第31話 幼馴染の髪
「ついに来てしまった……」
部屋で水着に着替えた俺は、脱衣室の風呂場へと続く扉の前に立っている。この扉の先に、水着姿の上機嫌な幼馴染が待っている。
今になって半端じゃなく緊張してきた。
中からは鼻歌が聞こえてくるし、どれだけ楽しみにしてくれているのが伝わってくる。しかも着替えるために一度時間をおいてしまったがために、あの水着姿が脳裏をちらつきドキドキが加速していっている。あの素晴らしい光景は、目を閉じればまぶたの裏に自動的に映し出されてしまう。
落ち着きたいけど、そんなことは不可能。
しかも中の雰囲気を察すのに、俺が入ってきたことには気づいている。すなわちこれ以上、心の準備に費やす時間はない。意を決して踏み込むしかないのだ。
「し、失礼しますー……」
「どうぞ」
意を決して扉を開けると同時に、彼女の期待に満ちた綺麗な視線と重なった。
バスチェアに座り、真正面に待ち構えていた。
この角度…まずい。
彼女の豊満な『例の場所』が、ばっちり見えている。しかも水滴が垂れてかなり危険だ。さっきも見てしまってはいたけども、じろじろ見るのは良くない。彼女の目だけをまっすぐ見ることにした。それはそれで、この子供のようにキラキラとしつつもどこか恥ずかしさを纏った綺麗な瞳を見続けなくてはいけなくて、ドキドキするのだけど。
しかも彼女も視線を一切逸らさない。
正確には少し逸らしていたけども、なぜか一瞬驚いたのちに視線を重ね続けている。
「ず、ずるいです……」
「……えっ?」
「な、何でもないです! その、なんだか……ドキドキしますね」
「う、うん…そうだね。めっちゃ緊張してる」
「昴君、そんなに見つめられたら流石の私でも照れますよ。……少しだけ」
それでも頑なに視線を逸らさない。でも頬っぺたは徐々に赤くなっていく。いつもと少し様子が違う。でもそりゃ互いに水着姿で密室にいるからドキドキよね……!
なぜ彼女が頑なに視線をそらさないのか、わかったかもしれない。
(俺も……水着だもんね)
そう俺は水着姿だ。すなわち俺の上半身が完全に露わになっているのだ。彼女の前で上半身がさらけ出されているのは、遡れば小学校の水泳の授業以来のこと。
そりゃこういう反応にもなる。
ついでに俺の上半身は完璧なシックスパック!……なんてことはない。特別鍛えているわけでもなく、やせすぎず、太りすぎず、いたって普通の中肉中背の肉体だ。こんなことなら、鍛えておけばよかった!
でもこれはあくまでも俺の想像。でももしそれは理由で、彼女もドキドキしてくれているのなら嬉しい。
(俺もそろそろ、この感情にちゃんと向き合わないといけないね)
いつまでも戸惑ってばかりはいられない。一瞬先の未来ですらもわからないのだから。その瞬間を後悔なく生きていきたい。
この『特別な感情』と真正面から向き合わないと、生きている意味がない。
しかしすぐには無理なんで、少しずつ頑張る所存です!情けないことに、俺はそんな勇者みたいに心が強い人間じゃないので。今はとにかく、目の前の難題にチャレンジだ。
「えっと……その、頭を洗う時に俺は前と後ろ、どっちにいれば……?」
「後ろからでお願いします。そうしてくれれば目にお湯やシャンプーが入りそうになっても邪魔せずに自分で対処できますし。それに……流石に前だと近すぎて照れるので。では、よろしくお願いします」
くるっと向きを変えて、鏡の方を向く。
俺も気合いを入れてシャワーを掴み、彼女の後ろに回り準備を整える。あとは俺が動けば始まる。整っていなのは、心の準備くらいだ。
至近距離。あと数センチでその距離はゼロになる。互いの息遣いがわかってしまう。
表情は見えないが、期待に胸を膨らませているのが背中越しにもわかる。綺麗で艶やかな金髪は湯気にあてられ、いつもと違う煌めきを見せる。普段しっかりと見ることのない項や髪のつむじが見えて、少し見てはいけないものを見てしまったような気がして心臓を跳ね上がらせる。いつもよりも近くて全てが鮮明に見えてしまう。
「お、お風呂場で男女2人きり……何も起きないわけ──」
「何も起きないよぉー!それじゃあ始めるからね!!」
おちゃらけた彼女の言葉も緊張からか、少し声が震える。緊張をごまかすために無理して言っているのがまるわかりだ。
こうなれば互いに心の準備など不要。
ドキドキしておかしくなってしまうので、決行。あとはもう勢いに任せるしかないのだ。
シャワーからお湯を出した。いざ、大切な人の髪を洗う。
