第31話 搬入口
ルストは、ベルの話を最後まで聞いてから、ハンマーを置いた。
鍛冶小屋の炉は落としてあって、煉瓦の奥に熾火が赤く残っているだけだった。暗がりの中で、ルストの顔の半分だけが照らされていた。
「……今夜、見に行く」
「私も」
「来るなって言っても、来るんだろ」
真夜中の時計塔の裏手は、昼間の広場とは別の街のようだった。
石畳は夜露で濡れて、ガス灯のシャッターは細く絞られている。塔の基部の、雑草に埋もれた石段を降りた先に、鉄の両開き扉があった。錆の上から、新しい油が塗られている。扉の隙間から、ランタンの光と、鉄を打つ音が漏れていた。
肩の上で、ギアが身を固くした。
「ここから先、大時計の根っこよ」
扉には鍵がかかっていなかった。太い閂が抜かれて、脇の壁に立てかけてある。今夜も荷車を通すつもりらしい。
中は下り坂の長い通路だった。壁は千年前の石組みで、継ぎ目から染み出した水が、足もとで細い流れになっている。空気は冷たく、油と鉄の匂いの奥に、黴と、湿った土の匂いがした。一歩降りるたびに、大時計の拍が、足の裏から膝へ、膝から胸へと強くなっていく。
通路の先が、急に開けた。
ベルは、息を止めた。 巨大な空洞だった。天井は闇に溶けて見えない。その闇の中央を、塔ほどもある軸が一本、上から下へ貫いている。軸のまわりを、数えきれない歯車が、層をなして回っていた。いちばん小さいものでも、ベルの背丈より大きい。
大時計だった。
こつん、こつん、と拍が鳴るたび、空洞じゅうの空気が震えた。
その軸の根元に、灰色の男たちが群がっていた。
足場を組み、鋼を運び、溶接の火花を散らしている。組み上がりかけているのは、巨大な、くさび形の鋼の塊だった。刃のように鋭い先端が、大時計の軸の、いちばん下の歯車の隙間に向けられている。
楔だった。 注文書の紋そのものが、鋼でそこに建っていた。
「……制動機」
ルストがつぶやいた。声がかすれていた。
「歯と歯のあいだに打ちこんで、回転ごと止める。二十トンの鋼は、これか」
足場の上で、大柄な男が鋼材を肩から下ろした。汗を拭って、隣の男と何か言葉を交わし、笑った。 ルストの父親だった。
ルストは動かなかった。握ったこぶしが包帯の上から白くなっていた。
ベルはルストの横顔を見られなかった。代わりに楔の刃先を見た。
溶接の火花が散るたびに、刃の表面が青白く光った。焼けた鉄の匂いが、冷えた空洞の空気の中で、そこだけ重く淀んでいる。
刃のいくつかの面に、見覚えのある叩き跡があった。同じ高さ、同じ間隔で並んだ、かん、かん、の跡。
「……俺が、仕分けた鋼だ」
ルストが言った。
「何本かは、俺が叩いた。炉を貸せって言われて。親父の客だから、何も聞かずに」
ステッキの中で、新しい芯が拍を刻んでいた。同じ鋼で打った芯が。
足場の上で、声が上がった。灰色の男たちが、楔の脇を回りこんで、空洞のさらに奥へ走っていく。
ベルとルストは、柱の陰をつたって、その後を追った。
空洞の最深部、大時計の軸がいちばん下で床に沈みこむところに、石の壁があった。壁の中央に、円い扉がはめこまれている。錆びた青銅の扉だった。
扉の真ん中に、紋が浮き彫りにされていた。ステッキの先端と同じ、歯車の紋章。 その下に、小さな文字が二つ刻まれていた。
〈L・C〉
ベルはその二文字を知っていた。
倉庫の木箱の、蓋の裏。あの夕方、ベルの目が届かなかった、小さな刻み。今なら、読めた。
扉の向こうから、歌が聞こえていた。




