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第17話 過去を知る痕跡

「じゃあ次」


「えっ、次?」


「汗をかいちゃったので、体をタオルで拭いてくれます?」


「……え?あの、その、それは……俺が美夢ちゃんのってこと……?」


「それ以外に誰がいるんですか?まったく……」


 俺が美夢ちゃんの体を……拭く?!


 たしかに風邪を引いた時は、自分の体を拭くのも大変だと聞く。実際に俺が子供の頃に風邪を引いた時は、体がだるくて動く気力も体力もなかった。それを考えれば、お願いするのも普通の事ではある。


(でも異性の体を拭くのはちょっと……ね。それなりの覚悟はいるよね。決して嫌とかではないしむしろ好き……それは語弊がある! 好きとかではないんだけど……とにかく!! 倫理的にあまり良くない気がする!!)


 自問自答する俺の思考はパニックで中々まとまらない。


 今さっきのおでこの接触ですらもドキドキしたのに、今頼まれたのはそれ以上だ。拭くということは俺が彼女の服の中に手を入れる、という事だ。いや、待てよ。タオルを間に挟んでいる分まださっきよりもドキドキしないかもしれない……かも。いや、どこを拭くかにもよる。タオルを間にしているからといっても、流石に無理な場所は無理だ。


「大丈夫ですよ。『今回は』背中を拭いてくれればあとは自分で拭けますので」


「そ、そっか……え? 今回は?」


 待って。もしかして次もある可能性があるの?


「細かいことは気にしないでください。そ、それとも……頭のてっぺんから、足の先まで……」


「それはやめておきましょう! 背中だけにしましょう!ね!」


 この状態の彼女に流されては、本当にそうさせられる流れになりかねない。頑張れ俺。ちゃんとここで食い止めるんだ。


「むぅ……じゃあ背中だけで。起こしてください」

 

 少し残念そうな表情になった彼女の背中にそっと手を回して、起こすのを手伝う。独特の柔らかな筋肉の感触とほのかな温かさに心臓はドキッとしっぱなし。


 それにしても俺と身長はそう変わらない、痩せすぎているわけでもないその体は、凄く軽くて驚いた。運動神経抜群で、しなやかな筋肉のついた健康的な体格。身長も平均よりも大きい。なのに、今こうして起こすのを手伝えば、こんなにも軽く感じてしまう。それだけ今は風邪で弱っているということだろう。こうして甘えてきてくれているのも、彼女なりのサインなのかもしれない。


 そんな事を思っていると、彼女は早速パジャマの上着を脱ぎ始めていた。徐々に白く滑らかな肌が見えてきていた。


「……っ~?!」


 思わず息を飲むとはこのこと。


 肩、背中、そして腰からなる曲線美。服の上からでも感じていた、しなやかな筋肉がほどよくついた健康的な体が露わになっていく。白い肌は汗で光り、ほんのりと赤くなっている。その全てが美しくて、色っぽくて…色っぽい。語彙力は溶けた。しかもこんな時でもピンと姿勢を伸ばしているので、それがまた美しい。


 背中を拭くためには上着を脱がなくてはいけないけど、心の準備ができていなかった。


 まじまじと見てはいけないと思いつつも、目が離せない。


 でもだからこそ──ある事に気付いてしまった。


【傷跡】。


 彼女の背中には、傷跡のようなものが何個かうっすら見える。しっかり見ないとわからないものだけど、確かにある。俺にも子供の頃に負った怪我の跡が少し残っているんだけど、それに似ている。でもなんで背中に。


 前に言っていた親との折り合いが悪くなったって…。


 不安が心を掠めていく。でも──。


(今はそんな事は気にしちゃいけない!)


