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【旧作】のんびりお茶を飲んでいたいので、元・最強魔王候補の僕が世界を変えることにした  作者: 七割カカオ
守りたかったもの

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第19話:守りたかったものと心音の白磁【第二章完結】

深夜のアクア・ルナは、運河のせせらぎさえも息を潜めるほどに静まり返っていた。


蒼瀾宮(そうらんきゅう)のテラスに置かれた一対の白磁――『心音の白磁』。


そこにはエルムが淹れた、淡い琥珀色のジャスミン茶が揺れている。


サフィアは、素顔を晒したまま落ち着かない様子で、細い指先を器の縁に添えた。先程まで、彼女の心は嵐のようだった。


戦いに敗れた虚脱感、隠し続けてきた素顔を見られた羞恥、そして何より、数百年もの間「冷徹な魔王」を演じ続けてきた精神の摩耗。


彼女は意を決したように、その器を口に運んだ。


ひと口。熱すぎず、(ぬる)すぎない適温の液体が喉を通り、鼻腔をジャスミンの高潔な香りが抜けていく。


「……っ」


瞬間、サフィアの目が見開かれた。


魔法のような派手な変化が起きたわけではない。ただ、喉の奥にずっと(つか)えていた「塊」が、嘘のようにスッと消えていく感覚があった。


器を下ろした彼女の瞳からは、すでに先程までの動揺や、どこか自分を偽るような卑屈さが消えていた。


「不思議ですね…。なんだか、今までどうしてあんなに肩に力を入れていたのか、分からなくなってしまいました」


サフィアの口から漏れたのは、淀みのない、凛とした声だった。


先程まで語尾に混じっていた「ですぅ」は影を潜め、そこには一人の成熟したエルフとしての強い意志が宿っている。


この『心音の白磁』には、飲む者の心を凪へと導き、魂の底にある純粋な言葉を浮かび上がらせる力がある。


エルムはそれを見守るように、穏やかな微笑みを湛えていた。


「心が、本来の形に戻ったんだね、サフィア」


「はい。……すごく、怖かったはずなのに。今はただ、本当のことをお話ししたい…。いえ、お話ししなくてはいけない。そんな気持ちなんです」


彼女は再びお茶を口にし、その温もりを心臓に伝えるように深く息を吐いた。


「ゼノ様のこと、ずっと、ずっと後悔していたんです。あの方は、何一つ持っていなかった未熟な私に、魔法の基礎を、そして王としての在り方を教えてくれました。


孤独だった私にとって、あの方は師であり…お父様のような存在でした」


言葉が、堰を切ったように溢れ出す。それはジャスミンの香りに乗せて、彼女が何百年も墓場まで持っていこうとしていた「本音」だった。


「でも、私は、本当に自分勝手でした。ゼノ様が私を思って厳しく指導してくれるほど、私は恥ずかしくて、素直になれなくて。


あの方に向かって『お前の指図は受けない』とか『二度と顔を見せるな』なんて……本当は一番そばにいてほしかったのに、一番言っちゃいけない言葉ばかりをぶつけてしまったんです。


ゼノ様が都を去るその瞬間まで、私は結局、謝ることも、お礼を言うこともできませんでした」


サフィアの細い肩が、微かに震える。


「あの方に、あんなに酷い態度をとった私に、こんな素晴らしい器を贈ってくれるなんて。……私は、ずっと謝りたかった。


不器用な自分を呪いながら、いつか会えたら『ごめんなさい』って言いたい。でも、もう二度と会えないかもしれないって、ずっと怖かった。だから、仮面を被って心を殺していたんです」


