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【旧作】のんびりお茶を飲んでいたいので、元・最強魔王候補の僕が世界を変えることにした  作者: 七割カカオ
守りたかったもの

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第16話 怒れる水の都の王とジャスミン茶

水の都、アクア・ルナ。


そこは、世界で最も「秩序」が美しい形で結晶化した都市だった。


鮮やかな碧色の運河が縦横無尽に走り、白亜の石造りの建物が水面にその影を落としている。街を行き交うのは、静かな(かい)の音を立てるゴンドラと、水鳥たちの羽ばたき。


かつて「軍事と規律」を司る第3魔王サタンがこの地を平定した際、人々は鉄と血の恐怖政治を予感したという。


しかし、蓋を開けてみれば、そこにあったのは驚くほどに平穏で、隅々まで洗練された「静寂」だった。


「わあ……っ、綺麗。まるで街全体が宝石箱みたいです……!」


ゴンドラの船首で声を弾ませたのは、一行の案内人であり、唯一の常識人のベルだ。


彼女の視線の先では、広場の噴水が午後の光を浴びて虹色の飛沫(しぶき)を上げ、行き交う人々は穏やかな笑みを浮かべて談笑している。


「水の魔力が安定しているな。都市全体の導魔回路が、よほど腕の良い『職人』によってメンテナンスされているらしい。効率一辺倒の現代魔法では、この繊細な調整は不可能だぞ」


エターナが銀髪を風に揺らしながら、鑑定眼を働かせる。


彼女の指摘通り、この街の美しさは天然のものではない。壊れた石畳の隙間、色粉びた花壇の縁、古びた街灯の継ぎ目。


それらの一つひとつに、目立たないよう、職人の情熱を込めて施された「手入れ」の跡があった。


エルムは、船べりから手を伸ばし、運河の水をひと掬いした。


「いい水だ。不純物がなく、それでいて大地のミネラルを程よく含んでいる。これなら、あの『ジャスミン茶』の香りを最大限に引き出せそうだなぁ」


エルムの関心は、常に「次の一杯」にある。だが、その穏やかな眼差しは、街角に立つ一体の石像で止まった。

それは、名もなき聖女の像だ。


エルムが昨日、到着したばかりの時に見かけたその像は、一部が破損していたはずだった。だが、今では何事もなかったかのように修復されている。


その修復痕は、魔法による一括処理ではなく、ノミと槌で時間をかけて刻まれたかのような、温かみのある手業の響きを帯びていた。


「…この街の王は、とても寂しがり屋なのかもしれないね」


エルムの呟きに、ベルが不思議そうに首を傾げた。


「えっ、魔王サタン閣下が寂しがり屋ですか? これまで旅をしてきて、すごく不器用で言葉足らずな方という印象はありますけど……」


「会って、言葉を交わしてみないと分からないけどね。何となく、僕の勘」


エルムは柔らかく微笑んだ。



その頃、街の中央にそびえ立つ「蒼瀾宮(そうらんきゅう)」の深奥(しんおう)


厚い鎧と、感情を一切排した鉄の仮面に身を包んだ巨躯の武人が、執務室の窓から街を見下ろしていた。


第3魔王、サタン。


彼の手元には、山のような「報告書」が積み上がっていた。


『本日、西区の噴水の詰まりを解消。住民への告知はマルコシアスに一任。直接の対話はやはり、断念。言葉が、出てこない』


自らの手で書き記した、極秘の「修繕日誌」。


魔王サタンは、極度の対人恐怖症――いわゆるコミュ障であった。


彼は街を愛し、民を愛している。だが、彼らとどう言葉を交わせばいいのかが分からない。


結果として、魔王は夜な夜な変装して街の修理に奔走し、部下への指示はすべて簡潔な「文書」で済ませてきた。


だが、修理作業は嫌いではなかった。むしろ大好きだった。誰とも会話せずに黙々と作業する修繕は、彼の心が休まる唯一の息抜きの時間である。


無口な王の沈黙を、民や部下たちは「神格化された威厳」と受け取った。


特に、実務を取り仕切る魔族のマルコシアスは、王の沈黙を「一を聞いて十を知れという高度な試練」と解釈し、常に先回りして動いてくれる、得難い忠臣だ。


そのマルコシアスが、今、絶望的な姿で帰還しようとしていることを、王はまだ知らない。



その夜、アクア・ルナの宿に着いたエルムたちは、月明かりの下で明日の「茶会」の準備をしていた。


エルムが取り出したのは、テ・セレストから届いた極上のジャスミン茶葉。


「魔王サタン…。彼は武の天才でありながら、その心は誰よりも繊細だと父さんから聞いたことがある。言葉に詰まった時、喉を潤し、心を解くための一杯。それが必要なはずだ」


「エルム、お前は本当に魔王を甘やかすのが好きだな。相手は軍事国家の主だぞ? 毒を疑われて首を撥ねられても知らんからな」


エターナが呆れたように肩を竦める。


その時だった。


ドォォォォォン……!