 風邪をひいている体を、長時間このままにしておくわけにはいかない。俺は止まってはいけない。普段は見れない背中が色っぽくてドキドキしても、その傷がどういう意味を持つにしても。最優先すべきは『汗をかいた背中を拭くという事』だ。


「じゃ、じゃあ拭くね!」


「……はい、お願いします」


 後ろを向いているので表情はわからないけど、さっきよりも耳が赤くなっているのは気のせいではない。声色も少し緊張気味だ。それを感じてしまい、また胸のときめきが一段と大きくなっていく。


 緊張で手が震えそうになるのを必死にこらえて恐る恐る慎重に触れると、タオル越しにも伝わるほどにその肌は熱く、それでいて前に感じたままの特有の柔らかさだった。


 優しく拭いていくけども、少しくすぐったいようでたまに悶えたような声が漏れ、ピクリと体が反応する。その度に俺の心臓も大きく脈動してしまう。


 ぎりぎりの精神状態の中で声を漏らさなかっただけでも、自分で自分を褒めたい。


「背中の傷跡……目立ちますか?」


「っ!」


 ちょうど傷跡付近を拭いていた時、不意にそう言われて動きが止まった。


 もしかして背中にも目がついてる……?そんなわけはない。彼女のことだから俺の気配に対して敏感になっているのだと思う。それもそれで凄いけど。


「ううん、全然目立たないよ。じっくり見てなかったらわからなかった」


 目立たないというのはお世辞でも何でもなく、事実だ。


 この至近距離でよく見てなかったら、おそらく気づくことがないほどの跡。もしかしたら治療で消したのかもしれない。それほどまでに薄っすらとしか見えない程のものだ。


 俺が記憶の限りでは、彼女が怪我を負う状況に覚えはない。少なくとも俺と一緒にいた間に負った怪我はない。この傷跡がどういう意味を持つのかはわからないし、おそらくは彼女自身も気にしているものだとは思う。だからこそ、嘘をつきたくなかった。この言葉に嘘偽りを持たせる気はない。


 というか彼女の場合、俺が嘘を付く方が何よりも嫌だと思う。

 『傷跡?全然見えなかったよ?』とか言った日には、絶交もあり得る。


 俺は聖人君主みたいなできた人間じゃないけども、彼女にだけは誠実でいたい。


「ふーん……『じっくり見てなかったら』、ですか。私の背中をじっくり見たんですね?」


「ァア……ソレハ、ソノ……」


 完全にやらかしましたね~~。


 そこまでの覚悟を心の中で語っておきながら、この様である。完全に墓穴を掘った。今の言い方では、背中をじっくり見たみたいな言い方だった。いや、実際に見たからこう言ってしまったわけだが。やらかした~!


「フフフ……素直でよろしい」


 でもなぜか嬉しそうだ。


「もっと素直になっても良いですよ。……その傷跡、気になります?」


「気にならないよ。この傷跡も含めて、美夢ちゃんの背中は凄く綺麗で魅力的だと思う。だから全く気にならない」


 そう言って、脱いでいたパジャマを着せた。


 傷跡も含めて、綺麗で魅力的だ。この言葉に嘘偽りはない。そもそも極限の精神状態だから、お世辞や嘘なんてつけないのだけど。でもそれにしても素直に言い過ぎた気がする。普通にこの発言は結構変態チックな雰囲気が出ているし。この場の雰囲気を込みにしてもギリギリなラインな気がして、気が気じゃない。


「……フフン……本当に昴君は変わりませんね」


 嬉しそうにそう言いながら振り返り、最高の笑顔を見せてくれた。その瞳が少し潤んでいるは、決して見間違いではない。振り返る直前に、目をこすっていたような仕草もちらっと見えていたし。長年の付き合いで俺の言葉に嘘偽りないと、わかっているようだ。


 よかった──少しでも彼女の心を救えたような気がする。心の支えになれた気がする。


「これもまた……私が話したくなるまで訊かない感じですか?」


「うん! そういう感じ」


 これも前と変わらずだ。いつか話してくれるかもしれないし、永遠に話してくれないかもしれない。でもそれでいいんだ。


 その選択に、俺は後悔も悔いもない。


 寝かせるのを手伝いながら、そう笑って見せた。


「さてさて……風邪なんだから、お話はそろそろ終わりにして寝てね」


「仕方が、ありませんね……もっとお話ししたいのに……」


 そろそろ昼食の準備をするには、ちょうど良い時間になってきていた。


 彼女も残念そうに唇を尖らせて見せるが、大きな瞳は半分くらいの大きさになり、ウトウトとし始めていた。こういう時はいくら寝ても足りないというものだ。今のだけでも体力を消耗したのだろう。



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