エルムは静かに、彼女の言葉を肯定するように頷いた。


「ゼノさんはね、サフィア。君に謝って欲しかったんじゃないと思うよ。


僕に言ったんだ。


『あの子は言葉を紡ぐのが少し下手なだけだ。いつか、この器で一緒にお茶を楽しめる誰かが現れるのを、あの子は待っている』


ってね。君が今、本来の自分の気持ちを話せていることが、ゼノさんが一番望んでいたことだと思うよ」


「…あ…。ゼノ、様……っ」


サフィアの目から、大粒の涙がポロリと白磁の器に落ちた。長年、彼女を縛り付けていた「後悔」という名の重圧が、温かいお茶と共に溶けて消えていく。


「それから、これまでの旅で起きたこと。エルム様、エターナ様、ベル様、皆さんに謝り、伝えなければならないことがたくさんあります」


彼女は遠く、かつてエルムたちが訪れた場所を思い描くように瞳を細めた。


「北の雪の都でのこと…マルコシアスさんが街の経済を活気づけようと、魔法で雪を溶かす装置を開発してくれました。


本当は、止めたかったんです。あの街は、絶え間なく降り続く雪の景観そのものが美しく、価値があるのだと思っていたから。


でも……私のために、よかれと思ってあんなに必死に頑張ってくれている彼に、それは違うとは言えなくて。


ただ無言で、黙ったまま見守ることしかできなかった。私の臆病な沈黙が、彼に不要な苦しみを与えてしまったんです…」


エルムもエターナも、沈黙して彼女の独白を聞いているなか、サフィアの言葉は続く。


「ルナ・テラスの雲羊たちのこともそうです。以前、お忍びであの地を訪れた際、あまりの美しさに心を打たれて筆を執り、絵を描かせていただきました。本名は恥ずかしいので「フィア」という名で作品を残したのですが。


あの絵を管理人のカシムさんにプレゼントしたのは、あの、素晴らしい奇跡の景観と、それを支えているあの方のひたむきな仕事ぶりに感動したからです。


羊たちも、本当は広い草原へ放してあげたかったのに、量産体制考え出し、管理を徹底して頑張る部下たちを否定することができず、結果として狭い羊舎に閉じこめたままにしてしまいました…。


