第23話 鍛え直す
新しい眼鏡は、鼻あてが固くて、少し重かった。
放課後、ベルは鍛冶小屋の扉を押した。炉の熱が顔に来る。ルストは前腕の包帯を巻き直しているところだった。鎖の跡は赤から茶色に変わりかけていた。
「持ってきたか」
ベルは鞄から、三割のステッキを出した。銅線を巻いた管。叩き直しただけの軸。眼鏡のねじが一本、歯車を押さえている。
ルストはステッキを受け取ると、耳もとで軸を爪で弾いた。前に鳴った澄んだ音とは違う、くぐもった、濁った音がした。
「直すだけじゃ、足りない」
ルストはステッキを作業台に置き、軸を指でなぞった。
「一度曲がった軸は、同じところでまた曲がる。この鋼の配合は、この街じゃ出せない。だから、芯を替える」
「替えるって、何に」
ルストは答えずに、小屋の隅へ歩いていった。
油紙に包まれた鋼材の束が、まだ積まれている。ルストはその一本の麻紐を切り、油紙をはがした。青みがかった鈍い断面が、炉の火を受けて光る。
「親父の客の鋼だ」
ベルは息を呑んだ。楔の紋の注文書。時計塔の地下搬入口。
「それ、あの人たちの」
「わかってる」
ルストの声は低かった。
「だが、この街でいちばん硬い鋼は、これだ。一本くらい、数え間違いで済む」
「ルスト」
「親父には、言うな」
ルストは鋼の断面を、指の腹でなぞった。
「親父は、いい鍛冶屋だ。頼まれた鋼は、一グラムも誤魔化さない。だから、何に使うかも聞かない。それが親父の誇りなんだ」
ルストの声がほんの少しだけ低くなった。
「俺は、聞かずにいられなくなった」
ルストは鋼の棒を炉に入れた。
鞴を踏む。炉の奥が橙から白に変わり、ごう、と吠える。鋼の先がじわじわと赤く、それから黄色く色を変えていく。
ルストはトングで鋼を引き出し、金床に載せた。
叩く。かん。火の粉が散って、ベルの手の甲に小さく当たった。熱くなかった。右手だったからだ。 ベルはそのことを黙っていた。
「押さえろ」
ベルは左手で、布ごしに鋼の端を押さえた。ハンマーが落ちるたび、振動が火傷の跡まで響いてくる。かん。かん。かん。一打ごとに、鋼が細く、長く、まっすぐになっていく。 陽が傾くまで、ルストは叩きつづけた。
何度も炉に戻し、何度も引き出す。そのたびに、鋼の色を目を細めて見る。黄色が白に近づきすぎると、叩かずに炉へ戻した。桶の油に先端だけを浸すと、じゅっと音を立てて、焦げた油の匂いが小屋に満ちた。汗が顎から落ちて、金床の上で小さく跳ねて消えた。
ベルはずっと押さえていた。左の肩がしびれてきても、手を離さなかった。
芯ができると、ルストはステッキの外殻をばらし、古い軸を抜いた。曲がった痕がはっきり残っている。それを捨てずに、布にくるんで棚に置いた。
「捨てないの」
「前の持ち主の軸だ。捨てられるか」
新しい芯を通す。ベルが歯車を一枚ずつ噛み合わせ、眼鏡のねじの代わりに、ルストが削った新しいねじで留めた。
最後の一枚を嵌める前に、ベルは人差し指で歯の背を二度叩いた。
かちり。
ステッキの中で、五つの歯車が回りはじめた。前よりも音が深い。握りに伝わる拍が、骨の奥まで届く。
「三割から、いくつだ」
「……わからない。前より、上」
ルストは短く笑って、額の汗を拭った。煤が一本、線になって残った。
そのとき、炉の脇の窓を、小さなものが叩いた。
こん、こん。
窓の外に、紙で折った鳥がひとつ、雨樋に引っかかっていた。ベルが窓を開けて拾い上げると、湿った紙から、蜜蝋の匂いがした。
開くと、細い字が並んでいた。
〈鐘楼から出してもらえない。父さんが、鐘の下で何かを聞いた。私も聞いた。〉
〈地面の下で、誰かが歌ってる。〉




