第29話 楽しみにしていた『アレ』
あっという間に夕食はできあがった。
メニューは『たまごとあおさの味噌汁』、『からあげ』、『ポテトサラダ』、『ぶり大根』、そして俺がリクエストした『卵焼き』である。
美夢ちゃんの料理はもう何度も食べているし、どれも最高においしい。完全に俺は胃袋を掴まれている状況だ。虜になっているといっても過言ではない。
そんな彼女の料理の中で俺が最も好きなのが『卵焼き』である。
艶やかで光沢がり食欲をそそる見た目。箸で触っただけでわかる、心地の良い硬さ。ほのかな甘みとうまみが口の中で調和して、すっと鼻からいい匂いが抜けていく。過去の味を思い出しただけでもよだれが出そう。空腹感を刺激して、もう限界かもしれない。
そして何よりも──。
「フフン」
対面に座り、俺の反応を見て、嬉しそうに可愛らしい得意顔を浮かべている幼馴染。エプロン姿のままで、その気持ちに呼応するように髪飾りが煌めき、彼女の周りはより一層輝いて見えた。
「そんなに食べたそうにしてくれるなんて、料理人として誇らしい限りです」
「美夢ちゃんの料理はいつも美味しいからね。待ち遠しくて仕方なかったよ。作ってくれてありがとうね!」
「いえいえ! これくらい気が向いたらいつでも作ってあげますよ!」
かなり機嫌がいいようで、褒め言葉も素直に受け取ってくれて、胸をさらに張っている。強調される胸部につい目がいきそうになるけど、理性でこらえる。一瞬だけ心臓がドキッとしたけど何とか耐えた。えらいぞ、俺。
「ありがとう! じゃあいただき……あれ?」
ふっと視線を落としてテーブルを見た時に、足りない物に気付いた。
『俺の箸』である。
これはうっかりだ。出した気がしていたけど、テンションが上がっていて忘れていたらしい。
「アハハ、ついテンションが上がって箸を出し忘れ─」
「出し忘れでは──ありませんよ」
「ふぇ?」
そう言って視線を向ければ、少し緊張した様子の美夢ちゃんの手に、俺の箸が。
「ついにこの時間が来ましたね」
「もしや……」
「そうです! あ、『あーん』です!」
「そんなにも楽しみにしてたんだね!」
確かに夕食にやるとは宣言していたし、少し緊張気味ではあったけど。めっちゃ頬っぺた赤いし、綺麗な瞳も少し潤んでいる気もする。そしてこの流れだともしや初っ端からやる流れなの?
「でも……ま、まだです! これを……」
そう言って手渡されたのは美夢ちゃんの箸である。
『まだ』という事は前段階という事だけど、これでは箸を交換しただけのような。
(まさかこれで俺がご飯を……そして俺の箸で美夢ちゃんがご飯を……?! それはいけませんよ美夢さん!!!)
さすがにそれは攻めすぎだ。ありえない……よな?想像してしまって顔が熱くなってしまったけど、まぁ本人に聞いてみるのが一番早い。
「えっと、これで何を?」
「私にまた……あ、あーんをして、ください」
「……っ!?」
まさかのあーんのおかわり…!
箸を交換して食べるではないことにホッとするけど、それと同時にあの時の光景が蘇ってきてしまって胸が高鳴ってきた。しかも頼んできている彼女自身がめっちゃ照れた感じになっているし、鼓動が耳をつんざく。
「別にいいけど、その…なぜご所望に?」
「気合いを入れるためです」
「き、気合い……?!」
確かにあーんをするのには相応の気合は必要だ。俺もそうだったし、今もそう。というか、グイグイ来る彼女をもってしても、あーんをすることにそれだけ気合いが必要なのか。でもその気持ちはすごくわかる。経験者だもん。しかも今からもう1回するし。
「そういうわけなので……で、では! いただきましょうか。卵焼きでお願いします」
そう言い終わると少し緊張しつつも口を開けて、待ち構える姿勢に入った。待たせるわけにはいかない。こうなれば俺も気合いを入れて動くしかない。
「い、いくよ! あーん……」
「っん」
そっと口に卵焼きを近づけると、あの時と同じように食べた。上品にもぐもぐと口を動かしている姿が可愛らしくて、相変わらずどことなく色っぽい。卵焼きを味わっていくうちに少し緊張がほぐれた様子で、顔をほころばせていく。逆に俺は、刻一刻と自分の番が近づいてきて緊張感が高まっていくのだが。
「ふぅ……私としたことがは、したないところ」
「いや、どこもはしたなくはなかったよ。むしろ緊張した様子が──」
「緊張などしていません! ……少ししか」
