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第21話 あの日の約束を

 来る前にお風呂に入ってきたけども俺の匂いは大丈夫だろうか…不安だ。


「凄く……ドキドキしてますね」


 胸に顔をグリグリとうずめながら嬉しそうに笑った。彼女の鼓動が俺に伝わってきているということは、その逆も当然。あぁ…恥ずかしい!もろバレだよ~!


「そういう美夢ちゃんだってドキドキしてるね」


「ぅ……! えっと……それは……か、風邪だからです! 風邪の時は心拍数が上がるのは当然なのです!」


 ぎゅっと抱きしめる力が強まった。どう見ても照れ隠しだ。本当に素直なのに素直じゃない。そういう所も全て含めて彼女の魅力。


「でも……昴君の匂い、凄く落ち着きます。前からそうなんですよね……ずっと前から」


 落ち着いたかと思えばフッとそんな言葉を漏らした。でもよかった。どうやら匂いは大丈夫そうだ…って、俺の匂いが落ち着く?前から?


「え…俺の匂い…」


「あっ…それはその…忘れてください!」


 言った本人も『しまった』というような表情と声色になり、恥ずかしいようで胸の中で少し悶えている。


 こういう部分も風邪で歯止めが利かなくなっているようだ。確かに風邪を引いていると頭が回らないよね。そりゃグイグイ度合いも加速するってものだ。


 でも思い返してみれば、俺からグイグイ行ってた時は彼女が毎回こんな感じで照れていたなー。微笑ましい。


「忘れなかったら口の中に……クレープとかパフェとかドーナツとかぶち込みます!」


「甘いものづくし過ぎる! 別に苦でもないしなんなら甘いものは好きだから歓迎だけど…忘れます! もう思いっきり忘れる! あぁーもう何も思い出せないー」


 相変わらず可愛らしい忘却術を仕掛けてこようとして来てついつい笑ってしまうが、本人はいたって真面目そうなので乗ってみる事にした。グラブ・ジャムンよりかは甘さを抑えた食べ物を上げてくる所に少しの優しさと、余裕のなさを感じられて良い。


「ねぇ昴君」


「はい?」


「わ、私の匂いは……どうですか?」


「……っ?!」


「その……あなたが来る前にしっかりお風呂には入ったので、汗臭さとかはないはずで──」


「だ、大丈夫だよ! 心配しないで! そのむしろ…落ち着くと言いますか。……あっ」


 言った瞬間に気付いたよね。これは彼女と同じミスを犯したと。


「……えっち」


 胸をポカポカ殴られながら、消えそうな罵声が鼓膜を刺激する。


(あぁ~俺は何を口走ってしまっているんだァ~~!!! バカバカバカッ!! 美夢ちゃんは風邪を引いてるからわかるけど、俺がそういう踏み込んだ本音を言っちゃダメだろ!! もう完全に変態チックになってるじゃん!俺まで昔に戻ってどうするんだよ!!)


 ドキドキしすぎて焦っていたとはいえ、この発言は少々よろしくない気がする。もう無邪気なあの頃ではないのに。


 たしかに彼女の本心が漏れ出て、強気モードと弱気モードが交互に来てその様子のギャップを短時間で全身に浴びて鼓動の加速が強まったけども。むしろ早すぎて止まってしまうのではないかと不安になるほどだったけども。


「あの……今のを忘れていただく事は……」


「……グラブ・ジャムンを口に入れられても忘れません。フフン!」


 どこか楽し気にいたずらっぽく笑う彼女の笑顔は眩しかった。忘却は、彼女は良くても俺の場合はダメらしい。理不尽極まりない。でもそれがまた良い。


 喜んでいるっぽいし、良しとしよう。


「んん……」


 少し活動したらまた睡魔が襲ってきているようで、うとうとし始めていた。大きな瞳が半分くらいの大きさになりながらも、それに抗うように子供の様に目をこすり懸命に開けようとする。


