第66話 父の時間
「父さん、その腕」
父さんは答えず、マントを引き寄せて腕を隠した。
遅い。もう見てしまった。
「見せてくれ」
しばらくして、父さんは観念したように袖をまくった。
黒い。
手首から肘の上まで、墨を流したように染まっている。
輪郭がちらちらと揺れて、ときどき向こうが透けた。
俺は視た。
――――――――
侵食:右腕全域/胸部へ進行中
▓▓▓▓:残り▓▓
――――――――
胸部へ。
腕だけじゃない。もっと奥まで来ている。
「いつから」
「渡って一年目には、指先が黒くなっていた」
父さんは焚き火に目を落としたまま言った。
「あれを押しとどめるたびに、少しずつ書き換えられる。僕の体は、この世界に食われていくんだ」
「なんで黙ってた」
「言ってどうなる。お前は来てしまったあとだ」
声は静かだった。
ずっと前から覚悟していた人の声だ。
「だから来るなと言った。ここは、長くいる場所じゃない」
「……長くって、どれくらいだ」
「わからない。胸まで届けば、たぶんそこまでだ」
父さんが、俺をまっすぐ見た。
「ソウマ。僕のことはいい。欠片が集まったなら、ツキと一緒に核を潰せ。それが済んだら、五匹を連れて帰れ」
頭の奥で、何かがぷつりと切れた。
「ふざけんなよ」
父さんの目が見開かれる。
「五年待ったんだ。写真の中の顔しか知らなくて。やっと会えたのに、置いて帰れって言うのか」
「ソウマ」
「核も潰す。父さんも連れて帰る。両方だ。片っぽなんて選ばない」
息が荒くなっていた。
五匹がこっちを見ている。
ヒノまで、心配そうに尻尾を下げていた。
「両方、諦めない。それが俺だ」
焚き火がぱちりと爆ぜる。
父さんは長いこと黙っていた。
やがて、ほんの少しだけ口もとがゆるむ。
「誰に似たんだか」
「父さんだろ。榊先生が言ってた。まっすぐな馬鹿だって」
「……あいつめ」
父さんが小さく笑った。
ツキが薄目を開け、ルゥゥと喉を鳴らす。
◇
夜が更けた。
五匹は焚き火の反対側で丸くなり、寝息を立てている。
ツキの寝息と重なって、ゆっくりした音がつづいていた。
父さんが、ぽつりと言った。
「お前の目は、母さんに似たな」
心臓が跳ねた。
母さん。
顔も知らない人だ。
じいちゃんも、あまり話したがらなかった。
「母さんって、どんな人だった」
「あの人は」
父さんが口を開きかけて、止まった。
焚き火をじっと見つめる。
何かを選ぶように、唇が動いて。
それから小さく首を振った。
「いや。帰ってから話そう」
「なんで今じゃだめなんだ」
「約束が一つあったほうが、人は帰ろうとするものだ」
ずるい言い方だった。
でも、それ以上は聞けなかった。
◇
翌朝。
俺は五匹を焚き火の前に並べた。
「欠片を五つ、重ねる。やり方は三匹のときと同じだ」
ヒノ。ゴロ。ソラ。ナギ。メイ。
五つの鼻先を、輪になるように寄せさせる。
「メイの息に合わせろ。ゆっくりだ」
ふよ。
メイの呼吸に、ナギが合わせる。
ナギに、ゴロが。
ゴロに、ヒノとソラが。
五匹の胸の奥が、ぽうっと光った。
赤。茶。青白。水色。若葉色。
三匹のときより、はるかに明るい。
いける。
そう思った瞬間。
光がぶるりと震えた。
赤は右へ。青白は上へ。茶は下へ沈む。
五つの光が、それぞれ勝手な方へ引っぱりあう。
――――――――
星の欠片 共鳴率 3% → 1% → 0%
――――――――
ぱちん、と弾けて消えた。
五匹がそろってよろける。
ゴロはそのまま後ろへひっくり返った。
「もう一回だ」
二回目。
三回目も。
十回目になっても。
何度やっても同じだった。
一瞬だけ光って、ばらばらに散る。
三匹のときの四%にすら届かない。
昼を過ぎるころには、五匹とも息が上がっていた。
メイの花がしぼんでいる。
ソラの羽から、火花が出なくなっていた。
「今日はここまでだ」
父さんが言った。
反論の言葉が出てこない。
五匹を休ませて、俺はひとりで焚き火の前に座った。
考えろ。
何が違う。
三匹のときは、光が互いに引きよせられた。
五匹だと、互いに引っぱりあう。
数が増えたから、弱くなった。
そんな理屈、あるか。
目を閉じて、さっきの光景を頭の中で巻き戻す。
視る力で見た、光の動き。
赤はヒノへ。青白はソラへ。
それぞれの光が、自分の持ち主へ戻ろうとしていた。
三匹のときは、どうだった。
あのとき、光はどこへ集まっていた。
メイだ。
メイの呼吸に合わせたから、メイのほうへ寄っていった。
でも、メイの欠片もただの欠片だ。
三つなら支えられた。
五つは支えきれない。
束ねるには、中心がいる。
欠片じゃない。
欠片を産んだ、元のもの。
星そのもの。
この向こう側で星と呼べるのはツキだけだ。
でもツキの力は、もう二割しか残っていない。
結界を保つだけで精一杯だ。
なら、残るのは。
手のひらに、タマの首輪の手ざわりがよみがえる。
冷たい金具。古い模様。
出発の朝、こつんと当ててきた頭の重さ。
息が浅くなる。
「……結局、タマを呼ぶしかないのか」
声に出したとたん、手が震えはじめた。
膝の上で握りしめても、止まらなかった。
───────
【あとがき】
第六十六話、読んでくれてありがとうございます。
父の腕の黒は、五年間あれを押しとどめてきた代償でした。僕のことはいい、と言う父。両方諦めない、と怒るソウマ。この親子のぶつかり合いは、ずっと書きたかった場面です。
そして、母さんの話。父は何を言いかけて、やめたのか。「約束が一つあったほうが、人は帰ろうとする」。この言葉は、覚えておいてもらえると嬉しいです。
五つの欠片は束ねられませんでした。足りないのは中心。中心になれるのは、星そのもの。
みなさんなら、ここでどうしますか。




