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【旧作】のんびりお茶を飲んでいたいので、元・最強魔王候補の僕が世界を変えることにした  作者: 七割カカオ
勇者の足跡

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第8話 失われた静寂とスノーニードル

白銀の霧がたゆたう、隠れ里の夕暮れ。


人里離れた辺境の地に、ひっそりと佇む一軒の(いおり)。その縁側に深く腰を下ろし、遠く連なる藍色の山脈を眺めていたのは、一人の老いた魔族、ゼノ。


その節くれだった手には、先ほどまで若者が座っていた場所に残された、一服の茶の余韻がわずかに漂う茶碗が握られている。


「あやつ、なかなか見事な茶を淹れおるわ」


ゼノは独り、満足げに目を細めた。手の中にある、ひび割れた粗末な茶碗。そこに残る香りは、魔界の贅を尽くした宮廷の芳香とはまるで違っていた。


それは、ただひたすらに「安らぎ」という名の(ことわり)を追求した、奇妙なほどに透明な味だった。


だが、その老いた眼光の奥に焼き付いて離れないのは、若者が腰の刀――『不抜』の柄に、無造作に指をかけた一瞬の所作だ。


一瞬だけ、本当に瞬き一つ分にも満たない時間、その鞘の隙間から漏れ出たのは、空間を、そして運命さえも断ち切るような鋭すぎる気配だった。


それはかつて、この世界に大きな変革をもたらした強者たちの残光に似て、それでいてどこか新しい。


「あやつがこの停滞した世界をどう掻き回すか、見ものだな」


ゼノは、現在の魔王領を統べる冷酷な管理者、サタンのことに思いを馳せる。


重厚な鎧と仮面を纏い、一切の感情を排して効率のみを追求する、沈黙の支配者。


かつての美しい静寂を知るゼノにとって、今の世界はあまりに騒がしく、そして窮屈に見えた。


この窒息しそうな息苦しさに満ちた場所を、あの温かな茶を淹れる若者がどう変えるのか。


「ま、隠居の老いぼれが案じることではないがな。喉が渇いたわ」


老人は、最後の一滴を惜しむように飲み干し、静かに目を閉じた。薪の爆ぜる音だけが、彼の静寂を守っていた。



ゼノの庵を後にして数日。


エルム一行が辿り着いたのは、魔王サタンが直接統治する北の要衝、雪の都『スノー・グレイズ』だった。


本来、この都は魔王領の中でも一際美しく、一年中魔力を帯びた繊細な雪が降り積もる場所だ。


その雪は、街中のあらゆる雑音を吸い込む「天然の静音材」としての性質を持ち、かつては「世界で一番静かな街」として知られていた。


「エルム!! なんだこの劣悪で気持ちの悪い暑さは。雪の都ではなかったのか?」


都の重厚な入り口を抜けた瞬間、エターナが鋭い声でエルムに問い詰めた。


彼女の不快感は至極当然であった。一行を襲ったのは、凛とした冬の空気ではなく、湿った、まとわりつくような熱気だったからだ。


街のあちこち、美しいゴシック様式の建物が立ち並ぶ街の中央に、場違いなほど巨大な真鍮製の煙突を備えた『魔導ヒーター』がそびえ立っている。


それらは「ゴーッ」という地響きのような不快な重低音を響かせながら、絶え間なく熱風を街路へと吐き出していた。


