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【旧作】のんびりお茶を飲んでいたいので、元・最強魔王候補の僕が世界を変えることにした  作者: 七割カカオ
勇者の足跡

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第7話 薄紅色の追憶と心音の白磁

険しい岩山が連なる山岳地帯。龍の背骨のようにゴツゴツとした断崖に挟まれた狭い渓谷を抜けると、世界は一変して白銀の霧に包まれた。


そこは、地図に載ることのない、時が止まったような静寂の領域だった。


「ここが、隠れ里?」


エターナが扇を片手に、眉をひそめる。彼女の故郷である『翡翠の帷(ジェイド・ヴェール)』——そこは常に魔導の光が満ち、洗練された美しさが支配する場所だ。


それに対して目の前の景色には、一切の華飾(かしょく)がなかった。


立ち並ぶのは素朴な石造りの家々と、手入れの行き届いた小さな畑。そして何より、漂う空気が異様に重く、そして静かだった。


それは安らぎというよりは、嵐が去った後の焦土に似た、重苦しいまでの静けさだ。


「ええ。かつて戦場を騒がせた猛者たちが、牙を抜いて余生を過ごす場所…。


私が管理局にいた頃、禁書庫の隅で見つけた『名もなき勇者たちの墓標』にはそう記されていました」


ベルは管理局時代の記憶を呼び起こし、少し震える声で前を歩く二人に伝える。


彼女の耳は捉えていた。里のあちこちで農作業に励む老人たち一人ひとりが、常人ではありえない、境地とも呼べる、恐ろしいほど静かな心音を発していることを。


村の入り口、一本の巨大な枯れ木の根元。そこに、焚き火を囲んで座る、寒気がするほどの静寂を纏う一人の老人がいた。


深い皺の刻まれた顔に、鋼のような灰色の髪。使い古された麻の衣に身を(くる)んだ、一見すればただの老人。


しかし、その背筋は定規で測ったかのように真っ直ぐに伸びており、膝の上に置かれた無骨で大きな手は、偉大な戦士のそれであった。


「下がれ、ベル。」


エターナの声が緊張に強張った。老人がただそこに座り、薪を焚べているだけで、周囲の霧が物理的な質量を持って押し寄せてくるかのような錯覚を覚える。


それは圧倒的な魔圧だった…それも、一国を滅ぼせるほどの力を持つ強者でなければ放つことができないレベルの。


だが、エルムは彼女の制止を聞く様子もなく、むしろ興味深そうに鼻を鳴らした。


「良い香りだ。この薪、山椒の木を使っていますね? パチパチと爆ぜる音が、お湯の温度を知らせる合図みたいですね」


「エルム! 何を!」


エターナが止める間もなく、エルムは焚き火を挟み、老人の対面にどかっと腰を下ろした。


老人は、自分の放つ『並の魔族なら失神するほどの重圧』を、目の前の青年がまるで心地よい春風のように受け流したことに一瞬だけ目を見開いた。だが、次の瞬間には不敵に口角を上げた。


「ほう。客か。この霧を抜けてくるとは、運がいいか、よほどの手練れか」


ゼノと名乗る老人の声は、地底から響く雷鳴のように低く、重かった。


彼は無造作に置かれた鉄瓶でお湯を沸かし、欠けた土瓶に、そこらで(むし)ってきたような荒い茶葉を放り込んでいる。


「こんにちは。通りすがりの茶師です。お邪魔でなければ、その火を少しお借りしても? 山道で少しばかり、足が冷えてしまって」


エルムは無邪気に笑いつつ、自らの道具を取り出した。老人はその様子を黙って見つめていたが、鼻先でふんと笑った。


「好きにしろ。わしの茶など、ただの泥水だ。喉が潤せれば、それでいい」


エルムは懐から、一缶の茶葉を取り出した。それはテ・セレストの限定品ではない。エルムが旅の途中で摘み取り、自らの魔力でじっくりと発酵を制御し、熟成させた特別なものだ。


