第73話 焚き火の夜
「ヒノ!」
叫んだ声が門の前でむなしく響く。
紅の鱗が大きく裂けていた。
傷口から黒いひびが走り、体の奥へ広がっていく。
門番の最後の一撃。
メイを狙ったその一撃を、ヒノはまともに受けたんだ。
「ナギ! 慈雨を!」
「コポポ……!」
やわらかな雨が降りそそぐ。
黒いひびがじわじわと薄れていった。
でも、ヒノは目を開けない。
震える目で、俺はヒノを視た。
ヒノ
属性:炎 資質ランクC
レベル50(上限)
HP 3
状態:昏睡
星の欠片:微弱
HPは3。
生きてる。
ぎりぎりのところで、まだ生きてる。
「命はつないだ」
父さんがヒノの額に手を当てる。
「あとは、この子の力しだいだ」
門の前で、最後の野営をすることにした。
ツキが残った力をしぼり、焚き火のまわりに小さな結界を張る。
ぱちり、と火がはぜた。
ヒノは俺の膝の横で眠っている。
その反対側に、メイがぴったりとくっついていた。
「ふよ……ふよぉ……」
メイが泣いている。
いつもヒノのしっぽを蔦でつついて、怒られていたメイ。
炎で焦げかけて、きゃあきゃあ逃げまわっていたメイだ。
その子がヒノのそばを一歩も離れない。
ソラは焚き火の向こうで、翼をたたんで黙りこんでいる。
いつもならヒノとからかい合って、うるさいくらいなのに。
ゴロは背中の岩で夜風をさえぎる。
ナギは小さな雨を、ずっと降らせ続けていた。
俺はヒノの鼻先をそっと撫でた。
「覚えてるか、ヒノ。お前の初陣」
三ツ岩窟。
青く光る通路。
タマが初めて産んだ赤い卵から、お前は生まれた。
手のひらに乗るくらい小さくて、とにかくやんちゃで。
最初の相手はケイブワームだった。
燃えやすい虫の魔物。
お前は小さな炎で、そいつを焼いた。
得意げに胸を張って、タマの後ろをちょこちょこついて回ってたっけ。
それからはずっと一緒だ。
ゴロの壁の後ろから撃つ、うちの火力。
昇格戦も、火口の層も、鷹宮との決着も。
最後の一撃はいつもお前の炎だった。
「タマの次に長いのは、お前なんだぞ」
声が少しかすれる。
「だから、勝手にいなくなるな」
夜が深くなっても、HPは3から動かなかった。
慈雨は傷をふさいでくれる。
でも、目を覚ます力までは戻せない。
俺はもう一度、ヒノを視た。
いちばん下の一行。
星の欠片:微弱。
ここだ。
「父さん。欠片は、タマの星から分かれたものだよな」
「ああ。だから響き合う」
「なら、逆もできるはずだ」
欠片どうしは響き合う。
弱った欠片のそばに、ほかの欠片を寄せれば。
消えかけた火種に、みんなで風を送れる。
タマの卵を五つ育ててきた俺にはそう視えた。
「みんな、ヒノのまわりに集まってくれ」
ゴロがのそりと体を寄せる。
ナギはヒノの頭のそばで丸くなった。
ソラが翼を広げて、ヒノの背中を覆う。
メイはもう、最初からくっついている。
四匹の体がほのかに光りはじめた。
その光が細い糸になって、ヒノへ流れこんでいく。
星の欠片:微弱→回復中
「欠片で、欠片を温めるのか」
父さんが目を見開いていた。
「僕は五年、ツキと二人きりだった。こんな手当ては、思いつきもしなかった」
夜明け前。
焚き火が小さな熾火になったころだった。
ヒノのしっぽがぴくりと動く。
まぶたがゆっくりと開いた。
寝ぼけた顔で、ヒノはあたりを見まわす。
それから、いつものやんちゃな顔で鳴いた。
「キュア」
「ふよぉぉっ!」
メイが飛びついた。
ヒノはうっとうしそうに首を振る。
でも、振りほどきはしない。
ソラがピィッと鳴いて、翼でヒノの頭をぺしんとはたいた。
心配させやがって、と言うみたいに。
ヒノがキュキュッと怒り、炎をちろりと吐く。
いつもの二匹だ。
視界がじわりとにじんだ。
