第38話 因果を断ち切る
あんなにも騒がしかった空間が一瞬にして静寂が支配する。嘲笑っていった取り巻き達から表情が消えた。
持ってきていたファイルを取り出し、相手さんの足元めがけて地面を這わせるように投げる。
「雨宮コーポレーションの業績は、5年前から悪化の一途をたどっている。資金繰りに苦労しているみたいだ。誰が見ても危険水域だ。社員からの評判も悪い。随分と恨まれてたみたいだね。その情報も、とある名家に協力してもらって、裏は取れてある。真実かどうかは、そこの御曹司さんに聞けば?」
「こんなもの嘘に決まってるだろっ!! 出まかせだ!! そうだろ、司?」
「そ、そうだよな……そんなわけあるわけないよな、司!」
「……」
取り巻きが焦り喚く中で、雨宮司だけは何も喋らない。手がうっ血するほどに力を込めて握りこぶしを作り、ただただ資料を凝視している。
その反応がもう答えだ。
彼らは別に、完全に道を外れて過ごしたいわけではないというのは調べてわかっている。ほどほどに道を外れても、安全圏から自分の欲望を満たせて程よい人生を送りたいという、なんとも我儘な願望を抱いている。
康太もよくこんな情報を集めたものだ。西園寺さんの伝手で確認したところ、情報は確かなものだった。素人なのにどうやって集めたんだろう……才能ありすぎじゃない?
「おい司!!! 嘘だよな?!」
「……るせぇ……」
「司っ!!! おい──」
「うるせえって言ってんだろっ!!!!」
次の瞬間、鈍い音共に異常性癖者が吹き飛んだ。鼻から血が滴り落ち、目が揺らいだ。他の取り巻き2人は顔を引きつらせ、完全に怖気図いている。歪な欲望で繋がった仲など、所詮はこんなものだ。
「俺が会社に入るまでに持ちこたえさせればいくらでも建て直せたものを……親が無能なばかりに!! 俺は成績優秀だ。教授にも一目置かれている。スポーツだってそうだ。いくら特別な人間でも、親がダメだとこんな素晴らしい才能も腐れて──」
「そんな演技しなくとも、もういいでしょ」
「……なんだと?」
康太が俺に託してくれた情報には、今回の騒動を紐解く重要な鍵がもう1つあった。むしろそっちの方が、今回の本命。
「あなたの優秀な成績は──『実力じゃない』。全部、人の弱みに付け込んで得た幻だ」
この因果の元凶とも言える最大の原因は、『雨宮司は普通』という事。
「はぁ? 何を言うかと思えば戯言を……!」
俺の言葉に唇をわなわな震えさせる。目は血走り、拳は震える。でも、言葉が続かない。
その時、鉄の扉が何度も激しく鳴る。衝撃音が何度も繰り返され、その奥から声が響く。
『警察の加賀美だ!! いるのはわかっている! 抵抗せず、すぐにここを開けなさい!!』
どうやら援軍が来てくれたようだ。名乗ってくれた通り、加賀美先輩のお父様だ。時間稼ぎは成功だ。
扉越しだと言うのに、腹の芯まで響くような鋭くて意思の強い声だ。扉は内からも鍵がかけられていたのだけど、けたたましい衝突音が響く中でものの数秒もすれば徐々に壊れ始めた。外の光が室内に差し込んできている。流石警察。頑丈な扉もその手にかかればこのありさまだ。
「えっ! なんで!? 警察は大丈夫だって言ったじゃないか!!!」
「見張りは何やってんだ! なんで電話が繋がらない! 出ろよっ!! 出やがれ!! クソッ!!」
見張りが電話に出るわけがない。だってあの人は、『康太が送り込んだスパイ』なんだから。いわば協力者だ。
急に目の前に絶望が押し寄せ、一気に阿鼻叫喚に。取り巻きの2人は全ての荷物を投げ出して、倉庫の後方にある扉へと走っていった。
1人の変態を除いて─。
「……犯罪者になったら牢屋行き……女の子とイチャイチャできない? 周りから誰もいなくなる……! ハァハァハァ!!! じゃあこれが! 最後のチャンスだね!!」
ぶつぶつ何か言ったかと思えば、その汚らわしい視線を彼女に向けた。焦点が合っていないような目に、口からよだれを垂れ流す。本当に獣みたいだ。
「好きでもなくただ発散したくて『ついでに』みたいな生半可な感情を彼女に向けるな!!!」
つい怒りの言葉を放ったけど、俺の言葉は届いていない。
「俺に抱かれてよおおぉぉぉぉぉ~!!! うおおぉぉぉぉっ!!!」
人格破綻者の荷物からスタンガンを拾い、構えながら走ってきた。薄ら笑いを浮かべ、ぜい肉を揺らし、喚きながら不格好なフォームで向かってくる。その表情は鬼気迫るもので、心底──。
「醜いな」
全力で地面を蹴る。こんな奴を、大切な人に近づけるわけにはいかない。その決意を前にすれば、相手の鬼気迫る表情なんかに恐怖なんて抱かない。
俺が近づいているのに男の目には、彼女しか映っていない。自分に都合のいいものしか視界に入っていないのだ。欲に塗れるって、こういう事を言うんだな。
近づいた瞬間に体勢を一気に下げて、足元に向けてスライディングを放つ。視界に入っているのに認識すらされていない俺の足は見事に命中。
相手が遅かったのもあるけどタイミング、場所、全てが完璧で、男は一瞬にしてバランスを崩し、前につんのめるようにしてその巨漢は宙を舞った。
「ぶえぇっ! うおおおおぉぉぉっーーー!!!」
