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【旧作】のんびりお茶を飲んでいたいので、元・最強魔王候補の僕が世界を変えることにした  作者: 七割カカオ
勇者の足跡

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第6話 銀狼の誇りと太陽のレモンピール

瑠璃色の湖面は、中天に輝く満月の銀光を吸い込み、底知れぬ静寂を(たた)えていた。


夜の冷気が肌を刺し、馬車の横で焚かれた魔導火の(だいだい)色の炎だけが、世界にささやかな「(せい)」の温もりを刻んでいる。


その静寂の中で、銀狼の総督マルコシアスは、膝をついたまま肩を震わせていた。


彼の目から溢れた涙が、白磁(はくじ)のティーカップの中にひとしずく、静かな波紋を作って消える。


喉の奥に広がるのは、テ・セレストが誇る最高傑作『夜明け(ドーン)』の、夜を切り裂くような清涼感。濡れた苔、野生の蘭、そして凍てつく夜気を溶かす圧倒的な戻り香。


その香りが、効率と打算のために彼が切り捨ててきた「かつての志」を、無残なまでに、しかし優しく引きずり出していた。


「ふぅ…」


マルコシアスは、震える指先で目元を強く拭った。


魔王サタンの懐刀として、数々の都市を鉄の規律で支配してきた「銀狼」の顔が、今は剥き出しの一人の男のそれへと戻っている。


月光に照らされた彼の横顔は、あまりにも脆く、そして美しかった。


「見苦しいところを見せたな。エルム殿」


彼はようやく言葉を絞り出した。


手の中のカップを、まるで世界に一つしかない聖遺物(せいいぶつ)でも扱うような手つきで、エルムへと差し出す。


その所作一つに、彼がこの一杯から受け取った衝撃と、淹れ手に対する心からの敬意が凝縮されていた。


「貴殿の淹れる茶は恐ろしいな。私のこれまでの人生が、いかに空虚であったかを、たった一口で知らしめてしまう。『夜明け』か…


光を忘れた私には、あまりにも眩しすぎる一杯だった」


馬車のステップに腰を下ろしたエルムは、そんな彼の吐露を、いつもの穏やかな微笑みで受け止めた。


エルムは、焚き火の熱で温め直したティーポットの注ぎ口から立ち上がる湯気を眺めながら、静かに首を振る。


「眩しいのは、お茶のせいじゃないよ、マルコ。それは、君がずっと自分の中に隠していた光が、お茶の香りに誘われて出てきただけだよ。


それと、夜が深ければ深いほど、小さな光だって強く見えるからね」


その言葉の「優しさ」が、今のマルコシアスには何よりも鋭い刃となって刺さった。


彼はゆっくりと、しかし鋼のような重い意志を込めて立ち上がった。地面に落ちていた軍帽を拾い、埃を払って深く被り直す。


月光を背負った彼の銀髪が、夜風にさらさらと流れた。


「心から感謝する、エルム殿。だが私は、この地を預かる身だ」


声の色が変わった。


先ほどまでの「一人の男」は消え、そこには大陸魔導管理局の重鎮としての、峻厳(しゅんげん)な武人が立っていた。


「魔王閣下直属の幹部として、この地の秩序を維持する。それが私の負った義務であり、私を信頼してついてきた部下たちへの、唯一の報いだ。


どんな理由があろうと、この地に滞在している事実を黙認することはできん。


それは私の命を救うことになるかもしれないが、私の人生そのものを裏切ることになる」


マルコシアスが右手を掲げると、周囲の魔素が物理的な音を立てて収束し始めた。


キィィィィン、という、高周波の共鳴音が静かな湖畔に響き渡る。夜空を舞う細かな雪のような魔素が、彼の周囲に幾何学的な紋様を描き出す。


その光景を、少し離れた場所に広げたアウトドアチェアで読書を続けていたエターナが、本の隙間から銀色の瞳で眺めていた。


(ほう…古い魔法の残滓(ざんし)を捨て、現代の合理と(いにしえ)の緻密さを結合させたか。単なる軍の役人にしては、骨のある構成だ。


魔法の真理からは遠ざかっているが、『効率』という一点においては、見事な構築と言えるな)


彼女は、脇に置かれた木皿へと白く細い指を伸ばした。そこには、メルシナの老舗『レモン亭』が手がけた『太陽のレモンピール』が並んでいる。


一週間かけて太陽光と海風だけで丹念に乾燥させたという、職人魂の結晶。エターナはそれを一欠片、口に含んだ。


表面に塗された砂糖の粒が繊細に砕け、次の瞬間、凝縮されたレモンの生命力が冷たい夜の口内で弾けた。


「ふむ。やはり、味の重みが違うな。


魔法で誤魔化したものは、どれほど巧く作っても『一瞬』の刺激で終わる。

この男の魔法と同じだ。よく出来ているが、中身が軽い。


だが、このレモンピールは違う。時を重ねたものにしか出せない、余韻がある。」



一方、マルコシアスの目の前で、その術式の構築を見つめていたエルムの瞳がわずかに細められた。


かつて最強と謳われ、伝説の「第零次魔王候補」として魔法の本質を見通してきた彼には、マルコシアスの魔力回路が「悲鳴」を上げているのが手に取るように分かった。


(その術式、まさか…)


