪戯とただの夢かもしれないのよ?」
その言葉に、エリザベスはにっこり笑った。
髪の毛をくすんで目立たない茶色に変える。面白みのないお団子にまとめて低い位置で留めた。
「夢じゃないし、ちゃんといるわよ。ナイトはいなくなったし、これ(・・)が送られてきてる――サリーには申し訳ないけれど、やるからには平手打ちまで完璧にやって見せるわ」
「どうして抵抗しようとしないの? 人質に取られたって言ったってただの黒豹でしょう? それにもともと(・・・・)怪しかったし……最初から向こうの手先だったのかもしれないじゃないの。いなくなる前だって、他の男の子たちがお姉様に近づかないようにしていたし、その『魔王』とかっていうのがずっとお姉様を狙っていて、命令していたのかも――今回の婚約式のことを報告したのもあの黒豹かもしれないのよ?」
「それは絶対にないわ。だったら報告だけでいいから、いなくなる必要がないもの……。あの子は私の(・・)なんだから。私が主人なんだもの、助けに行かなきゃ。それに、ナイトが向こうの手先だったなら、それはそれでいいのよ。私が追放されることに意味があるんだってわかっただけでもありがたいわ。それにちゃんと未来の旦那様がいることも判明したし――どこに向かえばいいかがわかれば、対策も立てられる。もともと王妃なんてなりたくなかったんだし」
続いてエリザベスがかけた眼鏡は瞳の色がわからなくなる魔術付きだ。
「ねえ! 『魔王』のお嫁さんになりたいの!? そんなはずないでしょ、お姉様!!」
「……国王の妻よりはずっと楽……じゃなくて、会ってみたら意外にいい人かもしれないわよ? だってここがあの乙女ゲーの世界なら『魔王』って、意外といいポジションだったもの」
今の魔王には会ったことはないけれど、次代の魔王はトリスタンだったし。同系列だと思っていいなら、むしろ……ねえ?
と、かえって期待値が上がって笑顔になるエリザベス。
楽天的な返事にアリアンヌがますます声を硬くする。
「『魔王』よ!? 『ダンジョン』の最奥にいるのよ? いい人のわけがないじゃない!!」
「でも、私が嫁に行けばそれでいいって言ってくれてるんだし……『毎年一人ずつよこせ』とか、『国中の娘をよこせ』とか言われないだけマシよ。それだと討伐対象だし大変……むしろこれまでそう言った要求がなかったんだから良識がある、と言えるんじゃないかしら」
全く危機感のないエリザベスの言葉に、アリアンヌは頭を抱えた。
「どこの世界に『良識がある魔王』なんてのがいるのよ……」
「ここよ。少なくとも私の『記憶』にある『魔王』はそんなに怖くなかったわ。会ったのは今の『魔王』じゃなくて次の『魔王』だったけど。
本当は今すぐにでも追放してもらってみんなを安心させてあげたいところだけど、使えるやつだってわかってもらうためにも、もうちょっと腕を磨いておきたいのよ。その期間が今なの。私の記録は最短で一年と二カ月。そう思えばあと九ヶ月。今は精一杯備えるわ。それに『嫁』ってことはやっぱり重要なのは『料理と家事』だと思うのよね」
リディアが手に入れてくれた寮の使用人用のお仕着せはサイズもバッチリで、背中を丸めて、少しだけ顎を前に突き出せば、しっかり猫背。
「どう?」
「……いつもながら完璧な化け具合」
心から感心して頷くアリアンヌに再度笑顔を見せる。
「お土産を期待してて。今日のパートリッジ家のデザートはリンゴのタルトだって料理長が言ってたわ。しっかり覚えてくるし、うまくできたらホールでゲットしてくるから一晩寝かせて明日はお茶会にしましょ。
リリアナには断られたから――『悪役令嬢の集い』の方のメンバーでね。リリアナったらこの前のレモンパイのあと太ったんですって。アントニーは気にしないって言ってるんだけど、甘い物とデブの危険は切り離せないし、乙女心は大変よね」
うんうん、と頷くエリザベスに『心配するべきはそこじゃないでしょう!?』と叫びたくなる気持ちを抑える。確かにデブの危険はけして軽視できるものではないけれど、この姉の危機意識はどうなっているのだろう。
「そんなことを言っている場合じゃないと思うけど……ねえ、ウィリアム殿下が攻略されたら本当に行くつもり? 夢が本当だとしても、むこうが約束を守ってくれる保証はないのよ。食べられちゃうかもしれないじゃない」
「『嫁』を? 普通は食べないわ。それにその時のための今、よ。役に立つところを証明して、気に入ってもらえるようにがんばるわ」
ウィリアムとの婚約式の翌朝起こったの騒ぎの後、一時は漬物石のごとく重かったエリザベスの今の足取りは軽い。
姉が悪役令嬢コースにまっしぐらに進みだしたのは心配だし、その先を考えるともっと心配。だけど、少なくとも落ち込んではいない――それだけでも今はよかったと思おう――そう思いながらアリアンヌは今は使用人にしか見えない姉を自分より先にその姉の部屋から送り出した。




