第50話 父のいる場所
鷹宮に勝った、その日の夜。
円城寺は、俺を、学園の最上へ連れていった。
あの、底なしの縦穴。
世界と、"向こう側"の、境目。
壁一面の古い模様が、今日は前より濃く脈打って見えた。
じいちゃんも、一緒だった。
……この人も、ここへ来るのは覚悟が要ったんだろう。
じいちゃんは、ずっと知っていたのかもしれない。
俺に真実を言えないまま、ずっと抱えて。
「約束、覚えてる?」
円城寺が、静かに言った。
「あなたが、あの人を超えたら。……全部、話す。その約束を、果たすわ」
俺は、黙って、頷いた。
タマが、俺の肩の上でじっと穴の底を見ている。
「まず、あなたのお父さんのこと」
円城寺は、穴の縁に立って、こちらに背を向けた。
「あの人は、学園始まって以来の、最高のテイマーだった。……でも、それだけじゃない。あの人は、この境目の、"本当のこと"に、たどり着いてしまった」
「本当のこと?」
「百五十年前、ここから来たのは、ドラゴンとダンジョンだけじゃない。……"別のもの"も、一緒に来た」
その言葉に、タマの首輪がかすかに鳴った。
「世界を、書き換えてしまうほどの、力。それが、少しずつ、こちらへ、染み出してくる。……放っておけば、この世界は、いつか、"別のもの"に、塗り替えられる」
……ぞくり、とした。
ダンジョンも、ドラゴンも。……その、"おまけ"みたいなものだったのか。
「あの人は、それを、止めようとした」
円城寺の声が、少しだけ、揺れた。
「境目を、内側から、閉じる。……そのために、たった一匹の相棒と、向こう側へ、渡った。五年前の、あの日」
「相棒って……タマの、前の」
「ええ。タマと同じ、"星"を背負った竜。……あの人は、その子と二人で、今も、向こうで、"別のもの"を、押しとどめている」
……押しとどめている。
じゃあ、父さんは。……今も、生きて。
たった一人で、五年間も。……あの、向こう側で。
写真でしか知らない人。
その父さんが今も、誰にも助けを求めず、この世界のために耐えている。
……胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
「なんで」
声が、震えた。
「なんで、独りで、行ったんだ。……仲間も、じいちゃんも、置いて。……俺も、置いて」
「それしか、方法が、なかったからよ」
円城寺が、振り返った。
その顔は、いつもの、読めない微笑じゃなかった。
……ただ、深く悔いている人の顔だった。
「境目を閉じられるのは、"星"を持つ竜と、その相棒だけ。当時それができたのは、あの人とあの子しか、いなかった。……私には、できなかった。星の竜も、いなかったから」
その声の奥に、ただの友人以上の何かが滲んでいた。
……この人にとっても、父さんは特別な人だったんだ。
……そうか。
この人は。
……行きたくても、行けなかったんだ。父さんを、追って。
「私は、あの人を、止められなかった。だから、せめて、と思った」
円城寺が、俺を、まっすぐ見た。
「次の"星"が、生まれたとき。……その子を、正しく育てられる誰かを、用意しよう、と」
……次の星。
俺の肩のタマが、ぴくり、と動いた。
「タマを、あなたに引き合わせたのは、偶然じゃない。あなたを推薦して、この学園に入れて、上まで登らせた。……全部、私の筋書きよ」
円城寺が、ちらりとタマを見た。
……いや。もしかしたら。
選んだのは、円城寺じゃなく、タマ自身なのかもしれない。
この子はいつも、俺の狙いの一歩先にいるみたいだから。
利用されていた。
……最初から。ぜんぶ。
でも。
不思議と、腹は、立たなかった。
だって、そのおかげで。俺は、タマやこいつらに出会えたんだから。
「一つ、聞きたい」
俺は、口を開いた。
「あんたは、俺に、父さんと同じことを、させたいのか。……首輪を外して、タマを犠牲にして、独りで、向こうへ渡れって」
円城寺は、しばらく、黙っていた。
それから、ゆっくりと、首を横に振った。
「……前は、そう思っていた。それが、"唯一の道"だと」
でも、と、彼女は続けた。
「あなたは、その道を、拒んだ。首輪を、外さなかった。……そして今日、覚醒なんかに頼らず、六匹の力で、鷹宮を超えてみせた」
円城寺の目が、初めてまっすぐな光を宿した。
「あの人は、最強だった。でも、たった一匹と、独りきりだった。だから、境目を"閉じる"ことは、できても。……自分が、"帰ってくる"ことは、できなかった」
……ああ。
「あなたは、違う。一匹の弱点を、みんなで補う。独りで背負わず、仲間と分け合う。……あの人に、なかったものを、あなたは、持っている」
円城寺の声が、熱を帯びた。
「だから、待っていた。あなたが、"あの人を超える"日を。……あの人が、できなかったことを、あなたなら、できるかもしれないから」
父さんを、閉じ込めたまま、境目を守るんじゃない。
境目を閉じて。……父さんも、連れて帰る。
覚醒に頼らず。タマも仲間も、誰一人欠けさせずに。
……それが、俺の、"別の道"だ。
「やるよ」
俺は、言った。迷いは、なかった。
「父さんを、迎えに行く。向こう側へ。……この、六匹と一緒に」
じいちゃんが、俺の肩に、手を置いた。
その手は、少し、震えていた。
「……無茶を、言うな。だが」
じいちゃんは、それでも、笑った。
「お前なら、やるかもしれん。……あいつの、息子だからな」
……あいつの、息子。
その言葉があたたかくて、少し泣きそうになった。
そのとき。
穴の底が、ぐらり、と揺れた。
壁の模様が、赤く、明滅する。
タマの首輪が、《……》と低く軋んだ。
「……始まっているのね」
円城寺の顔が、険しくなる。
「向こうの、あの人の力が弱ってきている。"別のもの"が、また、こちらへ出ようとしている。……時間は、そう多くない」
五年も耐えてきた父さんが、もう、限界なんだ。
……なら、急ぐしかない。
俺の中でずっと遠かった"父さん"が、初めて"助けに行くべき相手"になった。
……そうか。
のんびり、してる暇は、ないってことか。
俺は、タマを、抱き上げた。
タマは、穴の底を見つめて。……小さく《キュルル》と鳴いた。
それは、いつもの甘えた声とは、少し違う。
……まるで、"向こう"にいる誰かに呼びかけるみたいな声だった。
……待っててくれ、父さん。
必ず、行く。
俺と、こいつらで。……あんたを、連れ戻しに。
境目の底で、何かが静かにうごめいていた。
新しい戦いは、もう始まっている。
――待ってろよ、父さん。俺たちが必ず、その扉を開けに行く。
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【あとがき】
第五十話、読んでくれてありがとうございます。ついに五十話です。
今回は、円城寺がすべてを語る回でした。父は五年前、"別のもの"がこちらへ溢れるのを止めるため、タマの前の相棒(同じ"星"の竜)と二人で向こう側へ渡り、今も境目を押しとどめている――生きている。円城寺は、その父を追えなかった後悔から、"次の星"タマと、それを育てる誰か=ソウマを用意した張本人でした。
そして「あの人を超える」の意味。父は最強でも、独りきりだから"閉じる"ことしかできず、帰れなかった。ソウマは違う――一匹の弱点をみんなで補う軍団がある。だから、境目を閉じて、父も連れて帰る"別の道"に賭ける。
でも、向こうの父の力が弱り、"別のもの"が動き出しました。時間は多くない。次章、いよいよ向こう側をめぐる戦いが始まります。
よかったら感想で、この先どうなってほしいか教えてください。