マルコシアスが展開している『複合術式』は、自身の生命維持に必要な魔力さえも全て火点へと変換し、一撃に注ぎ込む「自爆前提」の禁忌術式だった。


現代魔導の効率を突き詰めた結果、最も「効率」の良い弾丸として自分自身の命を選んだのだ。


(自分の命をチップにして、義務を果たそうっていうのか…この人は、そこまでしてこの地の秩序を守ろうとしている)


エルムは心の中で、静かに戦慄した。


それは狂信ではない。守るべき部下たちや民のために、自らの存在そのものを「最後の壁」として差し出そうとする、究極の献身。


エルムは、お茶を淹れる手を止めた。そして、真っ直ぐにマルコシアスの瞳を見つめて、告げた。


「マルコ…君には、王の資質がある」


「何?」


唐突な言葉に、マルコシアスの構築がわずかに揺らいだ。


「自分のために力を使うのは、ただの強者だ。でも、君が今やろうとしているのは違う。


誰かの居場所を守るために、自分のすべてを投げ出そうとしている。それは、本当の『王』だけが持てる魂の格だ」


「クク、ハハハ! 買い被りだな、エルム殿! 私はただ、こうすることでしか自分を保てない、不器用な兵隊に過ぎん!」


マルコシアスの周囲に、十重二十重(とえはたえ)もの魔法陣が展開された。歯車と数式が精密に組み合わさった、現代魔法の極致。


「複合術式・最終解、銀狼の残響(ウルヴズ・レクイエム)!」


その瞬間、マルコシアスの全魔力が、一気に沸点を超えた。


だが、エルムは、立ち上がることさえしなかった。彼は脇に立てかけていた黒檀の鞘の剣を、まるで囲炉裏の炭を整える火箸を扱うような、無造作な動作で持ち上げた。


そして、マルコシアスの全魔力が込められた戦斧(せんぷ)が振り下ろされる直前。


エルムは鞘の先で、マルコシアスの魔法陣の中央、わずかな術式の「繋ぎ目」を、針の穴を通すような精密さで突いた。


「おっと…」


パシッ、と。空気が弾けるような小さな音がした。


直後、マルコシアスが放とうとした絶大なるエネルギーの奔流が、一瞬だけ「澱んだ」。


エルムが鞘を通して流し込んだ極小の魔力が、マルコの自爆術式の最深部を書き換えたのだ。


全魔力を使い果たすはずの回路に、意図的な「不純物」を混ぜることで、発動を強制停止させるのではなく、出力の一部を削り、術者の命を繋ぐための「余力」を強引に残させた。


ガギィィィィィッ!!


それでもなお、凄まじい衝撃が瑠璃色の湖に反射して木霊(こだま)した。


マルコシアスの戦斧は、エルムの刀の鞘に完全に受け止められていた。


衝撃波が湖面に走り、円形の波紋が広がるが、エルムの身体はピクリとも揺れない。


片手に持ったティーカップの中の茶柱すら、直立したままであった。


「な…ッ!? 抜かぬ、どころか、私の術式を書き換えた!?」


マルコシアスは、呆然と自分の手を見つめた。 意識が遠のくほどの脱力感はある。だが、死んでいない。


本来なら、今この瞬間、彼の魔力回路は焼き切れ、物言わぬ屍となっているはずだった。


(魔法陣に干渉された? 私の演算を、あの瞬間に上書きしたというのか?)