ど派手に転んだせいか、持っていたスタンガンが自分に接触している状態で作動。当たり所が悪かったのか、耳をつんざくように絶叫を上げながら、一瞬で気を失った。これは俺は悪くない。偶然だ。
しかし、そんなアクションが目の前で起きているというのに雨宮司は俺から視線をそらさない。きっと今のあいつにとってそんなことは、どうでもいいんだろう。
こっちも終わらせよう。
「『個人情報を取られた』。『家族に危害を加えると言われた』。『弱みを握られて協力した』……これは全部、あなたが通う学校関係者や部活動での対戦した他校の人から得た証言です。口をそろえて言っていったのが、『雨宮司の本来の成績は、いたって平凡。特別良くも悪くもない普通レベル』」
「……違う……違う……普通じゃない!! なにかも──」
「ずっと考えていたんですよ。なんで会いに来たのかって、なんで子供の頃から執拗に傷つけるのかって……支配欲とも少し違う。でも答えは単純だった。ようは……【嫉妬】だ! 彼女はあんたが持っていないものを持っていた。だから傷つけた」
「そんなわけない! ありえない! 俺は特別だ!! 支配者だ!!」
だがその瞳には動揺の色が走る。見たくもない現実を見なくてはいけない焦りか。発せられる言葉も俺にではなく、自分に言い聞かせるように放たれた。しかも、返答は少しかみ合わない。
もしかしたら俺の言葉なんて、『奴にとって重要な一部』しか届いていないのかもしれない。
「見下していた相手よりも劣ってしまっているという事実に、前から気付いていたのに気づかないフリをしていた。あんたは特別じゃない! でも普通の何がそんなに嫌なんだよ? 『普通』ってめちゃくちゃ幸せな事なんだからな」
誰もかれもがたまに忘れてしまっているけども、普通の日常はかけがえのないほどに尊くて、幸せなんだ。普通と特別。対極にありそうな言葉だけど、これはイコールになりえる。
「それを理解もしないで、言い訳ばっかりして、結局は自分が特別じゃないと駄々をこねて誰よりも惨めに格好をつけているアンタは──【劣等感の塊】だ! それが……俺達を引き裂いた下らない元凶の正体だ!!」
美夢ちゃんは言っていた。『自分が上手くいかないと私に当たる、それが元兄だった』と。この間に会った時も、気持ち悪いくらいに都度『自分は特別』だとアピールしていた。きっとそう思っていないと正気を保てなかったんだろう。まぁ最初から保ててなかったけど。
これが彼女を長年傷つけていた元凶の正体だ。そして俺達を引き裂いた原因。
拍子抜けするほどに浅い。元凶と呼ぶには無情なほどにあまりにも軽い。
「だまらあああぁえええぇぇぇぇっ!!!!!」
もはや言葉にすらないなら奇声あげて顔を歪める。目は血走り、その形相はまさに人ならざる者─まさしく怪物。
大したことは言っていない俺の言葉でこれほど狂うなんて、どれだけプライドが高く、彼女のことを見下していたのか。短気すぎる。
ポケットからナイフを取り出した瞬間─。
「がっ!!!?」
ドンッ──という鈍い音が響く。
後ろに回っていた美夢ちゃんが、奴の股間を蹴り上げたのだ。
人は見たいものしか見ない。理性が消え、俺以外の事は視界から消えていたようだ。この短気具合はこの間、学校に来た時にはわかっていた。
だからこそ、簡単に隙を突けた。この作戦は、自分の手で決着をつけたいと、彼女が志願したものだ。それをあっさりとやり切った。この5年、苦しみながらも彼女は全てに決着をつけるための準備をしてきたのだ。
美夢ちゃんの蹴り上げは、物凄い切れだった。ほとんど見えなかったし、放った時の風を切る音が凄くカッコよくて、一連の動きがスピーディーで。まるで映画のアクションシーンを間近で見たような爽快。俺まで痛くなるような感覚があるほど。
でも、強くなったよ。2人して。
鈍い音がした直後、体躯は一瞬にして地面にひれ伏し、声にならない呻き声が口から漏れ出る。突然の衝撃に焦点の合わない目を見開いて、体が痙攣したようにビクンッビクンッと弾む。急所への一撃というのは全てを解決する。しかも今の一撃は相当な威力で普通の金的よりも遥かに強い。意識外から飛んでくるのは効果が倍増されるというけど、本当のようだ。
「二度と私たちの前に現れるな。私たちの人生にあなたは必要ない」
自身の元凶とも言える存在にそう吐き捨てるように呟き、興味なさげに一瞥だけした。その目は冷たくて怒りや憎しみなんて感情はない。
数秒後、元凶は泡を吹きながら気を失った。彼女の人生を傷つけ、俺達の騒動の元凶ともなった存在との幕引きは、あっけなく終わりを告げた。
俺の方を向くと、満面の笑みを向けてくれた。その表情はただただやり切ったという達成感に満ち溢れているほどに眩しくて、優しかった。
「凄かったよ、美夢ちゃん!! 今のめちゃくちゃカッコよかったよ!」
「フフン、風香お嬢様の従者はこれくらいでないと務まりません。私も強くなるために努力したんです。それに私は……守られっぱなしのヒロインというタイプではないので」
その笑顔は晴天よりも晴れ晴れとしていて、輝いていた。頼もしくもあり、可愛らしい。
俺はこの笑顔が大好きだ。
絶望に塗れた5年は無駄ではなかった。
こうして因果は断ち切れた。




