第7話「スラムの冷たい雨と塀の上の野良猫」
空中浮遊都市クラウドワンを後にした五人は、次なるライブの拠点として、ネオルミナの最下層に広がるスラム街『ネオン・ダウン』へと足を踏み入れていた。
頭上を幾重にも交差する高架橋と巨大な排水パイプが空を塞ぎ、昼夜の区別すら曖昧な街。酸性雨に煙る路地には、ピンクや毒々しい紫のネオンサインがギラギラと反射している。
手配された地下ライブハウスの控室で、機材のセッティングを終えた深音がベースの弦を弾き、低く唸るような音を響かせた。
「音響の反響が上の街とはまるで違う。ノイズが多くて荒削りだが、妙に生々しい箱だ」
「ふふん、私のグリッチ映像とプロジェクションマッピングを仕込めば、この薄暗いアンダーグラウンド空間など一瞬で最先端のサイバー空間へと塗り替えてみせますわ!」
久音がエディット端末を高速で叩きながら胸を張る。その横では、部屋の隅のパイプ椅子に丸まった透音が、心地よさそうに目を細めていた。
「ふわぁ……ここは重低音が床からビリビリ響いて、なんだか深海の底でお昼寝しているみたいで落ち着きますね~……」
「こらっ落ち着いてないでリハの準備しろよな! 浮いて寝るんじゃない!」
「まあまあ、流音。透音も長旅で疲れているのよ」
流音のツッコミに詩音様が柔らかく笑いかける。
だが、その直後――詩音様はふと足を止め、控室の換気ダクトから吹き込んでくる湿った冷気に視線を向けた。
胸の奥が、ちりちりと小さく熱を帯びるような感覚。
ざあざあと降りしきる雨の音と、街頭のトランスが放つ放電ノイズの隙間から、何かが自分を呼んでいるような、不思議な周波数の波紋が鼓膜の奥をくすぐった。
「……詩音様? どうかしたの?」
深音が指を止め、怪訝そうに眉を寄せる。
「あっちから……何か、すごく強い音が聴こえる気がする」
「音? 外はただのドロドロの裏路地だぞ。サイバーヤクザの縄張りかもしれないし、詩音様が一人で行くのは危険すぎるよ!」
控室の重い鉄扉に手をかけようとした詩音様の前に、流音がすかさず回り込んだ。
「アタシがついてく。まったく、詩音様はちょっと目を離すとすぐ変な電波を受信してどっか行っちゃうんだから!」
「ありがとう、流音。……深音、久音、透音、少しだけ外の空気を吸ってくるね」
「気をつけてね。変な輩に絡まれたら、遠慮なく流音を盾にするんだよ。こいつは頑丈なだけが取り柄だから」
「深音、オマエ、この間のことまだ根に持っているな? さらっと酷いこと言もいいやがって!」
「あ~はいはい、いいから、はやく行ってきな}
「ぐぎぎぎ...(深音め)」
ブーブー文句を垂れる流音を連れ、詩音様は傘を手に地下の控室を後にした。
地上に出ると、鉛色の冷たい雨が容赦なく二人の傘を叩いた。
濡れたアスファルトの割れ目からは化学燃料の生臭い排気ガスが立ち上り、水たまりを踏むたびに泥水が跳ねる。
「うへえ……足元ぐちゃぐちゃじゃん。ねえ詩音様、本当にこっちでいいの? どんどんヤバそうな路地に突っ込んでるような気がするんだけれど?」
「ええ、もうすぐそこ……たぶんこの角を曲がったところよ」
詩音様は確信に満ちた足取りで、細い路地裏の角を曲がった。
そこは、廃棄された音響機器や断線した光ケーブルが無造作に山積みされた、巨大なスクラップの投棄場だった。
その泥まみれの山陰に、小さな人影がしゃがみ込んでいる。
ダボダボのサイバーパンクウェアには、油汚れと泥がリアルな質感で染み付いていた。頭をすっぽり覆うネコ耳つきのフードからは、鮮やかなピンクメッシュの混ざった黒髪が跳ねている。
