第18話 魔王の素顔と肉の宴
エターナは、サタンの攻撃を冷静に観察しつつ、結界の崩壊を危惧していた。
(あやつら…結界があるのをいいことに、好き勝手に暴れてるな…だが、サタンのあの火力は想定外だ…)
一発だけでも山に大きな穴を開けることができる威力を持った、硬質化した結晶…それら無数の結晶が一塊になり、一撃で相手を消し去るサタンの奥義のはずだった。
だが、その渾身の一撃はエルムの一振りで両断されて霧と化し、静寂が訪れた。
(魔法と物理、両方の攻撃を同時に分解…したのか?! それなら以前、ミレイユが放った魔法を制御したのも納得だ…だがそんなデタラメな力、この世の理に反するだろう…いや、もはや、どうでもいいか…)
エルムの反則的な力を理屈では納得し、エターナは考えるのを、やめた…
だが、瞳を紅く染めたエルムの動きは止まらない。彼は最短距離を駆け、サタンの懐へと潜り込んだ。
サタンの剛剣が防御に回るよりも早く、エルムの白刃が閃く。
パキィィンッ……!
硬質な破壊音が響き、サタンが纏っている鋼の鎧、そして仮面だけが砕け散った。
中から現れたのは、鮮やかなローズピンクの長髪。そして、驚愕に揺れる大きな瞳と、長く尖ったエルフの耳だった。
そこにいたのは、威厳に満ちた魔王ではない。幼さの残る、一人のエルフの少女だった。
「……あ、あの……ええと……っ」
少女は自分の顔が晒されたことに気づいた瞬間、耳まで真っ赤にしてその場にへたり込んだ。
「も、申し訳ございません! その、お見苦しいところをお見せ…! いえ、見てしまわれたのは貴方様ですが、とにかく、お恥ずかしい限りです…っ!」
膝を抱え、長い耳をパタパタさせながらモジモジと謝り続ける少女。
だが、エルムの瞳は紅く光ったままだ。彼は白銀の剣を鞘に納めると、少女の肩を掴んで低い声で呟いた。
「肉だ。腹が減った。今すぐ、最高級の肉をくれ…」
「ひゃうっ!? は、はいっ! お肉ですね、ただいま手配いたします……!」
覇者のような重圧に怯え、泣きそうになるエルフの少女。
その時、満身創痍のマルコシアスが転がるように飛び込んできた。
「閣下! お止めください! 私は、私は何者かに操られていたのです!」
「あ……っ、マルコシアスさん……!」
少女は羞恥心も忘れ、這いずるようにして傷だらけの忠臣に駆け寄る。
「あ、あの、マルコシアスさん、無事だったのですね……っ! 酷い怪我を負っていたので、私は、私はもう…! よかったですぅ、本当によかったです…!」
必死に部下の無事を喜ぶ彼女に対し、マルコシアスはポカンと口を開けて固まってしまった。
「えっ……? あの、お嬢さん。どちら様でしょうか? なぜ私の名を…というか、閣下は!? サタン様はどちらに……っ!?
エルム殿、一体何が起きたのですか!? エ、エルム殿! そのご様子はまさか…!」
「えっ、えええっ!? わ、私です、私なのですマルコシアスさん! その、サタン…は、私のお仕事といいますか…っ!」
魔王サタンと名乗るエルフの少女と、魔族化したエルムを交互に見て白目を剥きかけるマルコシアスを余所に、空から舞い降りた一羽の黒い鳥が、一つの水晶を落とした。
(ミレイユ姉さんの使い魔か…)
エルムは飛び去る黒い鳥を目で追った。
水晶が砕け、映し出されたのは「本物の記憶」。これまでのエルムたちの、本当の旅の姿だった。
「……そんな。私は、恩人をこの手で……」
少女が己の過ちを悟った時、マルコシアスはようやく、目の前の少女が自分の主君であることを理解した。
そして、雪の都で、極上のヒレステーキを平らげた時の、あの『飢えたエルム』の姿を思い出した。
「皆、聞け! 宴の用意だ!直ちに宮殿の厨房に火を入れろ! 街一番の肉を用意するのだ! 今のエルムには大量の肉が必要だ!」
一刻後、水の都の象徴たる蒼瀾宮の大食堂は、かつてない活気と芳醇な脂の香りに包まれていた。
テーブルの中央には、アクア・ルナが誇る肉料理の数々が、熱々の鉄板の上でチリチリと音を立てて鎮座している。
「これだ…」
まだ瞳に赤みが残るエルムが…水牛のサーロインにナイフを入れると、熟成された肉の繊維が抵抗なく断ち切られ、断面から透明な肉汁が溢れ出す。
表面はカリッと香ばしく焼き固められ、中は官能的なルビー色。それを口に運ぶと、濃厚な旨味が爆発し、魔の力で枯渇したエルムの細胞一つひとつに染み渡っていく。
さらには、巨鳥の腿肉を丸ごと一本使った山賊焼き。皮目は黄金色に輝き、溢れ出す脂が鉄板に落ちては食欲をそそる煙を上げている。
魔王サタン――エルフの少女も、自分の髪の色と同じくらい顔を真っ赤にしながら、差し出された厚切りのロースト肉を小さな口で頬張った。
「あ、あの……エルム様。その、先程は大変失礼なことを申し上げました……。私、その、本当は皆さんと仲良くしたかったのですが、王としての規律を守らねばと、つい……」
「もうそんなことは忘れて、サタン様も食事を楽しみましょう!」
「は、はいっ……いただきますぅ……」
(たくさんの人と、こんな風に食事をしたのは何十年ぶりだろう?)
