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第18話 先生と四十五度

 翌朝、ベルは一睡もしていない顔で、機構学の教室にいた。


 机の上に、爪車の模型が載っている。電車の床下で噛ませた、あの爪車と同じ比率のもの。夜のうちに、もう一段、組み足した。七十度の爪と、四十五度の爪。並べて、同じ重さの錘を吊るせるように。 大時計を止める。


 ヘルマンの声が、一晩じゅう耳の奥で鳴っていた。 止めさせないためには、七十度が間違っていると、誰かに信じてもらわなければならない。管理局の窓口は冊子を渡すだけだった。なら、次は。


「クロックワーク」


 先生が黒板の前で白墨を止めた。


「その机の上のものは、何だ」


 教室じゅうの目が、ベルに集まった。 ベルの顔が熱くなった。首の後ろまで。膝の上で、両手を握りしめる。握った右手の指先が、まだ少しだけ遠かった。


「……模型、です」


「授業に関係のないものは」


「関係、あります」


 声が裏返った。 後ろの席で、誰かがくすりと笑った。ベルはそれを聞かなかったことにした。立ち上がる。椅子ががたんと鳴った。


「七十度の爪と、四十五度の爪です。同じ重さを吊って、途中で駆動を止めます。どっちが、止まったあとも噛みつづけるか」


 先生の眉が片方だけ上がった。


「教科書の標準角度に、異を唱えるのか」


「唱えます」


 今度は声が裏返らなかった。 ベルは模型の駆動軸を手で回した。二つの爪車が同じ速さで回る。錘が少しずつ巻き上がっていく。 軸から、手を離した。


 四十五度の爪は、がちりと歯に噛んで、錘を宙に止めた。 七十度の爪は歯の背の上で、かりかりと空しく滑った。錘が床に落ちた。 ごとん、と重い音がした。 教室が静かになった。


「……摩耗を、再現してあるな」


 先生が教壇を下りてきた。七十度の爪を、指でつまんで持ち上げる。


「歯の背を、わざと削ってある。千年すり減った歯の、再現というわけか」


「はい」


「では、新品の七十度なら、どうなる」


 ベルは言葉に詰まった。 新品なら、七十度も噛む。わかっていた。問題はこの街に新品の歯車が、ほとんど残っていないことだ。


「……新品なら、噛みます。でも、この街の歯車は」


「教科書は、新品の歯車について書いている」


 先生は爪を模型に戻した。


「君の言いたいことは、わかった。だが、君が示したのは、七十度が間違っていることではない。すり減った歯車が、危ないということだ」


 先生は四十五度の爪をつまみ上げた。


「四十五度は、減った歯には効く。だが新品に使えば、噛みが浅いぶん、負荷が軸受けに逃げる。今度は軸が先に減る。角度は、一か所だけ見て決めるものではない。すり減ったなら、歯車を取り替えればいい」


「百万個を、ですか」


「そういう議論は、授業の後にしなさい」


 先生は教壇に戻り、白墨を取った。


「それと、授業を中断した罰だ。廊下に立っていなさい。模型を持って」


 くすくす笑いが、今度は、教室のあちこちから起きた。 ベルは模型を抱えて、廊下に出た。 石の廊下は冷たかった。窓の外で、時計塔の文字盤が、朝の光を受けていた。抱えた模型の錘が、腕の中で、かすかに揺れた。


 負けた、と思った。 正しいことを言ったつもりだった。けれど、先生の言ったことも、正しかった。


「……論破、されちゃった」


 鞄の中で、ギアが顔を出した。


「半分はね」


「半分?」


「あの先生、最後に何て言った? 授業の後にしなさい、よ。聞く気がないなら、そんなこと言わないわ」


 ベルは何も言えずに、窓の外を見ていた。 放課後。 工房の扉を開けると、中に、人がいた。 同じ組の男子が二人と、女子が一人。作業台の前に、居心地悪そうに並んでいた。


「……あの、クロックワーク」


 女子がベルの抱えた模型を指さした。


「さっきの、それ。もう一回、錘、落とすとこ、見せてくれない?」


 ベルは模型を抱えたまま、固まった。 黙って、作業台に模型を置いた。駆動軸を回す。錘が巻き上がる。手を離す。 ごとん。 三人が同時に息を呑んだ。


「……すげえ」


 男子の一人が言った。 ベルは耳まで赤くなった。

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