「それは勿体ない。では、僕の『泥水』を一杯、ご馳走させてください」


エルムは、無邪気な笑顔で腰の黒檀の鞘の剣を引き寄せると、それを抜くことなく、火力の微調整のために火の傍へ置いた。


鞘が空気をわずかに震わせると、焚き火の熱がまるで生き物のようにエルムの意図通りに整い始める。


お湯が注がれると、茶葉が対流の中で優雅に踊り、深い翠色の水色が広がっていく。


立ち上る湯気は、雨上がりの森のような清涼感と、完熟した果実のような甘い香りを同時に連れてきた。


老人は、その一連の所作を、かつての戦場で強敵を見極めるような鋭い眼差しで注視していた。


だが、湯気が鼻腔をくすぐると、次第に肩の力が抜け、眼差しが柔らかいものへと変わっていった。


「お前の指先には迷いがないな。お茶を淹れるためだけに、そんな精密な術式の魔法を使うやつは初めて見た。お前、何者だ?」


「ハハハ、ただの、お茶好きですよ」


「ふん。かつてのわしの弟子も、お前のような所作をしていた。戦場のただ中でさえ、あの子だけは凛として、静寂を纏っていた」


「お弟子さんが?」


エルムが問い返すと、その口を重く、慈しむように開いた。


「ああ。ひどく不器用なエルフの娘でな。あの子は誰よりも優しく繊細で、そして誰よりも強かった。


だがな、言葉を紡ぐのが致命的に下手だったのだ」


ゼノは、手元にある欠けた土瓶を、我が子をあやすように愛おしそうに見つめた。


「良かれと思って口にした激励が、周りには冷酷な命令に聞こえる。懸命に伝えた感謝が、相手を震え上がらせる恫喝になる。


あの子は、自分を孤立させていくことでしか、己を保つことができなかった」


その言葉には、偉大なる武人としてではなく、一人の穏やかな老人として、少女を最後まで支えてやれなかった後悔が滲んでいた。


「とうとう、あの子はわしの元を去り、自らを孤独な檻に閉じ込めるような道を選んだ。


引き返せぬ宿命、氷のように冷たい場所へと赴くことを決めたのだ。


別れ際、あの子はわしを突き放すようにこう言った。『これ以上、私に近づくな。貴様の顔など、二度と見たくない』とな。


だが、あの子の手は、小刻みに震えていた。


本当は、行かないでくれと言いたかったのだろう。わしはあの時、あの子の本心を汲み取れなかったことを、今でも後悔している」


ゼノは深く溜息をつき、エルムが淹れた茶を一口啜った。


「温かいな。あの子が最期に淹れてくれた茶も、これと同じくらい美味く、温かかった」


静寂が場を支配する。


パチパチとはぜる薪の音と、霧のような繊細な雨が、木々を濡らす微かな音だけが響く中、その情緒を真っ向からぶち壊したのはエターナだった。


「ふん。不器用なエルフとは、笑えるな。エルフたるもの、言葉の一つ一つに(ことわり)を込め、優雅に、かつ的確に振る舞うのが当然だろうに」


エターナは扇で口元を隠しながら、勝ち誇ったように言い放った。


隣でベルが、今までにないほどの「ジト目」を彼女に向けている。


「エターナ様が、それを言いますか?」


「何だ、その目は。私はいつだって、第一賢者として完璧な言葉選びを……」


「先週も、『このお茶はイマイチだな』とか言いながら、空になったカップを三回もエルムさんに差し出してましたよね?」


「そ、それは! あれはカップの魔法的強度を確認していただけだ!」


耳を真っ赤にして反論するエターナ。その姿を見て、ゼノは虚を突かれたように目を見開き、そして腹の底から、腹を抱えて笑い声を上げた。


「はははは!くはははは!なるほど、案外似ているのかもしれん。あの子も、お前のような騒がしい友がいれば、少しは楽だったのかもしれんな」


「騒がしいとは何だ、この老いぼれ!」


「まあまあ、エターナ。ゼノさんはお弟子さんのことを、今も案じているのですね」


エルムが優しく問いかけると、ゼノはゆっくりと頷き、立ち上がった。


「わしはもう、剣も魔法も捨てた。