「よく戻ってきたな、ヒノ」
父さんが熾火に枝をくべた。
マントの下の腕が黒く揺らいでいる。
侵食は昨日よりも広がっていた。
「ソウマ。あの一撃の瞬間、ヒノはためらわなかったな」
父さんは寄りそう二匹を見ていた。
「誰に言われたわけでもない。自分で決めて、仲間の前に出た。そういう竜に育てたのは、お前だ」
「みんなが、勝手に育ったんだよ」
「それを、育てたと言うんだ」
父さんが小さく笑う。
「僕はツキ一匹を守るので精一杯だった。でもお前は、六匹に互いを守らせている」
ツキが低く「ルゥゥ」と鳴いた。
「お前は、僕より、ずっといいテイマーだ」
胸が詰まって、何も言えなかった。
ずっと写真の中の背中を追いかけてきた。
その人に、こんなふうに言われる日が来るなんて。
そのとき、ふっと音が消えた。
風もないのに、焚き火の炎が横に倒れる。
ヒノとメイが同時に門のほうを振り返った。
門の奥から、声がする。
父さんの声でも、俺の声でもない。
頭の中に、じかに響いてくる。
『……ヨク、キタ。取引ヲ、シヨウ』
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【あとがき】
第七十三話、読んでくれてありがとうございます。
門番の最後の一撃から、メイをかばったヒノ。今回は戦いのない、焚き火の夜の話です。タマの次に長くソウマと一緒にいるのがヒノでした。初陣のケイブワームから、鷹宮との決着まで。ソウマの思い出は、みなさんと一緒に歩いてきた道でもあります。
欠片で欠片を温める。視る力と育成の理屈で、消えかけたヒノの火種に、みんなで風を送りました。父の「お前は、僕より、ずっといいテイマーだ」には、五年ぶんの重さをこめています。
そして、門の奥から届いた声。次回、別のものが差し出すのは、ソウマがいちばん欲しかったものです。
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第74話 甘い嘘
『取引ヲ、シヨウ』
その声は門の奥から染み出してきた。
父さんがすばやく立ち上がる。
ツキが低くうなり、五匹がいっせいに身構えた。
「耳を貸すな、ソウマ」
『オマエノ、父ノ、侵食ヲ、消シテヤル』
父さんの肩がぴくりと止まった。
『全員、元ノ世界ヘ、帰シテヤル。星ヲ、一ツ、差シ出セバ』
星。
タマのことだ。
「断る」
『マダ、見テイナイ』
門の石がぐにゃりと溶けた。
気づくと、俺は畳の上に座っていた。
天野竜具店の、奥の居間。
ちゃぶ台の上で、味噌汁が湯気を立てている。
焼き魚のにおい。
縁側から、夕方の光が差しこんでいた。
「ほら、ソウマ。冷めるぞ」
じいちゃんが笑っている。
腰も曲がっていない。
店がまだ繁盛していたころの、あの顔だ。
「お兄ちゃん、また箸の持ち方ヘン」
ひなたがあきれたように言う。
でもその声に、とげはない。
俺を見下していたころの冷たさがどこにもなかった。
そして、ちゃぶ台の向こうに父さんがいた。
こけた頬じゃない。
伸び放題の髪でもない。
腕の黒い揺らぎも、きれいに消えている。
写真の中の、あの笑顔そのままだ。
「おかえり、ソウマ。よくがんばったな」
喉の奥が熱くなった。
これだ。
ずっと欲しかったのは。
ハズレだと笑われた日も。
ハズレ組で独りだった日も。
心のどこかで、ずっとこの食卓を思い描いていた。
『コレガ、オマエノ、望ミダロウ』
声がやさしくささやく。
『星ヲ、渡セ。ソレダケデ、全部、手ニ入ル』
箸を持つ手が震えた。
父さんの侵食はもう長くはもたない。
ここで首を縦に振れば、父さんは助かる。
じいちゃんも、ひなたも、笑っていられる。
……本当に、それでいいのか。
俺は息を吸った。
