第32話 今を縛りつける過去
お風呂場の一幕も終わり、激動ともいえる1日は終わりを迎えようとしていた。
俺の部屋のベッドの上。幼馴染と少し距離を置いて、向き合うように横になっている。いつもなら特に緊張しない距離でも、なぜかベッドの中となると緊張感が生まれる。
「もう就寝時間ですね」
その声色は少し名残惜しそうであった。後は寝るだけ。これ以上はドキドキすることはない……はず。でも俺も少し名残惜しい。だって凄く楽しかったし、幸せだったから。子供時代からこの感情は変わっていなくて。
だからこそ、自分の気持ちを改めて確認できた。
「明日もあるのに、なんだか名残惜しいね」
「昴君からそんなことを言ってくるなんて珍しいですね」
「えへへ、ちょっとだけ子供の頃に戻ってみたくなったんだ」
俺の返答に目を丸くしたかと思えば、嬉しそうに微笑んでくれた。
子供の頃は、俺の方からグイグイ行っていた。それこそ今の彼女のように。
手を繋いで登下校したり、頭を撫でたり、頬ずりも頼まれたとはいえなんの恥ずかしくなくやってたし。今思い返せば『今』と『あの頃』では距離が違ったような気がしたけどもそんなことはなくて、ただ心の移ろいでそう感じてしまっていただけだった。
彼女も少し変わった。
でもそれを受け止めてグイグイ来ている。けど大いに変わってしまった俺は、それができていなかった。今もまだ完全にはできていないけど、少しずつでもいいから前へ。
あの頃へ。
「おかげで今日も楽しかったよ。ありがとう」
「いえいえ……私の方こそ、いつもありがとうございます。明日も楽しみにしていてくださいね!」
「心強いような、少し怖いような…」
楽しそうに胸を弾ませているのがわかる。横になっているのに、体が弾んでいるみたいになっているし、これは完全に気合いが入ってしまっている。こうなると彼女を止めるのは難しい。あれ?さっきまでの決意が一瞬で揺らいできたぞ。
「では……おやすみなさい、昴君」
「おやすみ、美夢ちゃん」
チラッと見つめると、まるで遠足前の子供のように目を輝かせている。小さく頷き、ゆっくりと瞳を閉じた。
俺の言葉にこんなにも期待し、夢を馳せてくれているのが嬉しい。俺の決意を確固たるものにしてくれるには、十分すぎるほどの光景だった。
(今日は本当に良い1日だった。明日からも彼女を笑顔にできるように、なりたいな──)
期待と緊張と決意の中、俺も目を閉じる。
数分後には彼女の規則正しい寝息が始まった。
(頼むから、今日は『あの悪夢』は見ないでくれよ…)
そう願いながら、徐々に意識を手放した──はずだった。
『ァ……ッ……ハ……』
意識の遠くから何か聞こえてくる。
(夢? 現実? 音? 声?)
