第78話 崩れる世界
地面が消えていく。
黒い硝子が端から砕け、下の闇へ落ちていく。
音がない。
それがかえって怖かった。
「走れ! 扉まで止まるな!」
叫んで、足を踏み出す。
その背後で、重い音がした。
ツキが倒れていた。
「ツキ!」
父さんが駆け寄る。
巨体を揺すってもツキは目を開けない。
かすかに胸が上下しているだけだ。
核をこじ開けて、最後の光まで出しきった。
もう、自分の足では立てない。
俺はツキを視た。
ツキ
HP:3/1280
状態:衰弱(極)
生きてる。
でも、あと一撃でも受けたら終わりだ。
「ソウマ。お前は五匹を連れて先に行け」
父さんがツキの首を抱いたまま言った。
「僕はツキを置いていけない。五年、この子だけが僕の家族だった」
「だったら、なおさら置いていかない」
父さんが顔を上げる。
「両方だ。父さんもツキも、全員で帰る」
「無茶だ。この体を、どうやって」
「無茶かどうかは、俺たちが決める」
五匹を振り返る。
全員がもうこっちを見ていた。
言わなくてもわかってる顔だ。
「ゴロ、ツキを背に乗せろ!」
「グモッ!」
ゴロが身をかがめ、ツキの下へ潜りこむ。
ぐっと踏んばる。
持ち上がらない。
ツキは大きい。ゴロの三倍はある。
「ナギ! 地面を濡らして、滑らせろ!」
「コポポ!」
ナギの水がツキの腹の下へ流れこむ。
黒い硝子の上に、薄い水の膜。
ずるり、と巨体がわずかに動いた。
「メイ! 蔦で前から引け!」
「ふよぉっ!」
メイの蔦がツキの前足に絡む。
ゴロが押す。
ナギが滑らせる。
メイが引く。
ツキの体が少しずつ前へ進みはじめた。
ゴロが押して、ナギが摩擦を消す。メイは向きを決める役だ。
一匹では動かせない重さも三つに割れば運べる。
軍団の戦い方は戦闘だけじゃない。
「これが……お前の、やり方か」
父さんが呆けたように言った。
◇
だが、道が裂けていく。
前方で、地面がぱっくりと割れた。
幅は大人の背丈ほど。
その下は底なしの闇だ。
「ソラ! 向こう岸の様子を見てこい!」
「ピィッ!」
ソラが雷をまとって飛ぶ。
向こう岸の上空で旋回し、鋭く鳴いた。
着地できる。
でも、足場がもろい。
俺は裂け目の縁を視た。
崩れる順番に、うっすらと数字が浮かぶ。
崩落まで:12秒/8秒/3秒
左側がすぐ落ちる。右の縁だけ、まだもつ。
「右だ! 右の縁から渡れ!」
ゴロが右へ回る。
メイが先に跳び、蔦を向こう岸に打ちこむ。
蔦の橋。
ナギが水でツキを滑らせる。
ゴロがその橋の上を四本の足でじりじりと進む。
ひび割れる音。
左の縁が落ちた。
ちょうど三秒。
渡りきった。
「ヒノ、後ろ!」
背後から、黒い残骸が雪崩れてくる。
崩れた世界のかけらが形をなくして押し寄せる。
「紅蓮の吐息!」
「キュキュアアッ!」
――ゴオオッ!!
一点に絞った炎が残骸の雪崩を貫く。
穴が開く。
その隙間を俺たちが駆け抜ける。
次の裂け目。
ソラが先に飛ぶ。
俺が視る。
メイの橋。
ゴロが渡り、ナギが滑らせる。
ヒノは背後を焼き払う。
もう一つ。
さらにもう一つ。
息が上がる。
足がもつれる。
でも、止まらない。
「ソウマ」
横を走る父さんが言った。
「僕は五年、ここで独りだった。この道を、一人で走ったことはない」
「だから今日は、七人で走るんだ」
「七人?」
「俺と、父さんと、五匹」
父さんが一瞬、目を見開く。
それから、こけた頬で小さく笑った。
「……ツキも入れてくれ。八人だ」
「ああ。八人だ」
◇
頭上の天蓋が崩れはじめた。
紫の渦が千切れ、黒い雨のように降ってくる。
「ゴロ、ドームは張れるか!」
「グモォ……!」
ツキを背に乗せたまま、ゴロが地を踏む。
ズゥン、と岩の屋根が半分だけせり上がる。
黒い雨が岩を叩く。
半分でいい。
今はそれで十分だ。
そして、見えた。
崩れる地平の先。
白い光が一本の柱になって立っている。
扉だ。
その光の中を細い糸が走っていた。
こっちへ向かって、まっすぐに。
五匹の胸の欠片ひとつひとつに、その糸がつながっていた。
「タマが……引っぱってる」
糸がぐいと張る。
体がわずかに軽くなった。
足が前へ出る。
向こうで、あいつがふんばっているのがわかる。
首輪をつけたまま、こらえながら。
「あと少しだ! みんな、ふんばれ!」
ピィイィッ!
キュキュアッ!
グモォォン!
コポポ!
ふよぉっ!
五匹の声が重なる。
光の柱が近づく。
五十歩。
三十歩。
あと十歩!
そのとき。
「ぐっ……!」
隣で、父さんの足が止まった。
振り返る。
父さんの左腕。
五年のあいだに書き換えられた、黒く揺らぐ腕。
そこに、崩れた世界の残滓が、蛇のように絡みついていた。
黒い糸がぎゅうっと締まる。
父さんの体がうしろへ引かれる。
一歩。
二歩。
扉から遠ざかっていく。
「父さん!」
俺は手を伸ばした。
指先が宙を切った。
───────
【あとがき】
第七十八話、読んでくれてありがとうございます。
崩れる世界からの脱出回でした。動けないツキを、ゴロが押し、ナギが滑らせ、メイが引く。一匹では運べない重さを、三つに割って運ぶ。戦いだけじゃなく、こういう場面でも「補い合い」を見せたかったんです。
個人的に好きなのは、父の「八人だ」のひとことです。五年独りで走ってきた人が、ツキを数に入れてほしいと言う。家族の数え方が、少しだけ変わった瞬間でした。
そして扉まであと数歩で、父の腕に残滓が絡みつきます。侵食された腕が、崩れる世界に引き戻されていく。
ソウマの目は、今度は何を見つけるのか。次回、第二部でいちばん書きたかった回です。