癖みたいに、目の前の父さんを視る。
天野■■
職業:テ■■■
相棒:(読めない)
状態:■■■■■
文字化けだ。
名前も、相棒も読めない。
じいちゃんを視る。
ひなたを視る。
どれも同じだった。
ステータスの欄が黒くつぶれて崩れている。
本物の人間なら、こうはならない。
これは別のものが書き換えて作った、ただの絵だ。
でも。
それだけじゃなかった。
視る力なんかなくても、最初から気づけたはずだった。
ちゃぶ台のまわりを見まわす。
じいちゃん。
ひなた。
父さん。
俺。
縁側にも、座布団の上にも。
いつもの俺の膝の上にも。
灰色の、まん丸い目がない。
ごはんのたびに、俺の皿から焼き魚をかっさらっていくやつ。
怒ると「グルルゥ」とうなって、すぐに「キュー」と甘えてくるやつ。
この食卓にはタマがいなかった。
ヒノも、ゴロも、ソラも、ナギも、メイもいない。
あいつらの誰かが欠けていたら、それはもう、うちじゃない。
「……いらない」
箸を置いた。
『ナゼダ。欲シカッタ、モノダロウ』
「欲しかったよ。今でも欲しい」
俺はにせものの父さんをまっすぐ見た。
「でも、タマがいない家族なんて、家族じゃない」
にせものの父さんが笑ったまま固まった。
じいちゃんの輪郭がざらりと崩れる。
ひなたの声がノイズに変わった。
「タマはな、鍵でも、星でもない。うちの最初の家族だ。取引の材料になんか、するもんか」
ぴしり。
食卓の真ん中に、ひびが走る。
「キュア!」
ヒノの声だ。
ひびの向こうから、真っ赤な炎がのぞいた。
「ピィイィッ!」
続けて、青白い雷光。
幻の天井を、ソラの翼が切り裂く。
「ふよぉっ!」
メイの蔦が崩れかけた壁をつかんで引きはがした。
――ガシャアアン!
幻がガラスみたいに砕け散る。
気づけば、俺は門の前に膝をついていた。
焚き火はとっくに消えている。
ヒノが俺の袖をくわえて、必死に引っぱっていた。
ナギの雨がほてった額を冷やしてくれる。
「ソウマ!」
父さんが俺の肩をつかんだ。
本物の父さんだ。
頬はこけて、腕は黒く揺らいでいる。
ボロボロで、疲れきっていて。
それでも、ちゃんとここにいる。
「見たのか」
「うん。……うまい嘘だった」
父さんは何かを言いかけて、口を閉じた。
それから、震える手で俺の頭をくしゃりと撫でた。
「僕は五年、あの声を聞き続けた。……何度、うなずきかけたかわからない」
「俺には、タマがいるから」
視る力で、自分のステータスをちらりと確かめる。
天野ソウマ
相棒:タマ(現世)
共鳴:安定
遠い扉の向こうで、タマがちゃんとつながっていた。
ずずん、と地面が鳴る。
門の表面に、長い亀裂が縦に走った。
取引を断られて、封を守る理由がなくなったのか。
巨大な門がゆっくりと左右に開いていく。
その奥は真っ暗な空間だった。
上も下もわからない、底なしの闇。
ゴロが前に出て、俺たちの盾になる。
ツキが低く「ルゥゥ」と鳴いた。
どこか、悲しげな声だった。
闇の真ん中に、巨大な何かがうずくまっている。
黒い体の奥で、かすかに。
灰色の鱗が光った。
───────
【あとがき】
第七十四話、読んでくれてありがとうございます。
別のものが差し出した「取引」。侵食の消えた父、元気なじいちゃん、やさしいひなた。ソウマがずっと欲しかった食卓です。書いていて、正直こちらも揺らぎました。
でも、視る力で視れば文字化け。そして何より、その食卓にはタマがいない。ソウマの答えは「タマがいない家族なんて、家族じゃない」でした。幻を内側から壊しに来たヒノたちも、ちゃんと家族の一員です。
門の奥、黒い体の奥に光った灰色の鱗。タマやツキと同じ色です。あれは、いったい何なのか。次回、ついに正体が明かされます。




