↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
37/49

第35話 守れなかった子

 屋根の上は、風が冷たかった。


 雨上がりの瓦は濡れていて、目地に生えた苔が、土と鉄錆の混じった匂いを立てていた。腰を下ろすと、制服の布ごしに冷たさが染みてくる。


 ベルの部屋の窓から、雨樋をつたって上ると、瓦の平らなところに出る。小さいころ、父に叱られるたびにここへ逃げた。煙突の列の向こうに、時計塔の文字盤が灯っているのが見える。


 ルストはあの場で返事をしなかった。


 明日、答える。それだけ言って、廊下の暗がりへ歩いていった。ベルはその背中を呼び止められなかった。


 膝を抱えていると、髪の中で、ギアが身じろぎした。


 四枚の翅が夜の中で弱く光った。半分しかなかった四枚目が、いつのまにか、ほとんど元の形に戻っていた。


「話すって、言ったわね」


 ギアはベルの膝の上に降りる。


「全部は、話せない。でも、話せるところまで話す」


 ベルは頷いた。 ギアは時計塔のほうを向いたまま、しばらく黙っていた。


「百年前、この街に、魔法少女がいたの」


 風が煙突の煙を横になびかせる。


「眼鏡をかけてて、手がいつも真鍮の粉で汚れてた。歯車の話をしはじめると止まらなくて、私が何を言っても聞いてなかった。……あなたにそっくりだった」


「……リーゼ」


「そう。リーゼ」


 ギアはその名前を、壊れやすいものを持つように言った。


「前にも言ったけど、料理が下手でね。林檎を剥かせると、皮より実のほうが薄くなるの。そのくせ、歯車の歯なら髪の毛一本ぶんの狂いでも見つけた。作業しながら、いつも鼻歌を歌ってた」


 ギアの声がほんの少しだけ、やわらかくなった。すぐに、元の平らな声に戻った。


「あの子は、七十度がもう持たないことに、最初に気づいた。誰も信じなかった。管理局も、学校の先生も。あの子は一人で大時計の下まで降りて、崩れかけた歯車に、手を当てた」


 ベルはその地下の闇を見たことがない。それなのに、湿った石の冷たさと、焼けた油の匂いが、喉の奥に来た。


「手を離したら、戻る。あの子はそう言って、離さなかった。自分ごと、歯車の支えになったの。大時計は、それから百年、砕けずに回ってきた」


「リーゼは、怖くなかったの」


「怖がってた」


 ギアは即座に言った。


「最後まで、怖い、怖いって言ってた。歯車に手を当てながら、泣いてた。それでも、手を離さなかった」


「……ギアは」


「逃げたわ」


 ギアの声は、平らだった。


「あの子の体が光になっていくのを見て、怖くて、飛んで逃げた。あとは、お願い、って言われたのに。何をお願いされたのかも、わからないまま」


 ギアの小さな手が、ベルの制服の布を握った。


「それから百年、あのステッキが回る手を探した。いくつの手に触れさせても、一度も回らなかった。あなたの手が、初めてだった」


「扉の向こうにいたのは」


「……わからない」


 ギアは首を振った。


「あの子の形をしてた。あの子の癖をしてた。でも、あの子は、あんなに黒くなかった」


 ベルは自分の右手を見る。感覚のない指。それから、左手。


「リーゼって、どこの人だったの」


 ギアは答えなかった。


 代わりに、ベルの顔を見上げる。翅の動きが止まっていた。


「それは、私が言うことじゃない」


「じゃあ、誰が」


「あなたのおばあさんに、聞いて」


 ベルの息が、止まった。


 倉庫の木箱。蓋の裏の、小さな刻み。封印の扉の、〈L・C〉。


 Lは、リーゼ。


 ベルは自分の名前を頭の中でなぞった。ベル・クロックワーク。


 Cは。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。