第16話 初めてのお願い
ご所望なのは、子供がお医者さんごっことかにする、おでこをくっつけるあれだ。
おでこがくっつくということは、ほぼほぼ顔を密着させるという事。再会の時に抱きつかれたように、密着したことは何回かある。それにしてもおでこ同士をくっつけるとなると、過去最高の密着具合になる。
想像しただけでもおでこが熱くなっていくし、鼓動が妙に響く。
俺がアワアワしている間にも美夢ちゃんは、汗をかいていた自分のおでこをタオルで拭いて準備を整えていた。金髪ベリーショートから覗く、シルクのような艶やかなおでこ。熱でいつもよりも少し赤くなっていて、それがまた妖艶な雰囲気を増させる。
「そ、そんなに照れなくてもいいじゃないですか」
俺のアワアワしている様子を見て、少し緊張している様子。しかしそういう彼女だって、風邪で赤くなっている顔をまた少しその色を濃くさせている。
「そういう美夢ちゃんだって少し照─」
「照れてなどいません! 風邪で頬っぺたが赤くなっているだけです! 頬っぺたと言えば、今回のおでこをつけるのだって前に昴君がやってくれた頬ずりみたいなものです」
「前って……だいぶ子供の頃だよ……。しかもあれ──」
彼女と今までで一番密着したのは、純真無垢な小学校低学年の時。
その日は運動会であった。
「みゆちゃーん! がんばれー!」
徒競走に参加する彼女を応援しようと、俺は張り切っていた。どのくらい張り切っていたかというと、応援うちわを手作りして、それをブンブン振っていたくらい。アイドルのライブに参加するファンばりに一生懸命に振っていた。
うちわには、デコレーションされた大きな文字で『みゆちゃん!』、『がんばれー!』と装飾されている。ほぼ『推しうちわ』である。応援席の最前列で周りの声援に負けないくらいの大声で応援していたと思う。
今思い返してみても、中々の問題児である。
そんな俺を見つけて、一瞬驚きつつも嬉しそうに笑ってくれていた美夢ちゃんの姿を今でも鮮明に覚えている。
いざ徒競走が始まり、結果は堂々の1位。
ゴールした瞬間に応援席を抜け出して彼女の元へと駆け寄った。
「すごーい! みゆちゃん、すごいよ! 1位だよぉー! おめでとうー!」
「フフン、ありがとうございます。昴君の応援のおかげでがんばれました」
「えへへ、みゆちゃんの実力だよ! えらいね、よしよし~」
「んっ」
そう言って彼女の頭を撫でた。恥ずかしそうに伏目になりながらも嬉しそうに笑ってくれた。あの頃の俺はかなり積極的だったな……今とは逆だ。
そして。
「す、昴君! その……えっと……頑張ったので……ちょっとだけわがまま言ってもいいですか?」
「もちろんだよー! ドンッときてください!」
「じゃあ……その……あの……ほ、頬っぺたを! スリスリして、ほしいです…」
伏目で赤面し、語尾も小さくなったけど、それでも最後まで力強く言葉を紡いだ。
思い返されたあの時の頬ずりは、彼女からの初めてのご所望であった。
そしてこれが、彼女が初めてのグイグイ来てくれた瞬間かもしれない。
「わかった! えい!」
「はぅっ…」
彼女からしてほしいと言われたのは凄く珍しくて、俺は嬉しかった。今思い返しても全く我儘でもないし。
なので、無邪気で純真無垢だった俺は即行動。今みたいに恥ずかしいとかはない。何も考えずに頬っぺたを合わせて、スリスリした。
「エヘッ! みゆちゃんの頬っぺたはあったかいし、むにむにだね~。すなわち……みにみにだよー! みにみにだよ! みにみにだよ!」
「うぅっ……んっ… 昴君……ず、ずるいです」
恥ずかしがりながらも嬉しそうに、俺の頬ずりを受け入れてくれた。子供の頃の行動力や純真無垢具合とは恐ろしいもので、あの時は恥ずかしいとか、どぎまぎするとか何もなかった。その瞬間の幸せを素直に全力で噛みしめていた。
というか、今思い返してもなんだよ、『みにみに』って……。
なんてことがあった。あれがグイグイの起源かもしれない。お願いされたとはいえグイグイ行ったのは俺の方なんだけど。