都の静寂を切り裂くような、重苦しい衝撃音が響き渡った。


蒼瀾宮(そうらんきゅう)の方向から、天を()くような凄まじい魔力の奔流(ほんりゅう)が立ち上る。


それは、純粋で、鋭利な、殺意が込められた怒りの波動だった。


「な、何!? 地震!?」


慌てて窓に駆け寄るベル。エルムの表情から、いつもの穏やかさが消えた。


「歪んでいる…。空間の鳴動が、悲鳴を上げているみたいだ」



その時、蒼瀾宮の玉座の間。


サタンの前に、一人の男が倒れ伏していた。


マルコシアス。


その漆黒の翼は無残に引き千切られ、全身は「何か」に侵食されたような紫色の痣に覆われている。


彼は意識を失いかけていながらも、震える手で一つの「記録水晶」を差し出した。


「サタン……様……お逃げ……ください。あいつらは……あのエルムという男は……救世主などでは……」


サタンは無言で水晶を受け取り、再生した。


そこに映し出されたのは、彼がこれまで命をかけて守ってきた「美徳」を根底から覆す、悪夢のような光景だった。


――雪の街の心臓である装置を、エルムが紅い瞳を輝かせ、無慈悲に粉砕する瞬間。


――双月の丘で、エターナの魔法が、魔物だけでなく逃げ惑う人々をも光の中に消し去る瞬間。


――そして、あの健気なシルキーが、エルムの淹れたお茶を一口飲んだ直後、苦悶の表情を浮かべて崩れ落ち、動かなくなる瞬間。


映像は、残酷なまでに「真実」を切り取っていた。


エルムが装置を壊したのは街を救うため。

エターナが結界を張ったのは人々を守るため。

シルキーが泣いたのはお茶が美味しかったのと、塩を溶かしたショックのため。


だが、音声を排し、前後を切り捨て、色彩を歪められたその記録の中には、ただ「圧倒的な暴力」と「虐殺」の姿だけが刻まれていた。


「…………っ」


サタンの奥歯が軋む音が、静かな間に響いた。


彼にとって、雪の街も、双月の丘も、そこに住む人々も、健気な精霊シルキーも、すべては「いつか自分が直接言葉を交わしたい」と願っていた、守るべき対象だった。


それを、この男は。


マルコシアスから、エルムという、この世界の救世主になる器の男がいるという報告を受け、一度会ってみたいと思っていた。


だが、平和を説き、笑顔でお茶を淹れるその男が、その裏ですべてを蹂躙してきたというのか。


そして、あのマルコシアスが傷つき、言葉を失った。


自分が信じようとした「光」が、最悪の「闇」であった。


サタンは立ち上がった。その背後から、漆黒の重圧が溢れ出し、蒼瀾宮の床を粉々に砕いていく。


やはり言葉など、もう必要ない…



一方、宿を飛び出したエルムたちの前に、夜の闇を裂いて銀色の閃光が降り注いだ。


それは、都の運河を凍てつかせ、建物を一瞬にして氷像へと変える、絶対零度の武力。


氷の霧の中から、ゆっくりと姿を現したのは、全身を禍々しい漆黒の鎧で固め、感情を封印した鉄の仮面を被った「鋼の王」。


「…サタン」


エルムが名を呼ぶ。仮面の向こうから、第3魔王サタンが怒りに震える声で淡々と読み上げる。


「罪人エルム・エリュシオン。貴殿の存在は、この世界にとっての『不純物』である。これより、全戦力をもって貴殿を――排除する」


次の瞬間、水の都のすべての水が、牙を剥く龍となってエルムへと襲いかかった。


「茶会どころじゃなさそうだね…」


エルムの手が、ゆっくりと黒檀の鞘へと伸びた。

第16話をお読みいただきありがとうございました!

水の都編の開幕です!


美しい水の都を満喫し、サタンとの対話の準備をしていたエルム一行ですが、何者かの仕業により、真実を捻じ曲げた「切り抜き」が行われ、サタンの元に最悪の情報として届いてしまいました。


次回は、水の都を舞台にした、最強のコミュ障魔王サタンとエルムの、異次元の戦いにご期待ください!

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