第8話「混沌の波形とゼロ距離の泥棒猫」
「誰が捕まえるか! はやく降りてこいっての!」
「いーだ!」
「コ、コイツは……!」
「……(この子は……)」
塀の下から流音が怒鳴りつけるが、少女はどこ吹く風で八重歯を覗かせてニヤリと笑う。
少女は腰のホルダーから無骨なポータブル端末を引き抜くと、泥まみれのメモリーチップを迷わずスロットへ叩き込んだ。
パチッ、と青い火花が散る。
次の瞬間、端末のスピーカーから耳をつんざく歪んだ重低音が炸裂した。
壊れかけのシンセが悲鳴を上げるような、いびつで暴力的な変拍子。スラムの路上に転がるノイズを無理やり繋ぎ合わせた、荒れ狂うビートが雨の路地裏を震わせる。
少女はその音に合わせ、塀の上という不安定な足場をものともせず、タップを踏むように軽やかにステップを刻み始めた。
(……すごい。まるで、トリックスターだわ)
雨粒を弾いて舞うその奔放な姿に、詩音様は息を呑んだ。
秩序を嘲笑い、場を掻き乱し、既存の枠組みを根底からひっくり返してしまう存在。このどんよりと沈んだスラムの空気を、たったひとつの端末とステップだけで一変させている。
狭いレンガの上でくるりと身体を反転させ、重力を感じさせないしなやかな跳躍で着地を決める少女。
その一切のブレがない軽やかな身のこなしに、下から見上げていた流音も思わず目を奪われた。
「おおっ……すげぇな、あいつ……」
口元から感嘆の息が漏れかけた――が、少女が八重歯を剥き出しにしてこちらを見下ろした瞬間、流音はハッと我に返って首を振る。
「あははっ! ね、いい音鳴らすでしょ!」
挑発するように身体を揺らし、少女が笑う。
「へっへーーん。追いつけるもんなら、こっちにおいでよ!」
その強烈で尖ったノイズを前にして、流音の目がカッと見開かれた。ドラマーとしての血が騒ぎ出す。
「……ハッ! 面白いじゃんか! そのケンカ、買ってやるよ!」
流音は傘を放り出すと、足元に転がっていた鉄パイプを拾い上げ、真横の一斗缶を思い切り叩きつけた。
ガァン! と鋭い金属音が雨を切り裂く。
スラム仕込みの変拍子に対し、流音は即興で爆速のストリートビートを打ち鳴らし、正面からリズムをぶつけにいった。泥水が跳ね、剥き出しのビートが路地裏の壁をビリビリと震わせる。
金属音と電子の歪みが激突する。
その中心で、詩音様は静かに傘を閉じ、冷たい雨の中に身を晒した。
深く息を吸い込む。
濁った雨の匂いと、二人が叩きつける剥き出しのグルーヴ。詩音様は胸の前で手を組み、その荒削りなビートの隙間へ、滑り込ませるように声を放った。
「ハァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
凛とした、芯のあるハイトーン。
冷たい雨を熱で溶かすような、力強い意志を宿したメロディ。
流音の荒々しい打音と、少女の予測不能なノイズが、詩音様の声に一瞬で束ね上げられていく。
塀の上でステップを踏んでいた少女の足が、ピタリと止まった。
「……っ!」
金色の瞳が限界まで見開かれ、息を呑む。
耳の奥から背筋にかけて、ぞわぞわと鳥肌が駆け上がった。路地裏のジャンクを漁って一人で鳴らしていた乾いた音が、この声とぶつかった瞬間、信じられない鮮やかさで胸の真ん中に突き刺さってくる。
「あはは……すごい、すごいよ! キミ、胸がゾクゾクする!」
歓声を上げた少女は、塀の上から躊躇なく飛び降りた。
2メートルの落差を猫のように音もなく着地すると、水たまりを跳ね飛ばしながら一気に詩音様へと駆け寄る。
「参ったなあ、捕まっちゃったのはボクのほうだ! ねえねえ、きみ、なんて名前なの!?」
「詩音よ。……あなたの音、すごく刺激的だったわ」
「詩音! ボク、きみのことすっごく気に入った! 一緒に遊ぼう!」
「じゃあ、わたしたちと一緒に来る?」
「うん!」
「待て待て待てーーーいッ!」
二人の間に、肩で息をする流音が割って入った。
「いきなり詩音様を呼び捨てかよ!(アタシたちですら呼んでないというのに!) ってか、アンタのその音、ウチのベースの深音に見せたら絶対面白がるわ。……どうせアテもないんだろ? アタシたちのチームに来なよ!」
少女は流音を一切見ず、詩音様の顔だけを見上げて答えた。
「チーム? もう詩音から誘われてるからキミのはいいよ」
「なあっ?」
「勘違いしないでくれよな? ボクは詩音の音に惹かれたから一緒に行くんだ。グダグダでさえなくて、ただうるさいだけのキミじゃない」
「何だと―――――!!!」
「あ~~~、うるさいうるさい」
少女は手でしっしっと流音を犬のように追い払おうとする。
