第35話 その名を、呼ぶ
タマの口から。
聞いたことのない、低い声が、響いた。
ゴ……ゴォ……。
地の底から、湧くみたいな。
……タマの、声じゃ、ない。
その、ちいさな体が。
ぐにゃり、と、輪郭を揺らして。
――伸びた。
まんまるだった体が、しなやかに、長く。
背に、いくつもの淡い光が、星みたいに灯る。
灰色だった鱗が、夜みたいな、深い色に。
体の周りの空気が。ゆらゆらと、陽炎みたいに歪む。
地面に落ちた小石が。……ひとりでに、宙へ、浮き上がった。
物理も道理も。……こいつの周りだけ、通用しなくなってる。
……きれいだ。
なのに。見てるだけで。……涙が、出そうになる。
"怖い"んだ。理由も、わからず。本能が、震えてる。
鷹宮が、我に返って、叫んだ。
「……ふざけるな! シルバーホーク、やれ! そんなの、ただのまぐれだ!」
銀の鷹が、風をまとって、突っ込む。
あの、誰にも追いつけない、速さで。
――でも。
届か、なかった。
タマの、すぐ手前で。
シルバーホークの翼が。……なぜか、宙を、切った。
まるで、タマのいる場所だけ。……"当たらない"ように、世界が決めてるみたいに。
もう一度。もう一度。
銀の鷹が、何度も突っ込む。
でも、そのたびに。足がもつれ、風が逸れ、標的を見失う。
突風で吹き飛ばそうとすれば、その風が、逆向きに吹いた。
旋回して死角を突こうとすれば、ありえない場所の床が隆起して進路を塞いだ。
"たまたま"が、いくつもいくつも重なって。……鷹宮の必勝を、ことごとく潰していく。
偶然じゃない。作為だ。……世界そのものの、作為。
……あの、S級の速さが。
タマの前じゃ。……"なかったこと"に、されていく。
「なん、で……。なんで、当たらない……!?」
鷹宮の顔が、恐怖に、歪んだ。
これが。
タマの、"運"。……世界を書き換える力の、本当の姿。
俺は、動けなかった。
勝ってる。勝ってる、はずなのに。
……ちっとも、嬉しくない。
だって、これは。
タマが、頑張って勝ってるんじゃ、ない。
"世界のほう"が、タマに逆らえないだけだ。
目の前にいるのは。
俺の知ってる、タマ、なのか?
あのまんまるで。転ぶと起きられなくて。俺の頭で寝てた。あいつ、なのか?
背筋が、ぞっと、した。
……俺はこいつと、ずっといっしょにいたはずだ。
なのに、今、目の前にいる"それ"のことを。
……俺は、何ひとつ、知らない。
……円城寺の声が、蘇る。
――知っている、タマじゃ、ないかもしれない。
このまま。
タマが、"全部"、目を覚ましたら。
……こいつは、どこか遠くへ。俺の手の届かない"何か"に、なってしまう。
そんな気が、した。
――嫌だ。
気づいたら、俺は、走り出してた。
重い空気を、押しのけて。歪んだ世界を、かき分けて。
あの、光る背中へ。
「タマ!!」
叫んだ。
「もう、いい! もう、じゅうぶんだ! ……戻ってこい!」
光る竜が、ぴくりと動きを止めた。
「お前が"厄を背負う星"でも、なんでもいい! 世界を書き換える化け物でも、いい!」
俺は、その、大きくなった体に。
しがみ、ついた。
歪んだ空気が、俺を、引き剥がそうとする。
肌がひりひりする。息が、うまくできない。
……それでも。俺は、離さなかった。
この手だけは。……絶対に。
「でも、俺のタマだ! 俺の、いちばん最初の相棒だ! ……頼む。還ってこいよ、タマ!」
光る竜が。
ゆっくりと。……俺を、見下ろした。
その目が。
"知らない色"の、その奥で。
……ほんの少し。揺れた、気がした。
スキル欄の、"???"が。
開きかけた、まま。……止まって。
そして。
ぎち、と限界だった首輪が。……ふっと緩んだ。
竜の体から、光が。すう、と引いていく。
伸びた体が縮んで、深い色が薄れて。
