第53話 世界の、綻び
それは、三日後の、昼下がりに起きた。
学園の上空が、ぐにゃりと歪んだ。
……いや。歪んだのは、頭上の景色じゃない。
俺の“視る力”に映る、世界そのものだ。
境目の縁の、その一点。
空間に、細い裂け目が、走っていた。
まるで、ガラスに入った、ひびみたいに。
「……来た」
円城寺の声が、震える。
「境目が、破られた。あちら側から」
裂け目から、ぬるりと“それ”が這い出してきた。
形が、定まらない。
黒い霧のような、影のような。
見ている場所が、ずるずると、ずれていく。
目で追うだけで、頭が、くらくらした。
そいつが、地面に、触れる。
すると、その周りの草が、石が、鉄柵が。……ぜんぶ“別のもの”に書き換わっていく。
色が、狂う。かたちが、溶ける。
「あれは……別のものの、断片よ」
円城寺が、後ずさる。
「本体じゃない。ほんの、かけら。……でも、そのかけら一つで、この一帯を、書き換えてしまう」
断片。
あの本体じゃなくて、これは、ただのかけら。
……それで、この、格の違いか。
俺は、いつもの力でそいつを視た。
種族:綻び(別のものの断片)
資質:計測不能
運:▓▓▓#
――核:あり――
「……“核”?」
文字化けした画面の、いちばん下。
そこだけ、はっきりと、読めた。
“核”。この世界に、留まるための、楔だ。
――そうか。
こいつは、世界の外側のもの。だから、生の力じゃ倒せない。
攻撃は、書き換えられて、すり抜ける。
でも。
この世界に居座るための“核”がある。……なら、そこを、突けばいい。
「みんな! こいつは、力じゃ倒せない! 狙うのは、核だ!」
六匹が、俺の前に、並ぶ。
タマは、俺が後ろに下がらせた。
この断片が狙っているのは、タマだ。……絶対に、前に出さない。
綻びが、俺の言葉に反応するみたいに、タマのほうへぐっと傾いた。
……やっぱり、狙いは、この子だ。
綻びが、こちらへ、にじり寄ってくる。
その進む先の地面が、ぐずぐずと崩れていく。
「ゴロ! ドームで、街と俺たちを、囲え! こいつを、外に出すな!」
グモォォン!
ゴロの岩の要塞が、綻びごと俺たちを閉じ込めた。
これで、被害は、この中だけで済む。
「メイ、ナギ! 動きを、止めろ!」
メイの蔦が、綻びに、絡みつく。
だが――蔦が触れた先から、灰色に書き換わっていく。
「ふよっ!?」
「メイ、離せ! 巻きつけたまま、引きちぎられるぞ!」
メイが、慌てて蔦を引っ込めた。
……くそ。まともに、触れられもしない。
だが、一瞬でも動きは鈍った。
「ナギ、水の膜で、包め! 直接触らず、押さえるんだ!」
コポポ!
ナギの水が、綻びを外から押し包む。
水は、書き換えられてもまた流れて、形を保つ。
……相性じゃない。“性質”で、抑え込む。
その隙に、俺は目をこらした。
揺らぐ影の、その中心。
ぐるぐると渦巻く闇の奥の奥に――小さな赤黒い光の粒が、あった。
あれだ。あれが、核。
「見えた! ソラ、上から、影を剥がせ! ヒノ、その奥の、赤黒い光を狙え!」
ピィイィッ!
ソラの雷が、綻びの影を切り裂いてめくり上げる。
渦の奥の核が、一瞬、むき出しになった。
「今だ、ヒノ! 紅蓮の吐息!」
キュキュアアッ!!
極限まで絞った、超高温の一点集中ブレスが。
むき出しになった核へ、まっすぐ、突き刺さった。
ジュゥゥッ――!
赤黒い光が、悲鳴のような音を立てて、砕ける。
その瞬間。
綻びの揺らぐ影が、いっせいに崩れ始めた。
楔を失った断片は、この世界に、留まれない。
ずるずると、裂け目の向こうへ、引き戻されていく。
そして――ぱち、ん。
空間の裂け目が、閉じた。
書き換えられた草も、石も、鉄柵も。
じわじわと、元の色に、戻っていく。
「……勝った、のか」
俺は、へたり込みそうになるのを、こらえた。
全身、汗だくだ。
格違いの、世界の外側のもの。……そのかけらを、俺たちは工夫で退けた。
「信じられない」
円城寺が、呆然と、つぶやいた。
「あれを……力に頼らず、あんな連携で。……あの人でも、断片を退けるのが、精一杯だったのに」
いつのまにか、榊先生も駆けつけていた。
変わり果てた一帯と、無傷の俺たちを見比べて、静かに息を吐く。
「……お前の父さんが見たら、腰を抜かすぞ」
その声には、驚きと、確かな希望が滲んでいた。
でも、俺は、喜べなかった。
だって、これは。……ただの、かけら一つだ。
「円城寺。……本体は、あんなもんじゃ、ないんだよな」
円城寺は、静かに、頷いた。
「かけら一つで、この有り様。……本体が、こちらへ来たら。この世界は、一日と、もたない」
背筋が、冷える。
守り続けるだけじゃ、いつか、押し切られる。
だったら――こっちから、行くしかない。
源を、断ちに。父さんを、迎えに。
守るだけの戦いは、いつか必ず負ける。
攻めるなら、今しかない。
俺は、後ろで震えているタマを抱き上げた。
こいつを、あいつに、渡さないまま。
それでも、向こう側へ、渡る方法を。……見つけ出す。
頭上を見上げると、歪みはもう消えていた。
いつもの、青い大空だ。
でも、その青の、ずっと奥に。
何か、途方もなく大きなものの視線を感じた気がした。
――待ってろ、父さん。
次に会うのは、きっと、向こう側だ。
───────
【あとがき】
第五十三話、読んでくれてありがとうございます。
ついに、別のものの“断片”が、こちら側へ。世界の理を書き換える侵食体は、生の力では倒せない――でもソウマは、視る力で唯一読めた“核”を見抜き、六匹の連携でそこだけを撃ち抜きました。相性でも力でもなく、性質と工夫で凌ぐ。“育てて工夫して勝つ”の集大成の一つです。
しかも、これはまだ“かけら一つ”。本体が来れば、世界は一日ももたない。だからソウマは決めます。守るだけでなく、こちらから渡って、源を断つ、と。
次回、いよいよ“渡る”ための最後の準備が動き出します。
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