だが、あの子に渡すべきだったものを、今も捨てられずに持っているのだ。


わしの人生で、たった一つの心残りをな」


ゼノは小屋の奥へと入り、しばらくして、古びているが、丁寧な細工が施された木箱を抱えて戻ってきた。


箱を開けると、そこには霧の里の淡い光を吸い込んだかのように真白な、小ぶりなティーカップが収められていた。


「これは?」


「『心音の白磁(しんおんのはくじ)』じゃ。

かつてわしが、あの子のために最高の職人に作らせた器だ。結局、渡せずじまいだったがな」


エルムがその器を手に取ると、驚くほど軽く、そして吸い付くように指に馴染んだ。


「この器には、わしの魔力が込められている。注がれた茶の熱と香りに反応し、飲む者の魂の波形に反応し、心に安らぎをもたらす。


不思議と素直に本音を伝えられるようになる器だ。


あの子のお気に入りの美しい湖畔で、この器で茶でも飲みながら、色々話してみたかったんだがな」


ゼノは、エルムの目を真っ直ぐに見据えた。


「出会ったばかりでこんなことを言うのはおかしな話だが、お主に頼がある。


もし旅の途中で、ひどく不器用な、自分の心を言葉にできないエルフの娘に出会うことがあったら、これで美味い茶を淹れてやってくれないか。


わしの代わりに、あの子の言葉にならない想いを聞いてやってほしいのだ」


「お預かりします。いつか必ず、その方に、この温かさを届けます」


エルムは(うやうや)しく器を木箱に収め、荷物の中へ大切に仕舞った。霧が、再び濃くなり始めていた。


「そうか、助かる。いつかまたここに立ち寄る時があれば、あの子の話を聞かせて欲しい。


ここには何もないのだが、何か礼をしたい。何か望むものはあるか?」


「では、次にここを訪れる時はその子を連れて来るので、一緒に美味しいお茶を飲みましょう。


その時にとびっきりのお茶請けを出してくれると約束してください」


「くははは!面白いやつだ。わかった。食べきれないほどの、美味い茶菓子を用意すると約束しよう」


里の住人たちが静かに家の中へと戻り、ゼノもまた、焚き火の最後の一片が燃え尽きるのを見守っている。


「また会おう、若い茶師よ。初対面だが、なぜかお前になら大事な器を託しても良い、とわしの直感が言っておる。不思議なやつじゃ」


老人の言葉は、白銀の霧の中に消えていった。


一行が渓谷を抜け、再び山道へと戻った時、空には夕焼けの薄紅色が広がっていた。


「さあ行こうか。次の目的地は、水の都アクア・ルナだ」


エルムは、託された『心音の白磁』の重みを感じながら、一歩を踏み出した。


不器用な師から、まだ見ぬ不器用な弟子へ。その想いを繋ぐ役割は、エルムが淹れる一杯のお茶、そしてこの真白な器に託された。


深い霧の中、青年に想いを託した老人は独り、最後の一滴まで『香り高い泥水』を飲み干し、静かに目を閉じた。

第7話をお読みいただき、ありがとうございました!


今回の主役は、隠れ里で静かに暮らす、かつて世界にその名を轟かせたであろう、謎の老人・ゼノ。


彼が抱えていたのは、たった一人の愛弟子との『言葉』にまつわる後悔でした。


どれほど強大な魔法や武力を持っていても、心の奥にある本当の願いを正確に伝えることは難しい。


ゼノと、彼の語る『かつての弟子』、無自覚に特大ブーメランを飛ばすエターナを通して、彼らの不器用さと伝えることの難しさを描きました。


そして登場した重要アイテム『心音の白磁しんおんのはくじ』。


お茶を通じて「本当の音」を届けるというこの器は、師匠から弟子への、時を超えた祈りそのものです。


エルムがこの器にどのようなお茶を注ぎ、誰の心を溶かすことになるのか。これからの旅路に欠かせない、大切なピースが加わりました。


ゆったりとハーブティーでも飲みつつ、第8話もお楽しみいただけると嬉しいです!

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