……元の、まんまるの、灰色に。
止んでいた風が、また吹き始める。
消えていた音が、戻ってくる。
……世界が、"元通り"に、なっていく。
俺の腕の中に。
ぽすん、と。ちいさな、あたたかい重みが落ちた。
「キュ……ルゥ……」
タマだ。
いつもの、タマだ。
ぐったりして。……でも確かに、俺の顔を見て甘えていた。
……よかった。
還って、きて、くれた。
俺は、震える手で、こいつを抱きしめた。
――こらえて、くれたんだ。俺のために。もう一度。
……ありがとう、タマ。本当に。
仲間たちが。ヒノが、ゴロが、ソラが、ナギが。
よろよろと起き上がって。……おそるおそる、タマに近づいてきた。
さっきまで、あんなに怯えて、逃げてたのに。
今は、心配そうにタマを囲んで、鳴いている。
……こいつらにも、わかるんだ。
"還ってきた"のが。ちゃんと、いつものタマだって、こと。
鷹宮は。
シルバーホークを抱えて。……青い顔で、立ち尽くしていた。
「……僕の、負けだ。いや」
絞り出すような、声。
「あれは、"勝ち負け"じゃない。……あんなもの。誰も勝てない」
勝った、はずなのに。
……この場の、誰も。勝った顔を、していなかった。
そして、闘技場の入り口に。
いつのまにか。円城寺が、立っていた。
いつもの微笑み。……でも、その目は、俺じゃなく。
腕の中の、タマだけを、見ていた。
「よく"こらえた"わね。……いい子」
その言葉が。タマに向けたものか、俺に向けたものか。
……わからなかった。
「見たでしょう、天野くん。これが、あなたの相棒。……あなたが、"背負っている"もの」
「……あんたは」
俺は、円城寺を、睨んだ。
「あんたは、これを。……ずっと、"見たかった"のか。俺が、ここまで来るのを。タマが、目を覚ますのを」
円城寺は、答えなかった。
ただ、微笑みを、深くしただけ。
……その沈黙が、いちばん怖かった。
円城寺が、手を、差し出す。
「そろそろ、"上"へ。……全部、話してあげる。あの子のことも。お父さんの行った場所も。――もう、後戻りはできないけれど」
……後戻りは、できない。
それは、脅しなのか。誘いなのか。
でも。
俺は、腕の中のタマを見た。
ぐったりしながら、それでも俺の指を、ちいさな前足で握ってる。
……ぜんぶ、知りたい。こいつが何を背負ってるのか。俺が、何を守るべきなのか。
俺は、円城寺の手は、取らずに。
自分の足で、一歩前に踏み出した。
「行くよ。……自分の、足で」
円城寺が、ふっと、笑った。
……その笑みが、満足げだったのか。憐れむようだったのか。
俺には、最後まで。……読めなかった。
でも、一つだけ確かなことがある。
俺はもう、ただのハズレ組のテイマーには、戻れない。
この子と、いっしょに。……いちばん深いところまで、行く。
それが、どんな場所でも。
そこに、父さんが、いるなら。
───────
【あとがき】
第三十五話、読んでくれてありがとうございます。
タマの"覚醒"が、初めて解放されました。
S級の鷹宮の速さすら、"当たらないことにされる"――それが、世界を書き換えるタマの力の、本当の姿でした。
でも、書きたかったのは、強さじゃなくて。
勝っているのに、ちっとも嬉しくないソウマと、それでも「還ってこい」と叫んだ、あの瞬間です。タマは、もう一度、"こらえて"戻ってきてくれました。……ソウマの、ために。
覚醒は、まだ入り口。首輪は、かろうじて保ちました。
そして、円城寺は、ついに「上へ来なさい、全部話す」と手を差し出します。ソウマが選んだのは、その手を取らず、自分の足で進むこと。
よかったら感想で教えてください。タマが"こらえている"もの、あなたは何だと思いますか。
次回、物語はいよいよ核心――"上"へ、そして"向こう側"へ。