少女は水たまりに膝をつくのも構わず、泥まみれの端子や古いメモリーチップを素手で引っ張り出しては、切れかけた街灯の光に透かしてじっと眺めていた。ポケットからは、スラム街のストリートキッズが愛用するポータブルのハッキングツールが顔を覗かせている。
「おい、そこのアンタ……!」
流音が声を張り上げ、濡れた地面を蹴って足早に近づく。
その足音に、少女のネコ耳フードがぴくりと跳ねた。
少女は拾い上げたチップを器用に指先で回しながら、ゆっくりと立ち上がり、振り返る。
フードの奥から覗いた大きな瞳には、警戒の色など微塵もなかった。まるで面白いオモチャを見つけた野良猫のように悪戯っぽく細められ、鋭い八重歯が雨粒に濡れてキラリと光る。
「ん?」
少女は流音たちの姿を捉えると、興味深そうに首を傾げた。
「ハロー、諸君! こんなドロドロの裏通りに、ずいぶんと小綺麗な鳥さんが迷い込んできたみたいだね?」
年不相応に落ち着いた、だがどこか歌うように軽薄で、鈴を転がすような少年めいた声。
「なっ……なんだその口の利き方は! アタシたちはアンタが持ってるそのチップ――ってか、こんなところで何やってんだよ!」
「見てわかんない? 忘れ去られた街のノイズを拾い集めてるのさ。……で、そっちの騒がしいお姉さんと、後ろの綺麗な歌姫さんは、ボクに何の用?」
少女の視線が、流音の後ろに立つ詩音様へと滑った。
その瞬間、少女の瞳の奥がかすかに見開かれる。
「オマエなあ、初対面のアタシに向かって何なんだ! やかましいって!」
「いや、実際そうじゃない……」
「しっ、詩音様まで……!?」
スラムの毒々しいネオンに照らされながらも、雨の雫さえ寄せ付けないような透明な存在感を放つ詩音様。少女はその姿を舐めるように見つめ、喉の奥で「ふみゅ……」と小さく喉を鳴らした。
「ま、まあ、それより……!」
流音が仕切り直すように一歩踏み出し、手を伸ばしかける。
「話があるんだ、ちょっと降りて……って、待て!」
流音が指先を届かせる、まさにその瞬間だった。
少女は地面を蹴るでもなく、まるで仕込まれたバネが弾けたような身軽さで真横のドラム缶へ飛び乗った。
カンッ、と乾いた金属音が雨音を切り裂いた直後には、壁から突き出た錆びた排気ダクトへ足をかけ、身体を水平に滑らせながら宙を舞う。
「うわっ、ちょっ――!? なんだその動き!?」
流音が目を剥く間にも、少女は重力など端から存在しないかのような圧倒的なパルクールを見せつけていた。
雨水に濡れてぬめりを帯びたコンクリートの壁に靴底を叩きつけ、二度、三度と蹴り上がっていく。細い身体からは想像もつかない瞬発力と体幹の強さ。
次の瞬間には、路地を塞ぐようにそびえ立つ、優に2メートルを超えるレンガ塀の天辺へ、音もなく「ひょいっ」と飛び乗っていた。
ザアザアと雨脚が強まる中、少女は塀の縁にしゃがみ込み、ネコ耳フードの端を指先でクイと持ち上げた。
水滴を弾くピンクメッシュの髪の下で、金色の混ざった瞳が爛々と輝いている。
見下ろすその顔には、圧倒的な身体能力への誇示と、詩音様から放たれる目に見えない磁力に強く惹きつけられた興奮が、隠しようもなく滲み出ていた。
「ふっふっふっ、どうだい?」
「んなっ……!?」
「キミたち、面白いね。……ボクを捕まえてごらん?」
(第7話「スラムの冷たい雨と塀の上の野良猫」おわり / 第8話へ続く)
メインヒロインのひとり澪音が歌う、Chrono・Sphereのキャラクターソングです
『フリーダム・ハック』
架空アニメ 「 Chrono・Sphere - 運命の旋律 - 」 キャラクターソング
歌:澪音 - reon - & Chrono・Sphere
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