やっぱり緊張してたんだ…。自分からグイグイ来るけど照れがある、ある意味ではいつも通りと言えばいつも通りだ。少し強がったけど、悔しいのか声は小さめ。
昼間にはしなくて夜まで取っておいた分、楽しみが増していたようで、少し頬を赤くして目を輝かせる。どこか恍惚としたような目になっている気がするけど、気のせいかもしれない。
でもそれほどまでにこの『あーん』を楽しみにしていたようだ。
そして食べ終わるとおもむろに箸をもって、卵焼きをつまみ上げた。
「では今度は私の番です……! いきますっ! あ、あーん」
はやる気持ちが表れているかのように少し声を震わせながらも、前屈みになり俺に向けてゆっくりと運んでくる。鮮やかで艶のある黄色が照明に反射してキラリと光を放つ。少し緊張しているせいか、卵焼きがプルプルと少し揺れていて、程よい柔らかさなのが見ただけでも伝わってきた。
ふっと視線を彼女に向ければ、頬をリンゴのように赤く染め、少し潤んで瞳になっていた。そんな姿に思わず心臓の音が大きく木霊する。
さっき緊張が少し和らいでいたのにいざその時が近づいたことで、照れがまた高まってきているようだ。その気持ちもよくわかる。
だがその時──視界に入ってしまった。
前屈みになったことで強調された彼女の『谷』が。
そういえば家に帰ってきたことで服のボタン1つ緩めてたね。
急いで視線を逸らしたから、視界に入ってしまったのはほんの一瞬だけ。それでも鼓動を加速させるのには十分。
一瞬しか見ていないのに、空間に重なるようにその瞬間が何度も何度もループで映し出される。
「どうかしましたか?」
「イエ、ナニモナイヨ」
小首をかしげながら聞いてきている彼女だけども、あーんに対して照れて緊張して余裕がないおかげか、見えてしまったことに気付いていないし、俺の明らかな動揺も深くは考えていないようだ。
いつもグイグイ来るから、こういうところも計算に入れてきていると思いきや…これこそ無自覚系というやつか。自然体だからこその、この破壊力。しかもこんな状況で『あーん』までしてきているのだ。最高潮に心臓が早鐘を打つ。がんばれ、俺の心臓。
大切な幼馴染がこんなにもあーんを楽しみにしているんだ。俺の邪な心で台無しにするわけにはいかない!無理矢理に思考をリセットして目の前に迫る卵焼きと、それを緊張しつつも嬉しそうに俺の口元に運ぶ彼女に全力で集中。
俺はあーんに意識を集中させる。それはそれとして、照れるのだけど。
その数秒後、口の中に卵焼きがすっぽり入る。
「……フフフ」
「フフフ……フフン!」
その瞬間、2人して照れ笑いが浮かんだ。
すごく恥ずかしいけども、胸が熱くなるほどに幸せな気持ちがあふれてくる。なんとも不思議な感覚だ。そして相変わらず、めっちゃ美味しい。最高においしい。もし最後の晩餐を選ぶとしたら、間違いなく『彼女が作ったこの卵焼き』をご所望させてもらう。
(えっ……めっちゃ良い。めっちゃ恥ずかしいけど、これはハマってしまうかもしれない。……はっ! だからやろうと思ったのか……!)
やる前までは少し抵抗があったけどやってみればすごく良い気分で、やろうとした理由も完全に理解できた。二次元のバカップルがやるようなことだと思っていたけど、これはバカにできない。
「どうですか?」
「あの……最高に美味しいです」
「それはよかったです。でも今訊いたのはあーんの感想ですよ」
「えっと……すごく良い。めっちゃドキドキした」
「そうですか! フフン! それはやった甲斐がありました」
いつもの得意顔で嬉しそうに胸を張って見せる。俺の反応もよかったためか、ご満足いただけたようだ。
「じゃあ逆に待望のあーんしてみた感想はどう?」
「えっ……? そ、それはその!」
思わず聞いてしまったけど、明らかに動揺している。得意顔から一転して照れ顔に。聞かなくてもわかることだけども、やっぱり言葉で直接感想を聞きたかったから。だってすごく幸せそうだったし。
「えっと……その……よ、良かったですよ」
プイっと顔をそらしているが心底恥ずかしいみたいで、耳まで赤くしている。でもその横顔は幸せそうに微笑んでいた。よかった…本当に。そんな顔が見れたのだ。ドキドキした甲斐があるというものだ。
(この時間がずっと続いてくれればいいのに)
彼女と再会して、この我儘な望みを何度願ったこと。
でもそれくらい、今が最高に幸せなんだ。