それから、シルキー。

彼女がどれほど民に感謝され、愛されていたか、私はちゃんと知っていました。


でも、それを彼女に伝えてあげる言葉を、やり方を、私は持っていなかったんです…


エルム様たちには、全てを解決していただけて、心から感謝しております」


これまでの旅で感じていた違和感…「魔王」の冷たさの裏に隠れていたのは、人との対話を恐れ、言葉で伝えるのが苦手な少女の、心の叫びだった。


「そして、マルコシアスさん。彼は、そんな私の横暴や沈黙に、ずっと耐えて、支えてくれました。本当は、彼がいてくれたから、私は今日まで、消えずにいられたのに…。


いつも、私の口から出てくるのは、言葉足らずで厳しい指示ばかり…一度も、たった一度も感謝を伝えられませんでした…」


その瞬間。


「……っ、う、ううっ……閣下……っ!!」


柱の陰から、お茶の道具を抱えたままのマルコシアスが、静かに、だが止まらない涙を流しながら姿を現した。


彼はその場に膝をつき、絞り出すような声で言葉を紡ぐ。


「このマルコシアス…! そのお言葉を頂けただけで、これまでの数百年の苦労が、今、すべて報われました。


私は……私は何という愚かな臣下か。閣下の真意も、あの沈黙の意味も汲み取れず…っ!」


「マルコシアスさん。…聞いていたのですね」


サフィアは少しだけ恥ずかしそうに、だが穏やかな笑みを浮かべて彼を見た。


そのあまりに凛とした、本来のサフィアの姿に、マルコシアスは震える手で目元を拭う。


「マルコシアスさん。私は決めました。私は、エルム様たちの旅についていきたい。


世界を見て、自分を知って、いつか胸を張ってゼノ様にお会いできるような…そんな自分になりたいんです。


ですから、マルコシアスさん。貴方に、第3魔王の座を任せたい。いえ、まずは『魔王代行』として、この街を頼みます。


これからの時代の魔王は、私のような口下手で不器用な者ではなく、貴方のように皆の声を聞き、民を想って行動できる者がなるべきなのです。…受けていただけますか?」


主君からの究極の信頼。


マルコシアスはその重みと光栄に、言葉を失い、ただ深く、深く頭を垂れた。


「御意に。この命に代えても、サフィア様がいつ戻られても良いよう、アクア・ルナを守り抜いてみせましょう」


サフィアは満足げに頷くと、再びエルムに向き直った。だが、その表情にはまだ一つ、明かさねばならない真実が残っていた。


「エルム様は、ゼノ様からこの白磁を預かった時、あの方の過去をお聞きになられましたか?」


「過去……?」


エルムが小首を傾げる。サフィアは背筋を伸ばし、都の夜明けを見つめながら静かに告げた。


「私に魔法と王道を教え、そしてこの地の守護を託して去った、あの方…ゼノ様こそが、私に魔王の名を継がせたお方。先代、魔王サタンその人なのです」


「えええええええええっ!? ゼ、ゼノさんが魔王!? あの穏やかなおじいさんが!?」


ベルが本日一番の絶叫を上げた。あまりの衝撃的な事実に、彼女の腰は砕け、その場にへたり込んでしまう。


一方、エターナは動揺してこぼれかけたワインのグラスを静かにテーブルに置き、低く唸った。


「やはりな。あの底知れない圧力と佇まいは、ただの老人とは思えなかったが…先代サタンであれば納得だ」


「そうだね。ゼノさんがとんでもない人だとは予想していたけど、まさか本人もその弟子も魔王だったとはね…」


少しだけ苦笑しながらエルムが呟いた。


沈黙がテラスを支配する中、マルコシアスだけは、先代の正体と、主君からの代行の指名というあまりの運命のうねりに、限界を超えた表情で震えていた。


「ゼノ殿が、先代サタン様…。そして私が、その後を継ぐ代行に……。あ、あああ……っ……。……サ、サフィア様ぁ……っ!!」


マルコシアスは、込み上げる感情と情報の激流に耐えきれず、静かに、だが重々しく、その場に卒倒した。


すべてを受け入れ、力が抜けたような、だがどこか幸せそうな気絶であった。


「あ、マルコシアスさん!? 誰か、お医者様を!」


慌てて駆け寄るサフィア。


その時。


サフィアの耳がぴくりと震え、彼女を包んでいた凛とした空気が、霧散するように解けていった。


お茶を飲み干し、時間が経過したことで、『心音の白磁』の効果が解けたのだ。


「……あ、あの……。ええと……今、私……。ひゃ、ひゃううううっ!?」


サフィアは自分の手足を見つめ、自分が口走ったこと、そして素顔のままでエルムたちの前に立ち続けていることを改めて認識し、爆発したように赤くなった。


「わ、私……何を……! 恥ずかしいですぅ! 消えてしまいたいですっ! 穴があったら入って、そのまま土に還りたいですぅぅぅ!!」


いつもの、いや、それ以上の勢いでモジモジと震えだした。


その様子を見て、ベルが


「あ、元に戻っちゃった」


と、歓喜の笑みを浮かべて呟く。


「いいよ、サフィア。その口調も、君の一部なんだから」


「そんなことないです! さっきの私は偽物です…いえ、本物ですけど……とにかく、恥ずかしいですぅぅ!!」


背後の空から、眩い朝陽が昇り始めた。黄金色に染まるアクア・ルナの運河。


パニックに陥りながらも、サフィアはエルムの袖をぎゅっと掴み、涙目で上目遣いに彼を見上げた。


「でも、旅には…旅には、連れて行ってくれますか? 置いて…いかれたら、私、今度こそ寂しくて死んでしまいますぅ…」


エルムは微笑み、彼女の頭を優しく撫でた。


「いいよ、サフィア。一緒に、世界中の美味しいお茶を探しに行こう!」


「……は、はいっ!!」


水の都に、新しい一日の、そして新しい絆の香りが広がっていった。


先代魔王と愛弟子現魔王、そして彼らの想いを繋いだ一杯のお茶は、水の都に温かな調和をもたらしたのだった。

第19話をお読みいただきありがとうございます!


心音の白磁の力を借りて、サフィアの口から語られた、今まで心に留めていた想いと真実、エルムたちが旅をして感じていた違和感の答え合わせについて描きました。


これで第2章 「守りたかったもの」は完結となります。

次章からは、サフィアが加わったエルム一行の旅、魔王代理として奔走するマルコシアス、他の魔王たち、さらに、マルコシアスを襲った悪意のある何者かの企てなど、複雑に絡み合うストーリーを描いていきたいと思います。


ぜひ、次章もお楽しみください!

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