第11話 ガラクタ市
日曜の朝の運河広場は、鉄と油と、焼き栗の匂いがした。
石畳いっぱいに、茣蓙と木箱が並んでいる。錆びた発条、片方だけの蝶番、目盛りの剥げた圧力計、ばらした柱時計の振り子。月に一度のガラクタ市だった。 ベルは入口で立ち止まっていた。 もう、十分くらい。
「入らないの?」
鞄の中から、ギアが顔を出した。
「……人が、多い」
「ガラクタ市でしょう。人は来るわよ」
「わかってる。わかってるけど」
ベルは財布を両手で握りしめていた。中身は半年ぶんのおこづかいだった。欲しいものは昨夜から紙に書き出してある。
〈精密ねじ M1 二十本〉
〈焼き入れ前の小歯車〉
〈古い懐中時計の地板〉。
買いたい。けれど、店の人に声をかけなければならない。値段を聞かなければならない。値切らなければならない。 ベルはそれがいちばん苦手だった。 意を決して、最初の茣蓙の前にしゃがんだ。ねじの山。指でつまむ。ピッチを見る。ねじ山の角が立っている。いい。
「あ、あの」
店番の老人が新聞から顔を上げた。
「これ、いくら、ですか」
「十本で銅貨三枚」
「……はい」
ベルは銅貨を三枚置いた。 ギアが鞄の中で額を押さえた。
「値切るって、言ってなかった?」
「言えなかった」
三軒目で、ベルは足を止めた。 木箱の中に、小さなオルゴールが転がっていた。蓋の蝶番が外れて、櫛歯が三本、根元から折れている。ぜんまいは巻けるのに、音が出ない。
その木箱の前に、男の子がしゃがんでいた。 見覚えがあった。第七街区のパン屋の軒先で、ベルの裾にしがみついて泣いていた子だった。
「……あ」
男の子もベルに気づいた。目が丸くなった。
「蒸気のときの、お姉ちゃん」
男の子はミロと名乗った。オルゴールは去年死んだおじいちゃんのものだという。壊れて、パン屋のおばあちゃんが古道具屋に売ってしまった。それを、ここまで探しに来たのだと。
「銅貨、八枚だって。ぼく、三枚しかない」
ベルはオルゴールを手に取った。 櫛歯が三本。折れた根元はまだ新しい。落としたのだろう。シリンダーのピンは、一本も欠けていない。 直せる。
「……五枚、私が出す」
ベルは店の男に銅貨を渡した。男は値切られもしないうちに、少し気の毒そうな顔をした。 広場の隅の石段に座って、鞄から工具を出した。ピンセット。細いやすり。今買ったばかりのねじ。
折れた櫛歯を外し、地板の予備から削り出す。一本ずつ、長さを変えて。弾いて、音の高さを聞く。やすりをひと撫でして、また弾く。 ミロはベルの手もとを、息を止めて見ていた。 まわりの人の声が、聞こえなくなっていた。焼き栗の匂いも。石段の冷たさも。櫛歯の震えと、自分の指先だけがあった。
最後の一本を嵌めて、ぜんまいを巻いた。 蓋を開ける。 ころん、ころん、と、澄んだ音がこぼれた。古い、ゆっくりした子守歌だった。 ミロが両手で口を押さえた。 ベルはようやく顔を上げた。石段のまわりに、人だかりができていた。いつのまにか。 顔が一瞬で熱くなった。
「あ、あの、これ、その」
ベルはオルゴールをミロの手に押しつけて、鞄を抱えて立ち上がった。
「お姉ちゃん!」
背中に、ミロの声が飛んできた。
「ありがとう! ぼく、泣かなかったよ!」
ベルは振り返らずに、手だけ振った。 人だかりを抜けたところで、骨董の茣蓙の前を通りかかった。黒い布の上に、奇妙な置物が一つ、載っていた。 手のひらほどの、黒い歯車。 煤とは違う黒だった。ベルの足が止まった。
「ああ、それか」
店の男が言った。
「隣町のツァーンベルクで拾ってきたんだ。あっちじゃ最近、こんなのが石畳の隙間から、ごろごろ出るらしい。気味が悪いってんで、安く……」
男の声が、途切れた。 黒い歯車が、布の上で、ひとりでに回りはじめていた。 左回りに。




