第2話「孤高の歌姫と爆走のノイズ」
「……な、何ですか貴女は。離してください」
雨の境界線。
掴まれた華奢な手首を振り払おうと、詩音は怯えと困惑の混じった声で拒絶を示す。
だが、流音の力強い握りはビクともしない。それどころか、流音は爽やかな笑顔のまま、さらに一歩距離を詰めてきた。
「さっきのボイス、いいねぇ。思わず意識を奪われちゃったわ」
「そ、そんなことないです……っ」
「まあまあ! そんなことより、こんな寂しい場所で何をしてたの?」
「……。貴女には、関係ないです」
これ以上踏み込ませまいと冷たく視線を逸らす詩音。
しかし、流音という台風のような少女にそんな冷徹さは一切通用しなかった。
「ん~~~~、じゃあこうしよう! アタシと友達になってよ!」
「えっ……?」
突拍子もない提案に、詩音は思わずぽかんと口を開ける。
「それじゃ自己紹介! アタシは流音。アナタは?」
「……詩音」
流音の圧倒的なペースに気圧され、思わず本名を口にしてしまった詩音。
その瞬間――流音の表情が、愛しの歌姫の名前を聞いてぱあッとひまわりのように明るく華やいだ。
「詩音……! 詩音様かぁ! よし、これからアタシたちはもう友達だからね!」
「……っ」
あまりにも慣々しい流音の距離感に、これまで人と深く関わってこなかったコミュ障の詩音は完全に戸惑い、固まってしまう。
「んで、ここで何をしていたんだい?」
「だから、アナタには関係な――」
「ノンノン!」
人差し指をチチチと目の前で振られ、詩音は「?」と首をかしげた。
「アタシと詩音様はもう友達なんだから、大ありの関係者だよ!」
「……っ」
「いいから教えてよ。アタシ、詩音様に興味津々なんだから!」
「何なんですか、貴女は……!?」
強引すぎる理屈に詩音の頭がパンクしそうになったその時、流音はもう片方の手をすっと差し出した。
「だから言ったじゃん。アタシは流音――この『運命の旋律』に惹かれて、詩音様を迎えに来たんだ!」
「えっ、ちょ、ちょっと……!?」
返事を聞く前に、流音は詩音の手を引いて歩き出した。
いろいろと一方的に話しかけながら、冷たい雨の降る街外れから詩音を強引に連れ出していく。
「さあ、いこうぜ、歌姫様!」
「うわっ……!?」
◇◆◇
その後、流音は強引に連れ回す形で、詩音をネオ・ルミナのあちこちへと連れ回した。
あちこちのショップやネオン街を嵐のように巡り、最終的にたどり着いたのは、下層街の雑多な通りにひっそりと佇む、流音の行きつけの定食屋だった。
「おっちゃーーーん! アタシは海鮮刺身特盛定食を、いつもので!!」
「あいよっ! ……って、そっちの……お嬢さんは?」
ガラリと店に入ってきた流音を見て、厨房の店主が目を丸くする。
(あの流音に、同性の友達……!? まっ、まあ、仕事の知り合いか何かだろうな……)
ガサツで飾らない性格の流音は、普段なら男友達と気楽につるんでいることの方が多く、同性の友達を連れている姿など一度も見かけたことがなかった。
――いや、流音自身は別に女の子を避けていたわけではない。むしろ密かに「同性の友達」を欲しがっていたのだが、なぜか今まで機会に恵まれなかったのだ。
そんな流音が、見たこともない美少女の手を引いて、距離感ゼロで世話を焼いている。店主が驚くのも無理はなかった。
「? どうしたのおっちゃん?」
「い、いいえ何でもありません!!」
「ふうん、変の。……まっ、いいや。それより!」
流音はカウンター席に並んで座る詩音の顔を、興味津々といった様子で至近距離から覗き込んだ。
「ここはアタシがいつも利用しているところなんだ! 友達になったんだから、何でもどんどん頼んでよ!」
「……。あたし、こういうの食べません」
「は?」
流音の笑顔がピキッと硬直する。
「ねえ、じゃあ詩音様は普段どんなもの食べてるの?」
「えっ? バイオドリンクとサプリですけれど……」
「はぁ!?」
「ですから、サプリ……。ここってサプリあります?」
「………………」
しばしの沈黙の後。流音は頭を抱えて絶叫した。
「うわーーーーーっ!!! そんなもんばっか食べてるから、詩音様はそんな消え入りそうな声と華奢な身体なんだよ!!」
「でも、こういうものって食べたことありませんし……」
「うがーーーーーっ!!! いいから食べるの!! うまいからさ!!!」
流音は立ち上がり、詩音の肩を揺さぶらんばかりの勢いで詰め寄る。
「そうすれば今より絶対に元気出る! 詩音様のその声色で、ネオ・ルミナ中のみんなを夢中にさせられるんだから!」
「べつに、どうでもいいです……」
「……っ!」
(だ、ダメだ……。このコミュ障の天才歌姫、想像以上に世間から孤立してる……! 徐々に世間に慣れさせないと……っ!!)