流音の怒号を余所に、詩音様と少女は互いに笑みを交わして手を握り合った。
「ボクは澪音。よろしくね、詩音!」
「ええ、よろしくね、澪音」
「おまえ~~~~!!! この流音さまを無視するな!!!!」
雨脚が強まる路地裏の中、詩音様は傘を傾けて澪音の頭上へと差し掛けた。びしょ濡れの澪音は身を縮こまらせるどころか、珍しそうに傘の内側を見上げている。
「風邪ひいてもしらねーぞ!」と毒づきながら、流音は首のタオルで澪音の濡れた頭をガシガシと手荒に拭き、澪音は「前が見えない!」と流音の向こうずねを蹴飛ばす。
雨音に混ざる言い争いを背中に聞きながら、詩音様は口元をほころばせ、三人は地下ライブハウスへの道を折り返していった。
「ただいまー、深音、久音、透音。いろいろあったけどさー、結果的には、すごい拾い物してきたぞ!」
ライブハウス控室の重い鉄扉を開けた瞬間、流音のやけくそ気味な声が響いた。
機材の調整をしていた深音がベースから手を離して顔を上げ、ソファでくつろいでいた久音と透音も同時に視線を向ける。
「随分と早かったな。……それで、その後ろの泥だらけの子供は?」
「子供じゃないやい、澪音だよ! よろしくね、みんな!」
澪音はネコ耳フードを揺らしながら、悪びれもせずに控室へ上がり込んできた。泥のついた靴で遠慮なくズカズカと踏み込んでくる姿に、久音が眉を吊り上げて悲鳴を上げる。
「ちょ、ちょっと! 床に泥がついてしまいますわ! どこから拾ってきたんですの、その薄汚れた野良猫は!?」
「まあまあ久音、そんなことより見てよこれ。こいつの即興ノイズ、マジでヤバいから」
流音がタオルを絞りながら説明しようとした、その時だった。
濡れた上着を脱ごうとしていた詩音様の姿を視界に捉えるなり、澪音の金色の瞳が爛々と輝いた。
「詩音〜〜〜っ!」
「えっ、ちょっ――!?」
身構える暇すらなかった。
澪音は野生の獣のような身軽さで飛びつき、詩音様の腰に両腕と両足を巻きつけて抱きついた。
「ふにゃ〜〜、詩音、いい匂いがする! あったかい!」
「み、澪音……!? ちょっと、くすぐったいわ……!」
あろうことか、澪音はスリスリと詩音様の首筋に頬ずりを始め、しまいには猫が毛づくろいをするように、詩音様の白い頬を「ぺろっ」と舐め上げた。
控室の空気が完全に凍りついた。
シーーーーーーン。
「…………」
「あ、あの……?」
「詩音様が……舐められ……!?」
久音が持っていたエディットペンを床に落とし、透音がおっとりと目を丸くする。
そして、誰よりも凄まじい形相で硬直していた流音の顔面が、一瞬で真っ赤に沸騰した。
「な……ななな……」
ギリギリと奥歯が軋む音が、静まり返った部屋に響く。
ピキッ。
「ア、アタシですら、この最初の友達のアタシですら、詩音様にそんな頬ずりもペロペロもしたことないのに……!!」
流音の瞳に、怒りの紅蓮の炎が宿った。
「このドロボー猫がああああああーーーーーーッッ!! 詩音様から離れろおおおおッ!!」
「わっ、こわーい! 流音が鬼の顔してる!」
澪音は身軽に詩音様から飛び降りると、机や機材ラックをひょいひょいと飛び越えて逃げ出した。
「待ちやがれ! その舌引っこ抜いてやるーーッ!」
「みゃう! 捕まえられるかなー!?」
狭い控室を猛スピードで疾走する澪音と、血相を変えてパイプ椅子を振り上げんばかりに追いかけ回す流音。
怒号と笑い声が飛び交う中、深音は深くため息をつき、頭痛をこらえるように額に手を当てた。
「……詩音様。また随分と、手の焼ける周波数を拾ってこられましたね」
「あはは……でも、退屈はしなさそうでしょ?」
頬を赤らめながら苦笑いする詩音様の横で、透音がパイプ椅子の上でぷかぷかと小さく浮き上がりながら、感心したように呟いた。
「う~~~ん……詩音様、また一人、賑やかな人が増えましたね~~~」
スラムの冷たい雨雲を吹き飛ばすような絶叫と足音が、薄暗い地下のフロアにいつまでも響き渡っていた。
(第8話「混沌の波形とゼロ距離の泥棒猫」おわり / 第9話へ続く)
メインヒロインのひとり澪音が歌う、Chrono・Sphereのキャラクターソングです
『流転の波紋』
架空アニメ 「 Chrono・Sphere - 運命の旋律 - 」 キャラクターソング
歌:澪音 - reon - & Chrono・Sphere
https://suno.com/s/HA6BErkYGtZ8O2z4
【公式】Chrono・Sphereキャラクター名鑑 澪音 - reon -
https://note.com/marimocyan_org/n/ncc6c89bc5e6a?sub_rt=share_pw