空からは絶えず魔法の雪が降っているが、それは地面に届く前に熱気に晒され、無残な雨となって降り注いでいる。


溶けかけた雪が石畳の上で泥水となり、立ち上る蒸気は街全体を不快な湿気で覆っていた。


「二十四時間の物流を可能にするための気温調整か…」


エルムは眉をひそめ、額の汗を拭った。

一行の目的は、この街の過酷な環境でしか育たない希少な茶葉『銀嶺の白毫(スノー・ニードル)』を入手することだった。


魔力の雪を養分に、極寒の中でじっくりと芽吹くその茶葉は、針のように鋭い後味と、体内の熱を瞬時に沈める効能を持つ、薬用茶葉に近い貴重な品種だ。


一行は、街の隅にある、古びた茶舗(ちゃほ)の暖簾をくぐった。


店主の老人は、店内の冷房魔法を維持するのもやっとという様子で、力なく椅子に座っていた。


「ああ、スノー・ニードルか。申し訳ないが、今年は良い芽が取れんでな」


老人は、棚にある空の茶筒を寂しげに指差した。


「あのヒーターが設置されてからというもの、雪が地面に触れる前に溶けてしまう。雪の魔力を吸って育つあの茶葉は、今や絶滅の危機じゃ。


昔は、しんしんと雪が降る音だけが聞こえる、本当に、本当に静かで美しい街だったんじゃがな。


サタン様が効率を求めるようになってから、この街から『静寂』が消えてしまった」


老人の言葉には、支配者への恐怖よりも、守りたかった景観を失った深い喪失感が滲んでいた。


エルムは店を出た後、街を覆う厚い蒸気の向こうで、轟々と不快な音を立てる巨大なヒーターを見上げた。


魔王サタン――鉄の箱に閉じこもった、沈黙の支配者。


その「王」が本当に望んでいるのは、この住民たちの溜息をかき消すほどの、不自然な熱気と騒音なのだろうか。エルムの胸中に、小さな、けれど確かな疑問の火が灯っていた。



街の中央広場。天を衝くような巨大なヒーターの制御塔の前で、マルコシアスは焦っていた。

(『スノー・グレイズの気温調整はいかがでしょうか?』という私の伺いに対し、サタン閣下は無言を貫かれた…。三分間もだぞ。


あれは『私を凍えさせる気か。この程度の温度で満足しているのか、無能め』という、沈黙の断罪に他ならぬ。閣下の期待に応えられねば、次は私の胃ではなく、首が飛ぶのだ)


「やあマルコ、暑いね~」


背後からかけられた穏やかな声に、マルコシアスは心臓が口から飛び出しそうな勢いで跳ね上がった。


「エ、エルム殿!? な、なぜここに! 瑠璃色の湖の件は不問に付されたが、あれは閣下の気まぐれに過ぎないのです…


これ以上、閣下直轄の重要拠点で騒ぎを起こされては、私の寿命が本当に尽きてしまう!」


「騒ぎを起こすつもりはないよ。ただ、この街の本来の良さが、熱で歪んでしまっている。魔王サタンは、本当にこれを望んでいるのかな?」


エルムの静かな、しかし確信に満ちた指摘に、マルコシアスは口を噤んだ。


その時、それまで不機嫌そうに周囲を見ていたエターナが、鼻を鳴らして冷ややかに告げた。


「当然だろう。効率しか頭にない傲慢な魔王には、この程度の情緒も理解できない。


美意識の欠片もない真鍮の塊を並べて満足しているのだから、救いようがないわ」


「エ、エターナ殿、なんてことを! 」


マルコシアスが怯えるのを、エターナは不遜な眼差しで見下ろした。


「本当はお前も気づいているのだろう?


