第28話 正体
翌朝、教室の扉を開けた瞬間、話し声が止んだ。
全員がベルを見ていた。
ベルは扉の取っ手を握ったまま、固まった。
昨日の夕方の、第三街区の市場通り。拍手をしていた、あの人垣。退避させられていた住人たちの中に、この学校の生徒の家族がいても、おかしくなかった。いや、いたのだ。確実に。
「……おはよう、ございます」
誰も、返事をしなかった。
ベルは自分の席まで歩いた。一歩ごとに、背中に視線が刺さる。椅子を引く音がやけに大きく響いた。机の上のインク壺の蓋が、かちかちと鳴っていた。自分の指が震えているのだと、ベルはその音で初めて気づいた。
ひそひそ声がまた始まった。
「あれ、本当にクロックワークなの」
「うちの母さんが見たって。翼が六枚あって、黒い歯車を一撃で」
「魔法少女って、本当にいるんだ」
「いつも工房にこもってる、あの」
ベルは教科書を開く。同じ行を五回読んだ。
一時間目の機構学の先生は、教壇に立つなり、ベルのほうをちらりと見た。口もとがわずかに動いた。板書の途中で、白墨が一度だけ、折れた。
ベルの机の上に、誰かが新聞の切り抜きを置いていった。今朝の地方版だった。
〈市場通りに翼の少女 黒い歯車を一撃〉。
見出しの下に、ぼやけた写真が一枚。煙の中に、六枚の翼の影と、振り上げたステッキ。顔は写っていなかった。 写っていないのに、みんな知っている。
ベルは切り抜きを裏返して、教科書の下に隠した。
一時間目が終わると、ベルは教室を飛び出した。
廊下を、地下の工房まで走る。階段を駆け下りて、扉を閉めて、背中を押しつけた。切削油の匂い。冷たい石壁。いつもの場所だった。
息が上がっていた。
「……逃げてきたの?」
梁の上から、ギアが言った。昨日のキャラメルの欠片を、まだ大事そうに抱えている。
「逃げてきた」
「悪いことしたわけじゃないでしょう」
「わかってる。わかってるけど」
ベルは作業台に突っ伏した。
「みんなが見るの。ずっと。何か言いたそうな顔で、でも言わないで、ひそひそ。どういう顔すればいいのか、わからない」
「笑えばいいのよ」
「笑えない」
「じゃあ、歯車でも組んでなさい。あなた、組んでるときは誰に見られても平気でしょう」
ベルは、顔を上げた。
ガラクタ市で、オルゴールを直していたとき。人だかりができていたのに、気づかなかった。
ベルは棚から組みかけの歯車を下ろした。八番目の歯車。四十五度。二度叩いて、かちり。
少しだけ、息が落ち着いた。 昼休みの鐘が鳴った。
工房の扉を、誰かが叩いた。
ベルの肩が、跳ねる。
叩く音は小さかった。控えめに、二回。扉の向こうで、ひそひそ声がした。
「……ここで、合ってる?」
「合ってるって。地下の工房」
「本当に入っていいの」
「知らないよ、お前が叩けって言ったんだろ」
ベルは扉を細く開ける。
廊下に、下級生が並んでいた。
五人。いや、その後ろにも、まだいる。一年生の制服ばかりだった。みんな、胸の前に何かを抱えている。
いちばん前の女の子が、両手で差し出した。
ぜんまい仕掛けの、ブリキの鳥だった。片方の翼が根元から折れていた。
「あ、あの」
女の子の声は途中で裏返った。
「魔法少女の、クロックワーク先輩ですか」
「……え」
「これ、直せますか」




