第56話 向こう側へ話
朝が、来た。
運命の、日だ。
学園最上の、境目。
底なしの縦穴を前に、俺たちは、立っていた。
残る者。ゴロ。ナギ。じいちゃん。円城寺。榊先生。
渡る者。ソラ。ヒノ。メイ。そして、俺。
最後に、俺はタマを抱き上げた。
「タマ。……いよいよ、だ」
「キュ……」
タマは、いつもより、ずっと静かだった。
自分が、ここに残ることを、わかっている。
初めての、離れ離れ。
……いちばん離れたくない相手を、いちばん危ない役目のために置いていく。
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「お前が、扉を開けて、保つ。俺たちが、それをくぐる。……お前がいなきゃ、始まらない。頼んだぞ、相棒」
タマが、俺の頬に、こつんと頭を当てた。
そして――キュルッ、と力強く鳴いた。
行ってこい。
そう、言ってくれた気がした。
……こいつは、いつも、俺の背中を押してくれる。
生まれたときから、ずっと。
「……ああ。行ってくる」
俺は、タマをゴロのごつごつした背に、そっと下ろした。
ゴロが、ぐるりと俺を見て、深く頷く。
守り抜く、と。その目が、言っていた。
「じゃあ……始めるぞ。全員、位置につけ」
残る組が、境目を囲む。
ゴロが、地を踏んだ。
――ズゥン。
岩の器が、縦穴を囲んで、せり上がる。
ナギの水が、タマを、そっと包む。
タマの力を、宥めるためだ。
「タマ。……少しずつ、でいい。扉を、開けてくれ」
「キュルルゥ……!」
タマの体が、淡く光る。
その光が、境目の壁に、流れ込んでいく。
――境界:安定度 12% → 30%――
「上がってる……! いいぞ、その調子だ!」
――40% … 55%――
壁の模様が、一本、また一本と青白く灯っていく。
穴の底から、風が、吹き上げた。
冷たくて、どこか懐かしい――向こう側の風だ。
――70% … 85%――
だが。
安定度が上がるほど、穴の底の赤い模様も、脈打ちを速めていく。
……あいつが、気づいた。星が、扉を開いたことに。
黒い腕が、裂け目の奥で、うぞりと蠢く。
間に合え。頼む、間に合ってくれ。
「急ぐぞ! こじ開けたら、すぐ渡る!」
――95%……98%……!
そして。
――境界:開放――
ゴォォォッ!!
空気が、爆ぜた。
縦穴が、ぱっくりと、口を開けた。
その底に、渦巻く、白い光の道。
向こう側へ、続く、一本の橋だ。
「今だ! ソラ、ヒノ、メイ! ……行くぞ!!」
ピィイィッ!
キュキュアッ!
ふよぉっ!
三匹が、いっせいに光の道へ飛び込む。
俺も、その背を追って縦穴へ身を投げた。
ふわり、と、体が浮く。
景色が、溶ける。上も下も、なくなる。
……振り返ると、タマが光の向こうで、こっちを見ていた。
行ってくる。必ず、帰る。
声にならない声で、そう叫んだ。
落ちる。いや、昇る。どっちだ。
次の瞬間――視界が、真っ白に弾けた。
◇
……足が、地に、ついた。
目を、開ける。
そこは、見たこともない、世界だった。
頭上には、まともな“天”がなかった。
紫とも緑ともつかない、ぐにゃぐにゃした天蓋が、渦を巻いている。
地面は黒い硝子みたいで、俺たちの姿をゆがんで映していた。
……ここが、向こう側。
父さんが、五年、たった一人で戦ってきた場所。
試しに、足元の石を、視てみる。
種族:石#▓_
資質:――
運:計測不能
やっぱりだ。
ただの石ころ一つ、ステータスがバグってる。
ここは、俺の“物差し”が通じない世界。世界の理の、外側だ。
「ソラ、ヒノ、メイ。……はぐれるな。俺のそばを、離れるなよ」
三匹が、ぴたりと俺に身を寄せる。
メイが、俺の足に、ぎゅっとしがみつく。
ヒノが、警戒するように、低く唸る。
ソラが、頭上を、鋭く見張る。
……こいつらのあたたかさだけが、この異界で唯一の、確かなものだった。
どこだ。
父さんは、この、どこに――。
そのとき。
黒い地面の、遠くに。
ぽつん、と小さな灯りが見えた。
人が、焚いたような。……焚き火の、灯り。
こんな、命の気配ひとつない世界で。
その灯りだけが、ぽつんと、あたたかかった。
こんな、化け物の世界に。
誰かが、いる。
……まさか。
俺は、駆け出していた。
ソラたちも、続く。
黒い硝子の地面を、蹴って、蹴って。
灯りへ。あの、あたたかい光へ。
近づくにつれ、灯りのそばに影が見えてくる。
大きな、竜の影。
そして、その傍らに――一人の男が、座っていた。
ぼろぼろのマントを、羽織って。
こちらを、静かに、振り返る。
その顔を見た瞬間。
時間が、止まった気がした。
俺の足が、勝手に、止まる。
息が、うまく吸えない。
写真で、何百回も、見た顔。
……間違い、ない。
「……父、さん」
───────
【あとがき】
第五十六話、読んでくれてありがとうございます。
ついに――向こう側へ。今回は演出を意識して、扉が開くまでの緊張(安定度のカウント)、渡る瞬間の爆発、そして異界の“世界の理が壊れた”感じ(石ころのステータスすらバグる)を、テンポと擬音で描いてみました。
置いていくタマとの別れ。「行ってこい」と鳴くタマ。……いちばん大事な相棒を残していく、ソウマの覚悟の朝でした。
そして、たどり着いた異界で見つけた、焚き火の灯り。大きな竜の影と、ぼろぼろのマントの男。五年ぶりの――父との、再会です。
次回、父と息子が、ついに言葉を交わします。
続きが気になったら、★とブックマークで応援してもらえると、すごく励みになります。