それよりエルム、この不快な湿気は何とかならないのか。さっさと用事を済ませてこの街を出るぞ」


彼女の威厳は、魔王の威光を前にしても一切揺るぐことはなかった。


それが、エルフとしての誇りなのか、この街の、人工的に調整された空気が彼女の機嫌を損ねたからなのかは不明だが。



その時だった。不快な熱気に揺らぐ夕暮れの空から、突如として黄金の魔力粒子が、キラキラと輝く粉雪のように降り注いだ。


ヒーターの駆動音さえも一瞬でかき消すような、優雅で、それでいて、その場にいるすべての者の魂を直接握りつぶすような、強大な「王」の圧。


「あらあら。相変わらず、ここだけは暑苦しい場所ねぇ。サタンもこんな悪趣味なものをよく許しているわね」


漆黒の四頭の駿馬に引かれた、宝石をこれでもかと散りばめた豪華絢爛な魔法馬車が、広場の中心に優雅に舞い降りた。


扉が開くと同時に、周囲にいた魔族たちは、それが何者であるかを理解する前に、本能的な恐怖によって石畳の上に平伏した。


現れたのは、燃えるような真紅のドレスを纏い、黄金の長い髪を波打たせた美女。第七魔王アスモデウス。


彼女の美貌は、他者を圧倒し、屈服させるための暴力的なまでの覇気を放っていた。


そこに彼女が立っているだけで、大気そのものが彼女に(ひざまず)き、周囲の熱気さえもが畏怖して道を譲っているかのように見えた。


アスモデウスは、漆黒の羽で縁取られた扇で胸元を優雅に仰ぎながら、広場を傲慢に見渡した。


そして、一人の青年に目を留めると、その妖艶な唇を悪戯っぽく、三日月のように吊り上げた。


「あら、見つけたわ。エルちゃん、元気にしてた?」


「…は?」

エターナの口から、先ほどまでの不遜さとは打って変わって、間抜けな声が漏れた。


マルコシアスはあまりの衝撃に、抱えていた大量の報告書をバラバラと石畳の上にぶちまけた。


広場にいた全員の視線が、一介の茶師であるはずのエルムに集中した。


「エ、エルちゃん!? あの、第七魔王閣下が!?」


「お久しぶりです。魔王アスモデウス、いや、ミレイユ姉さん。その呼び方は、もう控えてほしいと、あれほど言ったはずでしょ?」


エルムが、心底困ったように深い溜息をつきながら答える。ミレイユは楽しげに喉を鳴らし、エルムの元へ一歩ずつ、優雅に歩み寄った。


彼女が歩くたびに、靴音に合わせて甘い花の香りが広がり、不快な蒸気が物理的に浄化されていく。


「いいじゃない、いくつになっても私の『エルちゃん』よ。


あら、あなたがエターナちゃん? 噂通り可愛いわね。エルちゃんと仲良くしてくれてありがとう。 もし粗相があったら、私に言いなさいね」


ミレイユは、圧倒的な「格」の差を見せつけるようにエターナの顔をじっと覗き込み、慈しむような、それでいて、どこか品定めをするような妖しい瞳で微笑んだ。


エターナは、異常なまでに圧倒的な、魔界の頂点に君臨する魔王としての存在感に、一瞬だけ言葉を失った。


だが、そこは不遜なエルフである。彼女はすぐさま、煮え繰り返るような不快感を、鋭い眼光に変えて突き放した。


「趣味の悪い女だ。エルム、お前はこの派手なだけの魔王と知り合いのようだな。『エルちゃん』? 虫酸が走る」


エターナの言葉に、マルコシアスが「不敬ですよ!」と白目を剥いて倒れそうになるが、ミレイユは怒るどころか、面白そうに目を細めた。


「くふふ、威勢がいいわね。エルちゃん、いい子を見つけたじゃない」



「さて。挨拶はこれくらいにして……」

ミレイユは、急に温度の消えた真顔になると、目の前にそびえ立つ巨大なヒーターを忌々しそうに見上げた。


「マルコちゃん。あなた、本当にセンスがないわね。本気でサタンがこんな湿気た街を望んでいると思ってるの? こんな騒がしいのは嫌いなはずよ。これじゃ、魔王サタンの名が泣くわね」


「は、はあ、、しかし、閣下の沈黙は、より高い出力を求めているのだと…」


「黙りなさい。あれ、本当に耳障りよ。見てるだけで不快だし、肌が荒れるし、私の髪もうねるわ。サタンに代わって、私がこのポンコツを片付けてあげる」


ミレイユが右手の指先を掲げると、そこには、地形そのものを書き換えるレベルの、膨大な、しかし極めて洗練された黄金の魔力が集束し始めた。


それは単にヒーターを破壊するどころか、街の中央区画ごと蒸発させ、スノー・グレイズに巨大な穴を開けかねない、純粋な破壊のエネルギーだった。


その術式の規模と精度、それを構築するスピードにエターナは驚愕し、目を見開いた。


「ひいぃっ! おやめください、魔王閣下! 街が消えてしまいます!」


マルコシアスが悲鳴を上げるが、ミレイユの指先は止まらない。彼女はチラリと隣のエルムを見やり、試すような、挑戦的な笑みを浮かべた。


「エルちゃん。火力調整、よろしくね? 鈍ってないことを証明しなさい。でないと、本当に更地にしちゃうわよ?」


「全く…人使いが荒いのは、子供の頃から変わらないなあ。お茶の時間が遅れるじゃないですか」


エルムが大きく溜息をつき、一歩前へ出た。その瞬間、彼の穏やかな茶師の気配が、一変した。左手が、腰の鞘を、慈しむように、しかし鋼のような力で掴む。


カチリ。


(つば)が鳴った瞬間、エルムを中心に、不気味なほどの静寂が広がった。


エルムの瞳は深紅に染まり、背には漆黒の翼の幻影が、夕闇に揺らめく。


ミレイユの黄金の極大魔法が放たれた瞬間、エルムの刀が数センチだけ、鞘から引き抜かれた。

第8話をお読みいただき、ありがとうございました!


効率主義によって「サウナ」と化した雪の都を舞台に、物語は大きく動き出しました。


突如登場した第七魔王アスモデウス(本名ミレイユ)。エルムを「エルちゃん」と呼ぶ彼女は、最強の茶師のペースを乱す唯一の存在です。


彼女に翻弄されるエルムと、それを見て気が気でないエターナの対比が見どころです。


管理局が導入したヒーターは、物流を改善した一方で、街の象徴である「静寂」と希少な茶葉を絶滅寸前まで追いやりました。


サタンの沈黙を「もっと熱くしろ」と深読みし、暴走自滅していくマルコシアス。彼の「胃痛ネタ」は、この物語のもう一つの裏テーマと言えるかもしれません。


そして、ついに刀を抜こうとした瞬間に様子が一変したエルム!


では、次回もお楽しみください!

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