あの頃の俺はスゴイな……尊敬しちゃう。もうむしろここまでくると、間違いなく俺だったんだけど、別人だったんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。
そして時が経ち、今の複雑な感情が生まれて苦労して現在に至る。
「あ、あれは……! その……今そのことはいいんです! ズルいです……」
風邪で赤くなった頬っぺたがその濃さを増していく。自分から言い出したのにこの反応である。そんな姿に俺は相変わらずドキドキしてしまう。これ以上は俺もダメージが深くなりそうなのでやめにしよう。
とにかく今は目の前で発生したお願いに集中だ。おでこをつける─すなわち顔が接近するのだけど、その事実に胸の高鳴りが最高潮を迎えようとしている。
でも待たせるわけにはいかない。俺も覚悟を決める時だ。
「じゃあ……し、失礼します!」
「……っん、お願いします」
横になっている美夢ちゃんに近づき、おでこにかかっている前髪を上げる。サラサラで滑らかな髪は少し汗に濡れて煌めくも、その輝きと触り心地は変わらず。少しだけ触れたおでこは、前に触れた時よりも熱い。
髪に触れた瞬間に美夢ちゃんの体が少しだけピクッと反応し、色っぽい声が漏れた。なんて良い触り心地なんだ。つい少しだけ頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細めてくれた。可愛い。瞬きですらも目を離したくない。とろんとして少しだけ潤んだ瞳は、どこか嬉しそうで期待しているようだった。
「じゃあ……おでこ、くっつけるね」
「いつでも……どうぞ」
まだ少し心の準備ができていないけども、待ってくれているのだから時間をかけるわけにはいかない。意を決して徐々に近付ける。近づくにつれて甘い匂いがふわりと包み込んできて、同時に彼女の息遣いがはっきり伝わってくる。すなわち俺の息遣いも伝わっているという事だ。心臓の音が更にうるさくなっていくけど、止まることはない。
ゆっくり慎重に近づいて、そして──触れた。
「ひゃうっ……」
お願いだから今そんな声は出さないで。ただでさえ心臓がバクバクしてるし、この体勢、少し違えば唇が……ダメだ、考えるな。心臓が持たない。
綺麗なライトグリーンの瞳と交錯したまま、おでこが触れ合っている。息遣いと温もりが伝わってきて、ドキドキするけども心地が良い。体だけじゃなく、心も繋がっているような…上手く言語化できないけど、そんな感情が全身を駆け巡る。
ずっと触れていたい。ずっとこうして──。
「……は、はい」
「ぁぁ……」
頭が完全に思考停止する前に何とか帰ってこれた。セーフだ。スッと上半身を起こしていつも通りの距離に戻る。脈打つ鼓動があらぶっていて、意識が吸い込まれるようになくなる寸前だった。危なかった…。
離れた瞬間、名残惜しそうな表情から声が漏れたのは決して聞き間違いではない。
「……昴君のえっち、です」
「ふぁっ?!」
照れ顔でプイっと顔を逸らしたかと思えば、その第一声がまさかの『えっち』とは。
色々な感情があったのは事実だし、完全に否定できないけど…できないけど!おでこをくっつけるのは彼女の方から言われてしたのに、理不尽な…。でもだからこそ、このコメント…良い!甘んじて受け入れます。
「でも昴君のおでこ、ほどよく温かくて……良かったです」
「お、お気に召してくれてよかった!」
「私のおでこはどうでしたか? 自慢のおでこなんですけど」
それは初めて聞いた。確かに綺麗で張りがあって広さもいい、魅力的なおでこだ。おでこフェチではない俺でも、そう思えるくらいにいいおでこだ。そしてそんなことを言われてしまうと、おでこから目が離せなくなってしまう。
「えっと……温かくて落ち着く雰囲気だった、よ」
正直ドキドキしすぎてて、温かくて心地が良かった、くらいしか覚えていない。熱かったような気がする。風邪の熱さかそれとも別の熱さかは、わからないけど。
「そう、ですか。よかった…」
答えに満足してくれたようで、嬉しそうに微笑んだ。今日のグイグイモードは一段と破壊力があるな。これが世の多くの人間を狂わせるという、『弱っている時に甘えてくる愛くるしさ』というやつか…良い。
これは狂う。




