第32話 大きな星の、正体
理事長室の扉は、やけに重かった。
中に、あの人が――円城寺が、いる。
入学のときから、ずっと。俺と、タマを見ていた、あの人が。
俺は、タマを抱いていた。
こいつを、置いてくる気には、なれなかった。
……この話は、こいつの話だからだ。
扉を、開ける。
広い部屋の、窓を背に。
円城寺は、静かに座っていた。
相変わらず、隙のない、美しい人だ。
……なのに、その微笑みは。俺の背中を、じわりと冷たくさせた。
「来たわね、天野ソウマくん。……いいえ」
その視線が、俺じゃなく。
俺の腕の中の、タマに、向いた。
「――"あなた"も、来たのね」
……タマに?
こいつに、話しかけたのか。
タマは、いつものまんまるの目で、円城寺を、じっと見返していた。
鳴きもしない。震えもしない。
……ダンジョンの、あの壁を見たときとは、違う。
まるで――"知り合い"に、会ったみたいに。
ぞわ、とした。
円城寺は、その視線を、しばらく、タマから離さなかった。
なつかしむような。……それでいて、どこか、"畏れて"いるような。
この学園の頂点に立つ、あの人が。ちっぽけな竜を、畏れてる?
……ますます、わけが、わからなかった。
「単刀直入に、聞くよ」
俺は、声を絞り出した。
「タマは。……こいつは、何なんだ。あんた、知ってるんだろ」
円城寺は、ゆっくりと、足を組み替えた。
「その子はね。"運がいい"んじゃないの。……"世界のほうを、ほんの少し、書き換えてる"の」
書き、換える。
「あなたに都合よく、敵が転ぶ。落とし穴が、開く。危険が、逸れる。……あれは、幸運じゃない。その子が、そう"している"のよ。……たぶん、無意識に、ね」
……ダンジョンで感じた、あれ。
"誰かが、盤面を整えてる"みたいな、あの感覚。
その、"誰か"は。……俺の、腕の中に、いた。
「信じられない、って顔ね」
円城寺は、くすり、と笑った。
「なら、思い出して。あなたの周りで、"ありえないくらい都合のいいこと"が、起き続けてこなかった? ……いちばん弱いはずのその子が、一度も死ななかったこと。あなたが、負けるはずの戦いに、勝ち続けてきたこと」
……確かに。
振り返れば。全部、そうだった。
"育てたから"だと、思ってた。"連携"で、勝ったんだと。
……でも、その土台に。ずっと、こいつの"運"が、あったなら。
俺が、積み上げてきたものは。……本物だったのか?
足元が、ぐらり、と揺れた。
「百五十年前」
円城寺が、続ける。
「この世界に、ドラゴンと、ダンジョンが現れた。……でも、来たのは、それだけじゃなかった」
――父さんと、同じことを、言ってる。
「"世界を書き換える力"を持つものが、ほんのわずかに、紛れ込んだ。……その力を宿して生まれてくる竜が、ごく稀にいる。わたしたちは、それを、こう呼んでいる」
円城寺は、微笑んだまま。
ひどく優しい声で、言った。
「――"厄を、背負う星"。……あなたのお父さんは、"大きな星"と、呼んでいたけれど」
大きな星。
……あの言葉は。褒め言葉じゃ、なかったのか。
"背負っている"。……こいつが背負ってるのは。栄光じゃなくて――。
そのとき。
俺の腕の中で、タマが、身じろぎした。
円城寺のほうへ、ちいさな前足を、伸ばして。
まるで――"迎え"に来た相手に、触れようとするみたいに。
「……タマ?」
俺が名前を呼ぶと、タマは、ぴたりと動きを止めた。
何事もなかったように、俺を見上げて、甘える。
……今の、なんだ。
こいつ、円城寺と。"通じてる"のか?
「ひとつ、教えてあげる」
円城寺の目が、細くなる。
「あなたが、"ハズレの卵"を引き当てた、あの日。……あれ、偶然だと思う?」
――え。
心臓が、跳ねた。
「学園中の、何百という卵の中から。よりによって、その子が。よりによって、あなたのところへ来た。……そんな偶然、あると思う? "運を書き換える力"を持つ、その子が、そばにいて」
……やめてくれ。
じゃあ、なんだ。タマが、俺を選んだのは。
……タマ自身が、そう"仕向けた"、って言うのか。
俺の腕の中で。
タマが、ことり、と、首をかしげた。
……まるで、「そうだよ」って、言うみたいに。
「父さん、は」
俺は、震える声で、聞いた。
「父さんは、死んだんじゃ、ないのか」
円城寺の微笑みが。
初めて、ほんの少し、揺れた。
「……あの人はね。"消えた"んじゃ、ないの」
窓の外へ、視線を投げる。
「自分から、"向こう側"へ、行ったのよ。……この子たちが"背負ってきた"、その、向こう側へ、ね」
向こう、側。
……何を言ってるんだ。父さんが、生きてるのか? どこに――。
膝が、震えた。
死んだと、思ってた。ずっと。写真の中だけの、人だと。
それが――生きてる? "向こう側"に?
「教えてくれよ! どこなんだ、それは! 父さんは、なんで、そんなとこに――!」
俺は、叫んでいた。
でも。
「それ以上は、まだ言えない」
円城寺は、すっと立ち上がった。
「知りたければ。……もっと、上へおいで。特進を抜けて。この学園の、いちばん高い場所まで。そこで、全部、話してあげる。あの人が、今、どこにいるのかも」
……試されてる。
こいつは、俺を、"上"へ引っ張り上げようとしてる。
味方なのか。敵なのか。……わからない。
「ひとつだけ、忠告」
円城寺の声が、ふいに、低くなった。
「その子が、"次に"目を覚ましたとき。……あなたの知っている、タマじゃ、ないかもしれない。だから――首輪は、絶対に、外さないこと。それが、お父さんとの、約束だから」
その声だけは。
脅しでも、企みでもなく。……本気で、俺を案じているように、聞こえた。
「本当はね」
円城寺は、俺に背を向けたまま、言った。
「あなたには、"ただの生徒"のまま、卒業してほしかった。……あの子に、選ばれてしまう前に」
……どっちなんだ、この人は。
俺を、守ろうとしてるのか。それとも、"上"に、差し出そうとしてるのか。
……約束?
父さんと、あんたの?
聞きたいことが、山ほど、あった。
でも、円城寺は、もう、背を向けていた。
部屋を、出る。
扉が、閉まる、その瞬間。
俺の腕の中の、タマが。
円城寺のいる、扉の方を、振り返って。
――ほんの、一瞬。
「キュルッ」
……笑った、ように、見えた。
いや。竜が、笑うわけ、ない。
……ない、はずだ。
でも、俺は、はっきりと、感じてしまった。
この対話は。
俺が、望んで、来たんじゃない。
……こいつが。タマが。
俺を、ここまで、"連れてきた"んだ。
最初から。
ぜんぶ。
腕の中の、あったかい重み。
いつもの、タマだ。
尻尾を振って、俺の顎を、ぺろりと舐める。
……かわいい。
なのに、こいつを抱く俺の手は。
……小刻みに、震えていた。
じいちゃんと、同じだ。父さんも、きっと、同じだった。
この子を抱えた者は、みんな。……こうなるのか。
───────
【あとがき】
"大きな星"は、栄光じゃなく――"厄を背負う星"でした。
タマの運は、幸運じゃなく、"世界を書き換える力"。
そして、ハズレの卵がソウマのところに来たのは……偶然じゃ、ない。