冷や汗をだらだらと流しながら、流音は心の中で猛烈に焦りまくるのだった。
「そういえば、詩音様っていつもどこに住んでるの?」
「? 研究所が用意した公共住宅ですけれど……」
「へ〜〜〜っ」
「そこの、60階に住んでいます」
「はぁぁぁぁあ~~~!?」
流音はカウンターから身を乗り出し、目を丸くして叫んだ。
「めっちゃお嬢様じゃん!!!」
「そうでしょうか……? 至って普通の住居だと思いますが」
「普通なわけあるかーーーい!!」
「………………」
(だ、ダメだ……! 食生活だけじゃなくて世間とのズレが半端ないレベル……!!)
あまりの浮世離れっぷりに、流音は額を押さえてクラクラと目眩を覚えるのだった。
◇◆◇
翌朝。
ネオン街の一角に佇む、シースルービルの上層階。
プシュー、と30世紀の電子ロックが解ける音が響いた。
自動ドアが静かに開くと、そこから一歩踏み出してきたのは流音だ。
薄化粧のすっきりとした顔立ち。シャワーを浴びたばかりの髪はほんのりと湿り気を帯びてツヤツヤと輝いており、ダボッとしたストリートファッションの隙間からは、最高にリフレッシュした上機嫌なオーラがみなぎっていた。
「……ふうっ」
短く、熱い吐息が唇から漏れる。
昨夜の気晴らしも終わり、脳のノイズは完璧にクリアだ。
偶像としての神格化なんてカケラもない。彼女にとって、割り切った個人的な付き合いも、プライベートのサッパリした身支度も、すべてはコンディションを整えるための「自己管理」に過ぎない。
ドアの隙間から、部屋に残された聞き覚えのある男の声が追いかけてくる。
『……流音、次はいつ空いてる? 来週の週末とかさ――』
流音は振り返りもせず、ドライに片手を軽く振った。
「――じゃーねー! ありがと、お陰で脳のパルス最高調。次の仕事の予定があるから、そっちから連絡してこないでね。バイバイっ!」
バタン、と冷徹に閉まる電子ドア。
男の余韻など1ミリも引きずらない。仕事や自分の予定を最優先する流音は、男の言葉を完全にシャットアウトして歩き出す。
実家の外交官の両親から送られてくる手つかずの経済援助も、過去のプライドも、今の彼女にはどうでもいいことだ。
「よしっ、思考切り替え完了!」
流音は愛車の反重力エアロマシン『パルス・エッジ』に跨ると、首筋をパタパタと仰ぎながら、最速のスピードで詩音の待つ場所へとマシンを加速させた。
(フッフッフッ、待ってなさいよ詩音様! 今日こそアタシのペースに巻き込んでやるんだから……!)
男関係すらコンディション管理の一部としてドライに割り切る彼女が、いま唯一、なりふり構わず狂わされている存在――詩音の元へ向かって、爆音とともに街を疾走していくのだった。
(第2話「孤高の歌姫と爆走のノイズ」おわり / 第3話へ続く)




