42. 前へ
「後悔してるわけじゃない。あれはどうしようもなかったことだし――って、前も言った気がするわね、これ……。
でも、せっかく転生したのに結局悪役令嬢の人生をそのまま生きろっていうのは――おかしいと思うわけ。わからないわ。どうして――どうして私に過去の記憶を与えてまでそんなことをするの? なんのために悪役令嬢の人生を辿らせるの? どうして思い通りにならないことばっかり――これって特典とかじゃなくて何かの罰なわけ? 覚えていないけど、私、前世で何かよっぽどひどいことをしたとか? もちろんこのゲームの女の子たち全員の彼氏を何度も奪うこと以外にだけど――それにこうなってみればそれもかなり悪辣だって知ってるけど、あの時はあくまでもゲームだったのよ?」
寮でもないので簡単に壁に向かうわけにはいかず……それに二人分の蘇生は負担が大きかったらしく、体調はまだ安定していない。
結局ストーリーに逆らえなかったこともあり、さすがに今回は少々意気消沈してベッドの上でため息をついたエリザベスに、ナイトが擦り寄った。
その温かさに慰められて、手触りのいい毛皮を何度も撫でる。
「そうよね。落ち込んじゃダメ。ため息を吐いたって何も変わらないし。元気になったらウィルに相談して、家出に備えましょ。お祖父様のおかげもあって学院で習う魔法はかなり進んだし、今年は『実践』よ――『料理と家事』を学ぶんだから! その二つは魔法ができようができまいが、生きるためには必須のアビリティ。
必要なのは公爵家令嬢としての『指示の出し方』なんかじゃなくて『実行力』! 生活魔法も学んで、どんな時にも生きやすい環境を整える。それに料理のうまい女の子はポイントが高いんだから、たとえ婚約破棄された追放者でもいいって言ってくれる優しい旦那様が見つかるかも。
それに追放されると決まったわけじゃないし! まずはうまくサリーと立場を入れ代えられるように。うん。あの子が白魔法を使えるようになる、ってだけでも儲けものよ、公爵家の娘なんだし、入れ替わりはずっと簡単になったんだから」
気を入れ直し、ふう、とさっきよりも強く息を吐いて、枕元に置かれているベルに手を伸ばす。
チリンと澄んだ音が響いた。
やがて入ってきたのは、マリーではなく祖父だった。
あの船上の大騒動から三日目、二人ともどうにか起き上がれるほどに回復したところである。
祖父は毎日お見舞いに来てくれていた。今日も両手にカップと器を持っている。
ベッドの上で起き上がれるほどに回復したエリザベスを見てにっこりすると、薬の匂いのする薄いお茶を渡してくれて、ナイトの分はテーブルの上に置いた。
エリザベスとナイトがどうにかそれを飲み終えるまでの間に、祖父はエリザベスたちが寝ていた間に起こったことを穏やかな声で話してくれた。
それぞれおとなしくお茶を口にする二人に目じりを下げている祖父の話によると、ナイトの方は魔力の減少よりも蹴飛ばされた怪我の方が酷かったらしい。肋骨が二本折れていたそうだ。
その場で弱い白魔法をかけてもらったらしいけれど、その加減のなさを聞いて嫌悪感が倍増した。
あきらかに嫌がっていただろうナタリアを権力に任せて連れて行こうとしていたことも許しがたい。本当に、憎たらしい王子だ。
「あの高慢チキめ……次会うことがあったら蹴り飛ばし返して……それだと同じ威力にはならないからピンヒールの踵で踏みつけてやる」
公爵令嬢らしからぬ言葉を呟いているけれど、そう感じているのはエリザベスだけではなく、トリスタンの方もそうだ。
遠慮なしにエリザベスの腕と顎をつかんだあの王子。人間の自分で会うことがあったら呪術でネズミに変えて、それから黒豹に戻って心ゆくまでいたぶってやろうと憎々しく思っている。
あの騒ぎの後、二人は意識が朦朧とした状態でウィルベリー公爵家に送り届けられ、そこから懇々と眠り続けた。
眠りながらもエリザベスがナイトの怪我を緩やかに癒やし、ナイトがエリザベスの減った魔力をじわじわと補充し、お互いに補い合いながらの三日間だったことを知っているのは祖父とマリーだけだが。
結局リナリア王国の王子と王女はダニエルを伴って帰国したそうだ。
リュカとナタリアの婚約式は――今回の騒動はナタリアの責任とされ、他国の王子の求婚を厭い、最終的には湖に身を投げたナタリアの身勝手、という見解のもと、婚約式は無期延期とされた。
ナタリアも侯爵家の令嬢だ。前世の記憶持ちのエリザベスにしてみれば、ナタリアの行いは容認されるべきものだと思うけれど、やはりこの世界での上層部の結婚に関する考え方は、本人の気持ちよりも政治的戦略や身分が優先されるのだと知って悲しくなった。
リュカがナタリアのために自分の命を危険にさらしたことも、ナタリア程ではないにしろ家の汚点になったらしい。
ただし、あくまでも解消ではなくて『延期』だ。どちらも身分ある家の子女、しかもここまで周りを騒がせておいてあらためて他の人というわけにもいかない、という暗黙の認識がある。
そう聞いてエリザベスはほっと胸をなでおろした。
あの二人にはぜひ幸せになって欲しい。リュカの攻略難易度が高かった理由がよくわかった。
それにリュカが攻略されたあと、ナタリアがステファンの結婚相手になった理由もわかった。ゲームには詳細は一切出てこなかったけれど、この醜聞のせいで他家に嫁がせるわけにはいかなかったのだろう。
