55話・緑青の夢
「そんなあんた達を見て、あたしも旦那とのことを思い出して甘酸っぱい思いがしたものさ」
スターシャにも、そんな過去があったようだ。懐かしむように言うスターシャを見ていたら、当たり前のことだが、彼女も初めからお婆ちゃんだったわけではなく、娘時代があって、その中で恋い慕う相手がいてもおかしくはないことに気が付いた。
結婚して夫のステパンは行方知れずになっていたが、彼女の心に残る夫の姿を胸に、息子を育てあげて今まで頑張ってこられたのだろう。そのスターシャの想いが報われて良かったと心から思った。
スターシャらに見送られて店を出ると、窓に一匹のヤモリが張り付いているのが見えた。後からノアールに教えてもらったことだけど、ノースデン山の麓の街では、ヤモリが付く家は縁起が良いとされているとか。やもりは家を守る存在として石工達には大事にされているそうだ。ノアールは私が手にしていたパン屋の紙袋を持ってくれた。
「王都では滅多に見られないが、ヤモリがいるなんて珍しいな」
「もしかしてノースデン山で会った緑青さんだったりして?」
「それはどうだろうな? 彼女は麓の街に追いやられたようだったから。ヤモリの足でここまで来るには、無理があるだろうな」
「分からないわよ。彼女はブルーノだったステパンさんにかなり執着していたもの。追いかけて来たのかも?」
彼女ならばヤモリの姿に戻されたとしても、鳥などを利用してここまでやってきそうな気がする。彼女の本性がヤモリだったのには驚いたが、彼女は色々な顔を持っていた。もし、魅了なんて使わずにただの人間として存在していても、周囲の男性は翻弄されそうな気がする。
もう一度、窓の方を見ればヤモリの姿は消えていた。まるで家の中の者達を見守っていたかのようだ。緑青は一体、何をしたかったのだろう? 彼女は実の母親に捨てられたと言っていた。その言葉に深い孤独のようなものを感じた。彼女は家族が欲しかったのではないだろうか?
それを知った竜胆は、拾った緑青の願いを叶えるために、記憶喪失だったブルーノを魅了し、仮の夫として側に置き続けたのではないか? 緑青の父親役として。
もしもそうなら、あの家は緑青の夢そのものだったのかも知れない。優しい母に頼れる父親。身体が大人になっても、心は子供のままだった彼女はその夢に浸り続けたかったのだろう。でも、いつか夢は覚めるもの。母親役をしていた竜胆は消えさり、父親役をしていたブルーノこと、ステパンは現実社会に戻った。幻想の家族は綺麗さっぱりなくなった。
それでも父親でいてくれたステパンのその後を心配して、様子を見に来たのではないか? あのヤモリは緑青のような気がしてならなかった。
「彼女、ノアールのことも気に入っていたわよね? ノアールは彼女のことどう思っていたの?」
「どうって?」
「異性として惹かれる要素はあった?」
「興味ない」
突っ込んだことを聞いてしまったが、彼は即座に答えた。それでも気になってしまう。その想いが口をついて出ていた。
「でも、彼女は綺麗だったじゃない? 少しは心惹かれたんじゃない?」
「いや。容姿ならサーラの方が断然綺麗だ。心根も優しいし、あの腐った匂いがする女にはそもそも好感など持てないよ」
「どうもありがとう」
真顔でそう言われて礼を言えば、ノアールは納得のいかない顔をしていた。