人の髪を洗うのは初めてだけど、わずかな時間でやり方を調べておいた。といっても手順は自分でやるのとほとんど変わらず、まずは髪をお湯で濡らす。
目の方に行かないようにサッと慎重にシャワーを当てれば、短い金色の髪にお湯が浸透していく。なんだか神秘的だ。髪全体が濡れるように触れる。艶やかで綺麗な髪は触り心地が格別で、つい撫でるような感じになってしまった。
「っん……フフ」
お願いだから声は出さないで。
しかもなぜかにこやかに笑っている感じだし。俺の心臓が持たない。確かに撫でるような感じになってしまったけど。
思えば、彼女は子供の頃から頭を撫でられるのが好きだったね。いつも恥ずかしがりながらも、嬉しそうに受け入れてくれた。
追憶に浸っている時間はない。次の工程にいこう。
シャンプー。もう佳境である。
「じゃあ、シャンプー始めるね」
「よろしく、お願いします」
返事を聞くために前を見たら、鏡越しに彼女とばっちり目があった。
少し照れたような表情で、それでいて期待に満ち溢れた瞳で俺のことをじっと見つめている。
熱い。全身が熱い。こうなれば…動くのみ。
「失礼シマス」
ドキドキしても、照れまくっても、とにかく手を動かす。進むしかないんだ。
そして髪に触れる。刹那、全身に電撃のような衝撃が走った。
(な…何だ、この感覚は!? 艶やかだけど触り心地が全然違う!! 指の間をするりと抜けていって心地がいい。髪質でこれほどまでに違うのか。シャンプーを付けるだけでもこんなに違ってくるんだ……初めての感覚……!!)
感動で震えながら優しく指の腹で地肌を揉むように洗う。
(な…なんだこの感触は!! 固いのに柔らかいような独特で病みつきになりそうな触り心地。頭を撫でたことはあるけどもこんなに違うんだ。この心地よさ、感触こそ違えど気持ち的には彼女の頭を撫でている時と同じだ。ずっとこうしていたくなってしまう中毒性がある。彼女に身体的に触れているけども、心にも触れているような不思議な感覚もする。指先は熱い!!!)
心地よさについ過去の癖が顔を覗かせて、ゆっくり頭を撫でる。いつもと違う感触だけど、これもまたいい。直接肌に触れているのだけども、心にも触れているような不思議な感覚だ。
「……っぁ……んっ……すごく気持ちいい……です……っ」
その感触がお気に召してくれたようで、目を閉じて感触を全力で味わっている。
人の頭を揉んだのは初めてだけど、たぶんこの感触は一生忘れないと思う。揉まれている彼女も気持ちよさそうにしているけども、揉んでいる俺の方もずっと触れていたくなるような気持ちだ。
「ありがとうございます、昴君。夢が……っん……1つ叶いました」
「こちらこそ……あ、ありがとう」
「フフン、そんなにドキドキしてくれて私も嬉しいです。私だけじゃ不公平ですから…」
「私だけじゃ?」
「い、今のは違います!! それは、その……もう! そういう時はスルーしてください!」
赤面しながら少しむくれ顔になってしまった。でもすぐにどこか嬉しそうな表情へと変わる。つい聞き返したのは良くなかったかもしれないけど、嬉しい。彼女にも、ドキドキしていてほしかったから。
今の反応は決して気のせいではない…はず。たぶん。この期に及んで自信が持てないのがなんとも情けないけど、少しずつ前に進んでいければいいと思う。
「今度は私が昴君の髪を洗ってあげますね」
「あ、いや、俺は……うぅ……くっ……いつか、よろしくお願いしようかな」
「本当ですか!? うふふ……楽しみです! 約束ですからね!」
一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに今日1番の笑顔を見せてくれた。本当に太陽みたいに眩しい最高の笑顔だ。
いつもなら躊躇っていた。少し間があったけど、これでも頑張った方だ。
高校生になって気持ちに変化が出て、前にできていたことが簡単にはできなくなっていたのがもどかしかった。彼女はあの頃から変わらずにいてくれていたのに。俺は逃げてばかりいた。
いつもまっすぐに来てくれている彼女を見ている内に、俺も一歩踏み出したいと思えたんだ。彼女の気持ちに応えたい。彼女が俺にしてくれたように、俺も子供の頃のようにもっと真っ直ぐ、ちゃんと向き合いたい。
でも、それほどまでに心は強くないから了承してしまったことに緊張してしまっているのだけど、ね。でもまぁ…この楽しみに強いる笑顔が見れたから全て良しとしよう。
思えば毎回こんな感じになっているけども、悪くはない。むしろ良い。