そしてステファンは――あの大騒ぎの甲板で、一番ショックを受けていたのが、ステファンだった。死の淵から戻ってきた二人を見て、その場に膝を落としていた。いつも物事から一歩引いて動じないステファンのあんな顔――いつからなのかはわからないけれど、ステファンはおそらく、ナタリアに叶わぬ恋心を抱き続けている。
特定の誰かを決めない生き方。みんなに優しく、みんなに少しずつ夢を抱かせて誰も拒まない。それは、望む相手が自分のものにならないとわかっているからだ。
しかもナタリアが心を寄せるのは自分が敬愛する兄だ。兄の方も、即座に冷たい湖に飛び込むほど、彼女を愛している。幸せを願う以外の道はない。
ゲームのエンディングでは軍部をまとめるボルドウィン公爵家の長女ジュリアか次女ロクサーヌの相手として婿入りしていた――設定だけ見るとあきらかに政略結婚だけれど、ステファンにもぜひ幸せになって欲しいと思う。
「けっこう細かい設定があったのね……あのゲーム」
たとえヒロインに攻略されなくても、ヒロインの結婚後のリュカは他のキャラ同様ヒロイン優先の生活をしていたように見えた。けれどこれだけのバックグラウンドがあったら、ナタリアの苦悩もそれほどではなかったのかもしれない。けっこう悩んでいたように見えたのは、嫉妬のせいじゃなかったのだろうか。
そんなことを考えながら、パートリッジ公爵家とナタリアの家であるビジョット侯爵家の両家、そして王家からも、各家の子女を救ったことについて、ウィルベリー家に感謝の言葉と贈り物が贈られたことを聞かされた。
そして案の定というかなんというか、エリザベスの回復を待って、ウィリアムとの婚約式が急ぎ執り行われることになったこと――。
人前であれをやったからにはそうなるだろうと想像はついていたけれど、結局シナリオ通り。
くり返しになるけれど、もう一度。
やったことを後悔しているわけではない。
が、夢ののんびり平穏生活とは程遠い現状に、自分は前世での教訓をまったく活かせていない、と思うエリザベスだ。……キジも鳴かずばなんとやら。
「お祖父様、アリーとサリーの適性については――」
どうなったのか、と聞く前に祖父は首を振った。
「ウィリアムがああ言った手前引き下がりはしたものの、リナリア王国の王子がお前のことを簡単にあきらめそうにはなかったのでな――婚約式を急ぎ、妹たちのことは安全を踏まえて、適性に変化があったことはしばらく公表せんことになった。本人たちにも、当面は伝えん。まあアリーは勘がよいでの、いずれ気づくじゃろうが。もちろんお前の魔法適性もこれまで通り、特に白魔法に長けておる、ということで済ませる」
こっちもシナリオ通り、か。
「結局私を悪役令嬢にしたいのね、この世界は」
イケメン観察も少々楽しませてもらったとはいえ、ことごとく道を塞がれる強制力、恐ろしや。
「そのまま王妃になるつもりは本当にないのか? ウィリアムはお前を大切にしてくれるじゃろうて」
空の器にカップを乗せ、どこかエリザベスの反応を窺うように祖父が聞いた。
「無~理! ゲームでは結婚後の生活は出てこないの。だからこそ楽しく攻略させてもらったけど、王妃なんて絶対大変――私はのんびり過ごしたいの。公爵家の令嬢としては喜ぶのが当然ってことはわかるけど、王妃なんて絶対できない。なりたい人がなるべきよ」
一考にも値しないとばかりに否定するエリザベスを見て、黒豹が満足げに頷いた。
「だが今自分で言った通り、やはりお前も公爵家の娘だ。しかも婚約が決まった以上嫌とも言っておられまい――そんな顔をするな。ウィリアムは国民思いのいい王になる」
「そうね。たぶん。――私だって、友人としてときどき手伝うくらいなら構わないわよ?」
「だが、すでに王太子の婚約者になったようなものだ。今のお前を結婚相手に望むやつはおらんぞ。下手をしたら不敬罪で牢獄行きじゃ」
言葉とともにちらりと目をやるのは傍らの黒豹――不満そうに耳を伏せている。
「ウィルに頼むわ。早めにサリーとの恋を実らせて、私と立場を交換させて欲しい、って」
「そう簡単にはいくまいぞ」
否定的な言葉を言いながらも祖父はどこか嬉しそうに見えた。
「なんで? ストーリーと違うから? ウィルは友人よ? 過去の記憶のことだって話してあるし、家出の計画だって知ってる。サリーのことだってちゃんと『考えてみる』って言ったし……」
祖父の言葉に首を傾げたエリザベスだったけれど、それが一部真実であることは翌週、婚約式を終えての新学期早々に知ることになる。
~~~~~~
祖父が帰ったその夜も、トリスタンはいつものように眠ったエリザベスを見つめていた。
ゲームの開始時期が迫る中、残された違いはトリスタンが未だに行方不明だということくらい。
今の自分がエリザベスに必要とされている自覚もある。
だけど。
目を閉じると浮かぶのは伸ばされた腕。エリザベスを掴み、自分の物だと主張する声。
あの船上での出来事。
あの時の自分は。
その土俵にさえ上がれていなかった。一番近くにいるのに、思いを伝えることすら許されない。
自分の存在が軽すぎて、小さすぎて我慢できなくなる時がきっとくる。
落ちつかない気持ちを抱えたまま柔らかい頬を撫でると、エリザベスが小さく微笑んだ。
それだけで、ホッとする。
とりあえずその日は今日じゃない。諦めとも安堵もいえない息を吐いて黒い生き物に姿を変え、また丸くなった。
けれど、その時はすぐ側まで迫っていた。