その驚愕の隙を突くように、逸らされたエネルギーの余波がエターナの方へと飛んでいく。


「あ、エターナごめん…」


エルムが声を上げた瞬間。お気に入りのレモンピールを片手に読書を堪能していたエターナが、静かにその目を細めた。


「私の読書を邪魔するな…」


エターナは、本から視線すら外さなかった。彼女は左手でつまんだレモンピールを口に運び、ゆっくりと咀嚼する。


そして、空いた右手を、迫りくる熱線に向かってただ「無造作に」かざした。


直後、この場の物理法則が書き換わった。


マルコシアスが命を懸けて組み上げたはずの術式が、彼女の手の平に触れた瞬間、パズルのピースが崩れるように、一瞬で「ただの光の粒子」に分解された。


衝撃波も、爆発音もない。赤熱のエネルギーは、ただの蛍のような光となってエターナの周囲で舞い、そのまま夜の闇に溶けて消えていった。


「術式解体…。クク、ハハハハ!」


マルコシアスは、膝から崩れ落ちた。


笑いが止まらなかった。自分の命を賭けた一撃は、青年に「生存」を前提とした術式へと書き換えられ、その余波は少女によって「無」に帰された。


完敗、という言葉すら生ぬるい。彼は、神話の住人の庭先で、赤子が木刀を振り回していたような己の矮小さを悟った。


「合理的、だったか。確かに、魔力を無駄なく変換するその工夫は認めてやろう。だがな、計算で積み上げた城は、地盤そのものを崩されれば終わりだ。


貴様の魔法には『時間の重み』が足りん。このレモンピールのように、ただひたすらに、誠実に時を重ねた強さがな。修行し直してこい。三百年ほどな」


エターナは不機嫌そうに本を閉じ、レモンピールの最後の一片を飲み込んだ。


マルコシアスは、その銀色の瞳の奥に、深淵を見た。

 

(間違いない。この銀髪、この不遜な態度。彼女はハイエルフの第一賢者…エターナ・ルミナス!?)


神話の住人と、その神話に対して「エターナ、お茶のおかわり淹れたよ。ほら、冷める前に」と平然と呼びかける、正体不明の青年。


マルコシアスは、ガタガタと震え始めた自分の膝を隠すこともできず、その場に伏した。

だが、その胸のうちは驚くほどに晴れやかだった。死ぬことすら許されず、救われた。


「マルコ」


エルムが、温かい声で呼びかけた。


気づけば、彼の前には新しいティーカップが置かれている。今度の茶には、薄くスライスされた『太陽のレモンピール』が浮かべられていた。


琥珀色のお茶の中で、レモンの黄色が月明かりを浴びて宝石のように透き通っている。


「二杯目はね、少し趣向を変えてみたんだ。

熱い茶の熱でレモンの皮から精油が溶け出して、香りがより華やかになる。

一口飲めば、少しは肩の荷が軽くなると思うよ」


立ち上る蒸気と共に、蘭の香りと爽やかなレモンの香りが混じり合い、マルコシアスの鼻腔を優しく包み込んだ。


マルコシアスは、しばらく黙ってそのカップを見つめていたが、やがて自嘲気味に笑い、戦斧を地面に横たえた。


「負け、だな…。生かされた、というべきか。


エルム殿、貴殿にはすべてが見えていたのだな。私の未熟さも、私の覚悟の行き止まりも」


彼は震える手でカップを手に取り、ゆっくりと口に運んだ。


温かな液体が身体の芯をじわりと温めていく。死ぬはずだった体が、お茶の温もりを、生の実感を噛み締めている。


「美味い。本当に、美味いな。エルム殿」


マルコシアスは、空を見上げた。瑠璃色の湖の上には、銀の月と、数多(あまた)の星が瞬いている。  


「本部には、私から報告を入れておく。『該当の馬車は私の術式を凌駕し、領外へ脱出した。追跡不能』とな」


「いいのかい? 嘘を()いたら、君の立場が…」


「構わん。私は、嘘のない本物を、今日ここで味わってしまったからな。


その代価としては、安いものだ。それに、死ぬはずだった命だ。儲けものだよ」


銀狼の総督は、膝をついたまま、太陽のレモンピールを一欠片口に入れた。

ほろ苦く、そしてどこまでも清々しい余韻。


(王の資質、か…。もし私がそれを持っていると言うのなら、エルム殿。貴殿は、その王たちの上に立つ、何者なのだ?)


マルコシアスは、最後の一口を飲み干した。

瑠璃色の湖面に映る月を眺めながら、彼はかつて自分が夢見た、誇り高き騎士の顔で笑った。


夜の風は、もう冷たくはなかった。

第6話をお読みいただきありがとうございます!


今話では、自らの命を賭して義務を果たそうとするマルコシアスの高潔さに、エルムが「王の資質」を見出し、彼を生かすために術式を書き換えて救済する場面を描きました。


また、舞台となった瑠璃色の湖は、実は魔王サタンの「私有地」であり、最も愛する静養地です。


合理主義を掲げる冷徹なパワハラ魔王サタンが、こんな映えスポットを大切にしているというギャップも、今後の物語で明らかになっていきます。


そんな聖域で平然とお茶を淹れるエルムたちの超然さと、職人が時をかけて作った「太陽のレモンピール」の対比を通じて、効率主義の影で失われた「時間の重み」を感じていただければ幸いです。


最強の力を破壊ではなく、救いとティータイムのために使う彼らの旅は、さらに加速していきます。

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