第10話 炉の中
黒い歯は、炎の中でも焦げなかった。
煉瓦の口を内側から押し広げるように、二本目、三本目が現れる。炉の奥で鞴の歯車が悲鳴を上げ、送りこまれる風が炎をさらに煽った。青い火が天井まで舐め上がり、吊るされた鎖が赤く光りはじめる。 息を吸うと、喉の奥が焼けた。
「下がれ!」
ルストがトングを掴んで、ベルの前に出た。 ベルはその背中の後ろで、眼鏡を外した。
「ロードアウト——アイアン・ブート」
光と蒸気が狭い小屋に弾け、装甲の重みが肩に乗る。ルストが振り返った。トングを構えたまま、口が半開きになっていた。炎の照り返しで、赤毛が燃えるような色に見えた。 説明している暇はなかった。
ステッキを炉に向ける。光を束ねようとして、手が止まった。この炎の向こうに撃ちこめば、煉瓦ごと炉が割れる。割れた炉から、青い火が小屋じゅうに噴き出す。
「歯車は、炉の裏よ! 鞴とつながってる送風路の中!」
ギアの声が炎の唸りに削られて途切れがちになる。 裏に回る。煉瓦の壁しかない。どこにも手を入れる隙間がなかった。
「点検口がある」
ルストの声が驚くほど落ち着いていた。
「裏の三段目。鉄の蓋だ。ただし、今開けたら炎が逆に吹く。先に煙道を塞いで、火を痩せさせないと」
「どうやって」
「俺がやる」
ルストは天井の鎖に飛びついた。煙道の蓋を吊っている鎖だ。赤く焼けたそれを、革の前掛けを巻いた両手で掴み、体重をかけて引き下ろす。じゅっ、と嫌な音がして、革の焦げる匂いが一気に広がった。 重い鉄蓋が落ちる音がした。 炉の炎が一度大きく膨らみ、それから目に見えて痩せていく。青から白へ、白から橙へ。
「今だ!」
ベルは点検口の蓋を蹴り開けた。熱風が顔を叩き、眼の表面が乾いてひりつく。送風路の奥で、黒い歯車が鞴の歯車に食いついていた。噛み合いの角度は、見なくても指が知っていた。 紋章を差しこむ。寝かせる。四十五度。 がちん。
黒い歯車が内側から金色に透け、音もなく砕けた。鞴の歯車が回転を落として止まる。 小屋に、急に静けさが戻ってきた。煉瓦が冷えていく、ぴし、ぴし、という細い音だけが残った。煙道を塞いだせいで、黒い煙が天井に溜まり、目がしみる。ルストが裏の小窓を押し開けると、冷たい外の風が、一気に流れこんできた。
変身を解くと、膝から力が抜けた。床に座りこむ。煤で黒くなった自分の手の横に、ルストの手があった。両方の前腕に、鎖の跡が赤く帯になって残っている。
「……冷やして。すぐ」
「わかってる」
ルストは水桶に腕を沈めたまま、炉の脇の台を見ていた。 鍛えかけの刃がそこにあった。炎の熱に晒されて、刃先が波打つように反り返っている。
「卒業制作だったんだ。半年かけた」
責める声ではなかった。そのことがベルには余計にこたえた。
「……で。今のは何だ」
ベルが答えるより先に、肩の上の空気が揺れた。金色の粉を散らしながら、ギアが姿を現す。
「今のは、とか言わないで。失礼ね」
ルストは水桶から腕を上げ、しばらく黙ってギアを見ていた。 それから、鼻で短く笑った。
「……いつか教えろって言ったのは、俺だったな」
ルストは反り返った刃をもう一度見て、布をかぶせた。 床に、紙が一枚落ちていた。揺れで棚から滑り落ちたのだろう。鋼材の束に挟まれていた、注文書の写しだ。 ベルは拾い上げた。煤で汚れた指の跡が、紙の端に残る。
注文主の欄に名前はなかった。代わりに、赤い印がひとつ押してある。歯車の歯と歯のあいだに、楔を打ちこんだ紋。 品目は特殊硬鋼、二十トン。 納品先の欄には、見覚えのある地名が書かれていた。
〈時計塔 地下搬入口〉