「風邪なんだからゆっくり休もう?」


「嫌です……まだ起きていたいのに……」


 うとうとしているからか、本当に少し子供っぽくなっている。少し新鮮な感じがして愛くるしい。昔でも、これほどまでに子供っぽい姿は記憶にない。


 今もそうだけど幼稚園、小学校時代の彼女は年に似合わぬほどに大人びていた。年相応に喜んだり、楽しそうだったり積極性もあったけども、どこか達観していて、人の目をよく気にしていた。そんな彼女が今はこんなにも自分をさらけ出している。なんか嬉しい。


「何か俺にやってほしい事とかある?」


「せっかく再会できて凄く嬉しいのに……昴君ともっとお喋りしたり、もっと触れ合ったり……もっと一緒の時間を過ごしたり……寝ている時間も惜しいのに……」


「っぁ……」


 俺にとっても今この瞬間は、かけがえのない特別な時間である。どんな事よりも優先したいと思える、文字通り人生をかけられる特別な時間だ。


 彼女もまた、同じくらいにこの時間を特別に思ってくれていた。


 嬉しくてつい彼女を抱きしめる力が強くなる。


 生きててよかった。この瞬間に生きていられる事を誇りに思う。


「大丈夫。これからも一緒だよ! もう離れないから。離れていっても必ず見つけるから。だから……安心して。甘えたくなったらいつでも胸を貸すよ。風邪の時だけじゃなく、いつでも。元気になったらまたいろいろ一緒にしようね! 約束だよ」


「昴君……! フフフ、約束ですから」


 もう黙って離れるなんて選択肢は取らせない。

 

 まだ高校生でできる事は少ないけど、あの頃と違って彼女を安心させられる。ただそれだけでも、大きな一歩だ。


 あの頃と変わらずに嬉しそうに微笑んでくれて、安心したように胸の中で目を閉じた。


「ねぇ……昴君」


 目を閉じ、眠りに落ちる寸前。殆ど意識がない中で微かに発せられた言葉は、確かに俺を呼んだ。ぎりぎりまで俺の名前を呼んでくれとは、嬉しい。


「なに?」


「あの日の約束……もし覚えてくれていたら、嬉しいです」


「ぁっ……」


「でも守るかどうかは……昴君にお任せ……しま、す……」


 そう言葉を残して、スゥ、スゥという規則正しい寝息に変わった。


 『あの日の約束』。


 俺にとって忘れる事はできない特別な記憶。


 再会した日に少し触れて以来、互いにどこかその話題をしないようにはしていた感じはあった。


 でもここに来てようやく彼女の本音が聞けた。嬉しいとはっきりと言ってくれた事に、心の中にかかっていた霧がスッと晴れたような気がする。でも約束を守るかを俺に任せるなんて、自分の気持ちを抑えてしまうのは変わっていないようだ。


(でも逆に言えば、そういう言い方をしてくれているということは──)


 淡い期待が頭をかすめていく。けど、これはまだ俺の勝手な想像に過ぎない。


「……エヘヘ。あくまでも想像だけど、ね。でも……そうだったなら嬉しいな」


 彼女なりの不器用な優しさが身に染みるよ。勝手な想像でも嬉しくて、口角が上がりっぱなしだ。


「覚えてるよ……俺にとっても大切な約束だから。美夢ちゃん……俺、あの日の約束を──」


 まだもう一歩を踏み出す勇気はないけどもいつか、しっかりとした答えを口に出せる日が来ると信じて。


 フッと視線を枕元に向ければ写真立てに飾られたツーショットと、カピバラのぬいぐるみが視界に入った。つい最近作った思い出と、子供の頃に作った思い出。形は違うけど、またこうして新しい思い出を2人で作り上げていく事ができている。


 あの絶望の中で過ごした5年間を払拭するように、2人で今を生きている。その実感が胸の中でじわじわと広がってきていた。


(もう後悔なんてしたくないから……俺のできる事を精いっぱい頑張るぞ!!)


 今だったら何でもできてしまうような気がする。


 この最高の現実をいつまでも守っていけるように、俺はその瞬間を生きていく。



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