覚醒しきれていない思考の中でも、最初は小さかったその声らしきものは徐々に鮮明に、大きくなっていく。
「……ッ……ハ……ァ……─『ハァハァハァ!』」
「っ!」
夢じゃない!現実として聞こえている苦しそうな激しい呼吸だ。
俺ではないという事は──彼女のものしかありえない。
その事実に気が付いた瞬間に無理やり意識を引き戻し、重い瞼を一瞬で開き、美夢ちゃんの方へと視線を向けた。そこに飛び込んできたのは─。
「ハァ! ハァ! ハァ! ……っぅ……ぐっ! ハァハァ!!」
「美夢ちゃん……!?」
額には玉のような汗。眉間にしわが寄り、苦しそうに呼吸をしている彼女の姿。
考えるよりも先に体が動いた。激しすぎないように懸命に揺さぶる。
「美夢ちゃん!! 大丈夫!? 起きて!!」
引きちぎれんばかりの力で布団を握りしめ、目からはうっすらと涙が溢れていた。何かを拒否するように首を激しく動かし、身を縮こませる。悪夢にうなされているにしてもここまでの反応は、明らかに異常。まるでその夢の内容が、トラウマの出来事に直面しているかのようで。
「くっ……ハッ!!」
「美夢ちゃんっ!」
カッと目を見開かれた。荒々しい呼吸も少し収まり、激しい動きもピタリと止まった。数秒間、焦点が定まらないような目で天井を凝視していたが、意識が完全に戻ってきたようで俺と視線が交錯した。
「昴君……! うぅ!」
「はわぁ!」
俺を確認すると同時に目にいっぱいの涙を溜め、再会したあの時と同じようにすごい勢いで抱きつれた。また変な声が出てしまったけど、震えながら強く抱き着く彼女の体を優しく抱きしめた。その体はまるで氷のように冷たかった。
「怖かったね、大丈夫大丈夫。大丈夫だよー! 俺が側にいるからね! もう安心だよ」
胸の中に納まった彼女の背中をさすり、声をかける。……今の俺にはこれしかできない。無力だ。でもこれだけでも、彼女に必要とされている。それだけで意味がある。俺にしかできないことだ。きっと、彼女の見てしまった悪夢を取り払えるのも俺だけだ。
声をかけ続けて背中をさすること数分。震えは収まり、体温も普段通りに戻った。呼吸も、伝わってくる鼓動も良好だ。落ち着きを取り戻した。でも抱きしめてくる力は、多少は緩まったけど強いまま。顔もこちらには向けてくれない。
「昴君、ありがとうございます。ごめんなさい……ひどい悪夢を見てしまって」
「何も謝る事なんてしないんだから謝らないでよ。俺は大丈夫だよ。美夢ちゃんが大丈夫になるまでずっとこうしておくから、だから安心して」
「……覚えていますか? 小学生の頃に私が怖がっていたら、今みたいに抱きしめてくれましたよね。本当に頼もしくて、凄く安心できて……心のよりどころになってくれました」
「覚えてるよー。そうだったね」
鮮明には覚えていないけど、たしかあれは出会ってまだ日が浅い時だった。
晴れているのに雷が鳴って、遠くの方だったけど意外と音は大きくて、彼女は怖くて縮こまってしまった。どうすればいいかわからなかったけどひとまず抱きしめて、頭を撫でながら─。
『だいじょうぶ! ボクがまもるよー!』
なんて言ってたな。
心のよりどころ、とまで言ってくれるのは嬉しい。こうして彼女を安心させることができていたんだから、意味はあった。救えていたんだ。
「……ねぇ昴君」
「なんでしょう」
「【5年前の真相】……聞いてくれますか?」
「っ……!!」
5年前。
最高の幼馴染である雨宮美夢が一通の手紙を残して姿を消した。俺の人生は色を失い、『絶望』という言葉の意味を身をもって理解してしまった日。
何があったのか、その答えを喉から手が出るほどに知りたかった。でも彼女の方から話してくれるまでこちらからは訊かないと決めていた。
でもその機会が、唐突に訪れた。
このタイミングという事は、見てしまった悪夢と関係があるという事。心臓がキュッと締め付けられるような感覚がする。視界が一瞬揺らいで、鼓動が全身を駆け巡る。
でも──聞くのは怖くない。ずっと知りたかったから。
少しだけ、彼女を抱きしめる力が強くする。
「聞かせて。俺はあの時の真相が知りたい。大丈夫! 今は一緒にいるんだもん」
最後の言葉は彼女だけではなく、自分自身にも言い聞かせた。今は彼女と一緒にいる。それがどれだけ心強い事か。どんなことを話されても、乗り越えられる。
胸に納まっていた顔がスッと上がって、視線が重なった。少しの不安の色はあるけども、微笑んでくれている。同じことを感じてくれているのだと思う。
「フフフ、本当に昴君は前から変わりませんね……ありがとうございます。では……話しますね。5年前に私の身に起きていた真相を」
一度瞳を閉じ、数秒の静寂。
「あの日、昴君と別れて家に帰った私は──【元家族に命を奪われそうになりました】」




