第2話 やれるかどうかじゃない
握った手のひらが、じんわり温かい。
金属のはずなのに、日なたに置いた石のような温度があった。軸の奥で小さな歯車が回りつづけ、その震えが骨まで伝わってくる。細かく、規則正しく。
父の工場の柱時計に耳を当てたときと同じ感触だった。
床が揺れた。
棚の部品がかたかたと鳴り、天井から砂のような埃が降ってくる。口の中にざらりとした鉄の味が広がった。広場の方角から、悲鳴とも金属の軋みともつかない音が、途切れずに聞こえている。
「怖い?」
ギアが目の前まで降りてきた。翅の起こす風が頬に当たり、焦げた砂糖の匂いがかすかに混じった。
「……怖い」
「やれる?」
「わからない」
ギアはしばらく、ベルの顔を見ていた。
「やれるかどうかなんて、やる前にはわからないの。やった後にしかわからない」
声がさっきより低かった。
「だから、やるのよ」
ベルは自分の手を見下ろした。爪の間に真鍮の粉が詰まっている。さっきまで八番目の歯車をつまんでいた指だ。
握り直した。
「……やる」
自分の声は思っていたよりずっと小さかった。
「上出来。眼鏡、外して」
「外したら何も見えな」
「いいから」
眼鏡を外すと、倉庫の輪郭がにじんで溶けた。棚は茶色い塊になり、小窓は赤い四角になった。ギアの光だけが、にじんだ世界の真ん中で金色の点として浮いている。
その点が頭上で弾けた。
金色の粉が降ってくる。肩に、髪に、眼鏡を握ったままの左手に。触れたところから、肌がぬるく緩んでいく。
足もとの石畳が光った。
光の線が床を走り、ベルを中心に円を描く。縁に歯が刻まれ、中心に向かって軸が伸びる。直径三メートルほどの、光でできた歯車だった。
それがゆっくり回りはじめると、かちり、かちり、と音が鳴った。音叉を打ったような澄んだ響きで、鳴るたびに足の裏がくすぐったい。
光が足首から這い上がった。
冷たい、と思ったのは一瞬で、次の瞬間には重みがあった。膝までを覆う銀色のブーツが、吸いつくように脚に沿う。脛の外側を細い蒸気管が走り、しゅう、と白い息を吐いた。
熱した真鍮の匂いが鼻を突く。
スカートが光に溶け、薄い金属板を重ねたものに変わった。板どうしが触れ合って、動くたびにちりちりと鳴る。胸に、肩に、腕に、装甲が重なっていく。
手を覆ったガントレットは、指先だけが素肌のままだった。
背中がふっと軽くなった。
振り返らなくてもわかった。何かが開いている。一枚、二枚。
数えるうちに六枚。背中で薄い歯車が扇形に広がり、その隙間から噴き出した蒸気が、窓の赤い光を受けて虹色にほどけていく。
視界が澄んだ。
にじんでいた棚が、くっきりと角を取り戻す。舞い上がった埃の一粒一粒が見える。棚の奥に転がっている歯車の歯が、数えられる。
眼鏡をかけたときよりも鮮明だった。
「名乗って。名乗らないと、最後の一枚が噛み合わない」
ギアの声が頭の上から降ってくる。
何を、と聞き返す前に、喉の奥から言葉が出てきた。選んだ覚えはない。歯車が噛み合うときのように、胸の中で何かがかちりと嵌まり、そのまま口から押し出された。
「ロードアウト!——アイアン・ブート!」
ステッキを突き出すと、先端の紋章が唸りを上げて回りはじめた。蒸気が柱になって天井を叩く。
「魔法少女アイアン・ベル、起動!」
光が爆ぜた。
倉庫の壁に亀裂が走り、石の欠片がばらばらと落ちる。耳の奥がきんと鳴った。
静かだったのは、ほんの数秒だった。
頭上で、天井がみしりと鳴った。
見上げた先で、石の天井が内側にたわんでいく。亀裂の隙間から赤い空がのぞき、その赤を黒いものが塞いだ。
歯だった。
ベルの背丈よりも大きな黒い歯車の歯が一本、天井を突き破って、まっすぐ降りてくる。




