第57話 五年ぶりの、言葉
「……父、さん」
声が、震えた。
焚き火の向こうの男が、ゆっくりと、立ち上がる。
ぼろぼろのマント。伸びた髪。頬はこけて、目には、深い疲れがにじんでいた。
でも――間違いない。写真の、あの人だ。
男は俺を見て、目を見開いた。
「……ソウマ、なのか」
その声を聞いた瞬間、胸の奥が、熱くなった。
五年。ずっと、写真の中にしかいなかった人が。
今、目の前で、俺の名前を呼んでいる。
「そうだよ。……天野ソウマ。あんたの、息子だ」
父さんの、傍らで。
大きな竜が、こちらを、じっと見ていた。
灰色の、鱗。
まん丸の、賢そうな目。
……タマに、そっくりだった。ただし、うんと大きい。
――そうか。あれが、父さんの相棒。タマの、前の“星”だ。
その大きな竜は、俺と三匹を見て、ゆっくりまばたきをした。
まるで、よく来た、と言うみたいに。
「なぜ、ここにいる」
父さんの声が、鋭くなった。
「僕は、言ったはずだ。……《来るな》と」
「聞いた。……でも、来た」
「わからないのか! ここには、あれがいる! お前が、あの子を――星を、連れてくれば」
「連れてきてない」
俺は、はっきりと、言った。
父さんの、言葉が、止まる。
「タマは、こっちには、いない。あいつは、現世で、扉を開けて、保ってる。……俺が連れてきたのは、この三匹だけだ」
ソラが、ヒノが、メイが、俺のそばで胸を張る。
父さんは、しばらく言葉を失っていた。
それから、震える声で、聞いた。
「……星の力なしで、どうやって、渡った」
「星の力は、借りた。でも、“連れて”はこない。タマが、あっちで扉を開ける。俺たちだけが、こっちへ渡る。……鍵は、渡さず、扉だけ、くぐったんだ」
「そんな、こと……」
父さんの目が、揺れた。
まるで、あり得ないものを、見るみたいに。
「僕には、思いつかなかった。……一匹の相棒に、すべてを賭けて、渡るしか。それしか、知らなかった」
父さんが、俺の後ろの、三匹を見る。
炎の竜。雷の竜。草の竜。
「その竜たちは……全部、お前が、育てたのか」
「ああ。タマが産んで、俺が育てた。ぜんぶで、六匹。……一匹ずつは、弱い。でも、補い合えば、格上だって、倒せる」
父さんの、こけた頬に。
……ふっ、と笑みが浮かんだ。
「……敵わないな。僕は、たった一匹で、必死だったのに。お前は、軍団で、笑ってる」
その顔は、疲れきっていたけど。
どこか、誇らしげ、だった。
「よく、ここまで、育てた。……よく、来たな、ソウマ」
その一言で。
俺の目から、勝手に涙があふれた。
ずっと、聞きたかった言葉だ。
ハズレの卵を引いて、笑われて。それでも、育ててきた。
その、全部が。この一言で、報われた気がした。
……間に合った。生きているうちに、会えた。
それだけで、渡ってきた甲斐が、あった。
でも――父さんの顔が、ふいに、こわばった。
「……まずい。もう、来る」
焚き火の炎が、ぐにゃりと、ゆがんだ。
地面の黒い硝子に、ひびが走る。
そのひびの奥から、文字化けした気配がにじみ出してくる。
――別のもの。
「僕の力が、弱ってるんだ。……もう、あれを抑えきれない」
五年。たった一人と一匹で、これを、押しとどめてきた。
その重みが、父さんのこけた頬に、刻まれていた。
父さんが、苦しそうに、膝をついた。
傍らの大きな灰色竜が、庇うように前に出る。
黒い影が、地面からずるりと立ち上がった。
断片じゃない。あのとき現世に来た、かけらとは、比べ物にならない。
……もっと、大きい。もっと、濃い。
視ようとした俺の頭が、ぐわんと揺れる。
読めない。まるで、底なしの穴を覗き込んだみたいだ。
「ソウマ……逃げろ。あれは、お前たちの、手に負える相手じゃ、ない」
でも、俺は。
三匹を、前に出して、身構えた。
……逃げない。
やっと、会えたんだ。
やっと、迎えに来たんだ。
なら――守るのは、今度は、俺の番だ。
父さんが五年、背負ってきたもの。
その半分を、今日から、俺が持つ。
「父さん。……あんたが五年、守ったものを。今から、俺たちも、一緒に、背負う」
黒い影が、こちらへ腕を伸ばしてきた。
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【あとがき】
第五十七話、読んでくれてありがとうございます。
五年ぶりの、父と息子の再会です。「なぜ来た」と怒る父に、ソウマは「タマは連れてきていない――鍵は渡さず、扉だけくぐった」と答えます。一匹に全てを賭けるしかなかった父と、軍団で補い合うソウマ。「敵わないな」という父の言葉には、悔しさより、息子への誇りがにじんでいました。
「よく、来たな」――ずっと聞きたかった一言。ソウマの育成の日々が、ここで報われます。
でも、感動の直後に、別のものが動き出す。今度は、断片ではなく、もっと濃い気配。父の限界と、本体の脅威。次回、いよいよ本物との戦いが始まります。
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