噛みしめるたびに、上質な脂が舌の上で甘く溶け、エルフの長い耳が幸福感でピクピクと跳ねる。
マルコシアスは主君のあまりの激変ぶりと、爆食するエルムに圧倒されながらも、自らも給仕に奔走していた。
「マルコさん、お代わりお願い!」
「はっ! ただいま、極上のミスジを焼き上げます!」
「ついさっきまで、この街を消し去る勢いで戦っていた奴らが、今はもう肉を囲んでるとは、どういう状況だ…」
呆れつつも、どこかホッとした感情が混じる声で、エターナは呟いた。
「サタン閣下、可愛い過ぎますっ!」
先ほどからベルは、魔王サタンの素顔に釘付けになっている…
食堂には賑やかな笑い声が満ちていく。
ディナーが終わり、エルムの胃は満たされ、ようやく落ち着きを取り戻した。
「…ふう。お騒がせしました。あの姿になると、どうにも燃費が悪くて」
深夜。静まり返った宮殿のテラス。エルムは、素顔のまま落ち着かない様子の魔王サタンの前に、一対のティーカップを置いた。
「…いい香りですね。この…お茶、ジャスミン…ですか?」
「ああ。張り詰めた心を解きほぐすには、これが一番なんだ」
差し出されたジャスミン茶の温かさが、サタンの指先から心へと染み渡っていく。
サタンはカップを大切そうに両手で包み込むと、小さく、消え入りそうな声で口を開いた。
「…私は、サフィア、と申します。魔王サタン、なんて…名前を背負っていましたが、本当の…名前は…ただの、サフィアです…」
「…サフィア?」
エルムの手が止まった。彼は自分の荷物の中から、厳重に梱包された木箱を取り出す。
「やっぱり君が、ゼノさんが言っていた『サフィア』なんだね…」
「えっ…? ゼノ様を…ご存知なのですか!?」
エルムが口にしたその名に、驚きと懐かしさ、そして少し後ろめたい気持ちが溢れ出し、サフィアは目を見開く。
エルムは、木箱から心音の白磁を取り出した。
「ああ。旅先でたまたま知り合ってね。いつか、サフィアという、言葉を紡ぐのが苦手なエルフの女の子に出会ったら、これを渡して欲しいと託されたんだ」
「あ……あの…ゼノ様が、私にこれを……っ!? 私はあの方と、あんなと酷い別れ方をしてしまったのに……」
サフィアの耳が激しく跳ね、瞳には過去の深い後悔が入り混じる。
「…ありがとう、ございます…この器で、お茶を飲んで、みたいです…。皆さんも、い、一緒にお付き合い…いただけますでしょうか…」
「喜んで」
エルムは、穏やかな笑顔を浮かべながら、茶会の支度を始めた。
第18話をお読みいただきありがとうございました!
今回は、エルムと魔王サタンの戦いの決着と、遂に明かされた第3魔王サタンの「素顔」、そのあまりに可愛らしい「中身」のギャップを描きました。
また、エルムの魔族化の後の肉パーティー。今後、恒例になっていきそうです(笑)
次回は、ゼノからの贈り物である『心音の白磁』の後押しによって、ソフィアが素直に自分の気持ちを語っていきますので、ぜひ楽しみにお待ちください!




